追悼文集

オキヨさんの思い出

長谷光男(7期)

オキヨさんと親しくお話をするようになったのは、OSF結成の時に、メンバーの一人として、参加させて頂いた時からだと思う。

キヨさんが提供して下さった、あの練習場が懐かしい。キヨさんは、いつも最後に練習場に入って来られた。多分、それまで筑紫さん達数人とお話しされていて、時間になると皆さんが先に降りて来られ、後片付けをしてから来られた為だろう。
 

練習の時は、いつも私の後頭部の30センチ程上から、キヨさんの歌う声が聞こえてきた。実に素晴らしい、いいお声だった。これぞセカンド・テナーの歌声、そのものだった。

練習が終わり、「アフター」を始めるべく、各自が3階のお部屋にお邪魔すると、台所で忙しく、ハムやピーナッツなどをお皿に盛り付けしている、オキヨさんの姿がそこにあった。

やがてメンバーが増え場所が手狭になると、会場を他所に変えようか、という声が聞こえるようになった。そんな或る時、「練習場を変えるんなら俺は参加しないぞ」と、キヨさんが言った。

その声は、私のほか、ごく周りの人にしか聞こえない大きさの声だった。やがて何時の間にか、練習場所変更の話は消えていった。考えてみれば、至極尤もな事だった。練習が終わって、大勢が乾いた喉を潤すのに10数分しか要しない場所は此処しかない。

練習前に、寺田さんや小林君などが近くのスーパーで買い整えて呉れた、ビール・ワイン・おつまみ等が出され、「乾杯!」で始まる「しあわせ」なひと時!時には井上先生に贈られてきた高級ワイン迄出てきたりもした。

あの絶賛を博した“ U BOj!”を歌った演奏会が終わってから、家庭の事情で、私が「休団願」をお届けするため、キヨさんのお宅を訪れた時、色々とお話をお伺いする事が出来た。

あれからもう何年経つだろうか。今でもあの時のお顔がそのまま目に浮かんできます。

オキヨさん、どうぞ安らかにお眠りください。

(2022/2/16)

  


編集部 続いて、7期の長谷さんからの追悼文が届きました。有難うございます。

本稿も頼まれ原稿ではなく、ご自身の投稿です。

OSFというグループが如何に家族的(昔からの楽友会的)であるかが分るだろう。

かつて、伴有雄さんが元気な頃、コール・クローネがOB合唱団だった。下馬の長谷川さん宅で練習に集まったことを思い出す。伴さんの振った「希望の島」は身体が震えるのを憶えている。

(2022/2/16・かっぱ)