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思い出のニュー・ヨーク その5− 橋と猫


田中 博(20期)


ニュー・ヨーク市の中心であるマンハッタンは南北に伸びている幅、約4km、長さ約20kmの島です。島の東側はイースト川 East River、東側の北の方はハーレム川 Harlem River、マンハッタンの西側であるニュー・ジャージー州との間はハドソン川 Hudson Riverで囲まれています。西側のハドソン川ではニュー・ジャージー側との間に橋はなく地下トンネルで結ばれていますが、東側のイースト川では地下トンネルと幾つかの橋がかけられています。思い出のニュー・ヨークの最終回ではニュー・ヨークの市民生活を支えている橋のいくつかを紹介させていただきます。また、ニュー・ヨークで出会った猫ちゃんもご覧いただきます。

最初はスタテン島とブルックリンを結んでいる@ヴェラザノ=ナローズ橋 (Verrazano-Narrows Bridge)です。

橋の左側と手前側はブルックリン、橋の右側はスタテン島です。マンハッタンとスタテン島の間には橋はなく人と自転車はフェリー(無料)で渡ることになります。

この橋はニュー・ヨーク・シティ・マラソンのスタート地点として知られています。船でニュー・ヨークの港に入港するには必ずこの橋の下を通過しなければなりませんが、船が通過できる高さを橋の「クリアランス」と言い、潮汐によって上下するのですが、この橋はマックスで69.5mです。(横浜港のベイブリッジは55mであり背の高い大型客船は通過できませんが、船のため橋を高く設計することは地形や用地確保や費用の関係から簡単にできるものではありません。)

アッパー・ニューヨーク湾Upper New York Bayの外側(大西洋側)からみるヴェラザノ=ナローズ橋。橋の下にブルックリン、そして遠くにマンハッタンのビル街の明かりが見える。

マンハッタンの南側(北半球中心の地図では下側)から順に橋の姿を見ましょう。

手前がブルックリン橋、その奥がマンハッタン橋Manhattan Bridge、中央少し左側に小さくだがウィリアムズバーグ橋Williamsburg Bridgeの橋梁がわずかに写っています。

Aブルックリン橋 Brooklyn Bridge

鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋で1883年に完成。建設に携わったローブリングRoebling家の人々の働きは今も語り継がれています。

ブルックリンの住民のマンハッタンへの自転車通勤のルートでもあり、ニュー・ヨークの街づくりの歴史を学べる観光名所の一つでもある。

ブルックリン側のBrooklyn Heights Promenadeから見るブルックリン橋。このプロムナードは近隣住民の憩いの場でもありマンハッタンの摩天楼群skyscraper(スカイスクレイパー、「空を削るもの」)や、夜景を眺めるには最適の場所です。

続いて、Bマンハッタン橋 Manhattan Bridgeです。

ブルックリン橋から見るマンハッタン橋

 
1909年に完成したマンハッタン橋は、「たわみ理論」を用いて設計され、ワーレン・トラス設計(形状が/\/\/\)が用いられています。

次は全体像の写真を探したのですが、きれいな写真が出てこなかったCウィリアムズバーグ橋 Williamsburg Bridgeについて少し触れておきます。ジャズファンの方なら一度は聞いたことがある話なのですが、この橋はサキソフォン奏者ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins 1930 - ) が 1959年から1961年にかけて演奏活動を休止中に、この橋の上で練習を積み重ねた場所として知られています。その結果、生まれたのがロリンズのアルバム、1962年の“The Bridge”、(RCAのレーベル)です。

https://www.youtube.com/watch?v=mm5sDGblSzA

https://www.youtube.com/watch?v=ZtY9hpg7sic&list=RDMM&start_radio=1&rv=pF-o5cWzKzM

もしくは

https://www.youtube.com/watch?v=ZtY9hpg7sic

https://www.youtube.com/watch?v=9fo-Lz7lJJw

音律の難しい話は横において、旋律で聞かすのではなく、絵画で例えればアブストラクトのような世界が広がってくるアルバムなので好き嫌いはあるでしょうが J.F.Kennedyが大統領に就任した1961年当時のアメリカに音楽でふれることができます。(公民権を主とする“偉大なる社会”政策は1965年に大統領に就任したジョンソンが提唱しています。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士のワシントン大行進における演説、「Now is the time.・・・・・・」そして「I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed・・・」は1963年のことです。人種と文化の坩堝のU.S.A.の多様性、奥深さの一つがジャズであることも理解できます。)

次は イースト川を少し登ったところにある Dクイーンズボロ橋  Queensboro Bridgeです。

橋はルーズベルト(ローズベルト)島をまたいで、クィーンズ地区とマンハッタンを結んでいますが、ルーズベルト島とマンハッタンの間は車では直接は渡れず、いったん逆方向のクィーンズに向かう必要があります。島とマンハッタンの間のショートカットの人間用の交通手段としてはゴンドラのロープウェイがあります。写真はSUTTON PLACE PARKからみたクイーンズボロ橋です。この公園にあるブロンズのイノシシ像はイタリア、フィレンツェの橋ポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)の北側約100メートルのところにある新メルカトール(市場)広場Piazza del Mercato Nuovoにあるブロン像のレプリカです。

「思い出のニュー・ヨーク」では主に建築物の写真を紹介してきましたが、最終回の締めくくりはジャンルをがらりと変えニュー・ヨークで仲良くなった猫3題です。オフィスビルやアパートが密集しているマンハッタンでは野良を見かけることはありませんでした。マンハッタンの猫は人間以上に贅沢で洗練されたアパートメント生活を送っているのが普通のようです。

猫の最初は、今は使われなくなったハドソン川の川岸に残っている桟橋が公園となっているところを散歩していたときに出会った子猫ちゃんです。若いダックスフンドをつれ日光浴をしていた若い女性が連れていたよちよち歩きの子猫です。

撮影した場所はエリアでいうとグリニッジ・ヴィレッジ (Greenwich Village)の西側、ハドソン川に残っている桟橋の公園です。グリニッジ・ヴィレッジといえば、「亜麻色の髪の乙女」で知られるグループサウンズのヴィレッジ・シンガーズ(Village Singers)のグループ名※や、書籍と雑貨の販売で知られるヴィレッジヴァンガード社(通称ヴィレヴァン)の社名のもととなっているのですが、ジャズファンにとっては”ヴィレッジ・ヴァンガード”という名称はジャズの聖地の一つとなっているジャズ・クラブVILLAGE VANGUARD 、アドレスは 178 7TH AVENUE SOUTHであり、このクラブでのライブ演奏は、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ディジー・ガレスピー、チャールス・ミンガスなどなのレコードで知られています。

ここでは日本でのジャズの普及に大きな影響を与えたアート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズのライブ録画を紹介しておきます。19分45秒あたりから店内の様子の画像がみれます。
※当初芝田村町(現・西新橋)のフォーク喫茶「ヴィレッジ」で活動していたとのこと。

https://www.youtube.com/watch?v=4zVVqsUDrmQ

ハドソン川岸に残る桟橋

参考、ニュー・ジャージー州側からみた橋のないハドソン川とマンハッタン

マンハッタンの西側ハドソン川の対岸、ニュー・ジャージー州側との間では橋はなく地下トンネルで結ばれています。ハドソン川といえば“ハドソン川の奇跡”とよばれたUS Airways 1549便不時着水事故が記憶に新しい出来事です。着水時、頻繁に行き来しているフェリーがたまたま着水点付近にいなかったことも幸いしたのでしょう。着水した場所は写真のちょうど左端、ピア Pier88 90のあたりの川の真ん中あたりであり、機体は写真右方向に滑水して止まって浮かんだのです。写真中央の少しだけ右側の後方にクライスラー・ビル、また写真右端に近いところにはエンパイア・ステート・ビルが見えます。

次は、二度ほど泊まったアルゴンキン・ホテル(THE ALGONQUIN HOTEL、 59 West 44th Street)の猫です。「アルゴンキン」とはアメリカとカナダにいる原住民の部族の名前に由来しています。このホテルがある近辺は、今風で言うブティック・ホテルも多いのですが、ニュー・ヨークのプライヴェート・クラブ(同窓会組織や趣味の団体など)のオフィスが多くあったことで知られ、すぐ近くにはヨットレース、America’s Cupの歴代の王者であったニュ―・ヨーク・ヨット・クラブの建物(37 West 44th Street、設計はGrand Central Terminalの外装を設計した建築家でニュー・ヨーク市のランドマークなどに指定されている)があります。

このホテルは主に二つの点で知られています。一つはこのホテルが1920年代の“狂騒の20年代 Roaring Twenties”もしくは“ジャズ・エイジ”と呼ばれた時代、このホテルのサロン・食堂がジャーナリストや文筆業のたまり場となっていて、その部屋がそのまま残って使われていることから時代を理解するに、わかり易い場所だということです。ちなみにアメリカの禁酒法の期間は1920-33年でした。

このホテルを有名にしているもう一つはレセプションで宿泊客を迎えてくれる“アルゴンキン・キャット”がいることです。

アルゴンキン・キャット(THE ALGONQUIN CAT, 定冠詞Theがついています) と称される猫がこのホテルで働きだして既に40年以上が経っているそうで、初代の雄猫は名前が”Hamlet”でした。 Hamletの呼称はもちろんシェークスピアからなのですが、このホテルに住んでいてHamletを演じて大ヒットさせた、往時の名優ジョン・バリモアJohn Barrymore (1882-1942) にちなんだということで、以降、雄猫は現在が8代目の”Hamlet”、メス猫は3匹の”Matilda”が顧客に可愛がられたそうです。ここで紹介している猫は2代目のMatildaです。

The Algonquin Round Table、ここに著名な文筆家やジャーナリストがランチで集まった。絵は2002年に女流画家Natalie Ascenciosが描いた ” Vicious circle”(悪循環)という題の絵です。

「想い出のニュー・ヨーク」のエンディングはアッパー・ウエスト・サイドに棲む猫ちゃんです。

もう10年以上も前のことですが、あるところで知り合った老年カップルがいます。当時すでにご主人がたぶん80歳過ぎ、奥様が60歳すぎの老年カップル、詳しいことはお聞きしなかったのですが、奥様は若いとき学生時代、ある大学のビッグバンドの歌手としてかなり名が通っていた方のようでした。ご主人は多分、政党関係者もしくはインテリジェンス関連の方のようで、広くはないもののアッパー・ウエスト・サイドの90番街近くのアパートに猫2匹とともに住んでおられました。二年ほど経ってe-mailで、奥様が発病され治療のためフロリダへ転居するとの連絡がありました。多分連絡が途絶えがちになるだろうとのことでした。その後、連絡はありませんでした。この二匹、手元にある映像で、いつまでも凛々しい恵まれた猫としてニュー・ヨークの記憶に留まっています。

2021年12月14日


編集後記 田中博君から「思い出のニューヨーク(その5)」が届きました。

ソニー・ロリンズの話が出てくるとは、ジャズ爺ちゃんクリビツです。かっぱの書いたロリンズの1ページです。 ⇒ Sonny Rollins St. Thomas

(2021/12/14・かっぱ)

田中博は何とカリブ海のSt. Thomas島にまで行っているのです。夜中に写真や動画に解説文を送ってきました。ホントにサプライズな兄さんです。

 

https://youtu.be/H6CIVKsraPQ

上の静止画2点と動画は 

アメリカ領ヴァージン諸島 セント・トーマス島(Saint Thomas)のシャーロット・アマリー(Charlotte Amalie)という、港のある大きな街の映像です。

カリブの島はイギリス領とかオランダ領とかフランス領とか、ヨーロッパ各国が、砂糖ほかプランテーション経営のために 我先に植民地化したところです。黒人奴隷が三角貿易で送り込まれています。

ところが、砂糖が寒い場所でも収穫できる甜菜で作れるようになったり、とうもろこしなども北米の大規模な機械化された農家のほうが優位になったことなどと、奴隷解放という時代の流れで、これらの島の殆どは、宗主国がほったらかしにしてしまいました。

ですから、見るべき産業というものはなく、かろうじて観光業がある程度です。あとは欧米人の別荘の維持管理要員ぐらい。帝国主義のいいかげんなところがわかりやすく出ている地域です。

しかし、領海や地政学上、戦略的にソヴィエト(今だと中共)に取られないよう(キューバ危機)ともかく、少々金をつぎ込んでも、脇腹として、プエルトリコのように事実上自国領土扱いとして、国の維持の為に金を出しているというのが実態でしょう。

米国や英国の金持ちは、貸別荘を借りたり、ヨットを借りたりして、レジャーを楽しむ基地としています。キューバのように革命でヨーロッパの地主階級が追放されたところでない限り、中南米は、まだあと100年ぐらいは帝国主義の残影に苦労するといったところでしょうか。

さらに南米は、カトリックなんかが勢力を持っているのと、シモン・ボリバル(スペイン系だがスペインから中南米の多くを開放した独立の英雄)という独立運動を一度経ていて、さらに旧宗主国出身のスペイン人などが大地主として実験を握っているため、故チャベス大統領のようなヴェネゼラのように、私権と公権力がいまだに調整できないで社会が混乱しているところも多いわけです。さらにコロンビアやメキシコのように、麻薬シンジケートが裏の社会生活を支えている地域もあるため、一筋縄では行かないわけです。

カリブの島々は、それぞれ人口も多くなく、観光業で生きているので、原住民や黒人は働かないけれど、難しい政治的な動きもしない、まあ のんびりしたところというのが私の印象です。

動画はコンデジでとったもので 風切り音がうるさいと思います。

次のギャラリーは、年明けにでも「Buenos Aires」でもと考えています。

それでは、おやすみなさい。

田中 博