前回、表題の論考を発表したところ、自分でいうのもおこがましいが、思いのほか好評で、特に岡田先生からお褒めのお言葉をいただいて嬉しかった。
その岡田先生の「浜辺の歌」が今年の新年会プログラムの掉尾を飾り、220名をこす大合唱が会場いっぱいに美しく鳴り響いた時には、思はず感動で身が震えたほどである。
楽友会員にとって<昔のこと、昔の人を偲ぶ>のにこれほどふさわしい情景は今までにないことと思った。作曲・成田為三(祖師)、編曲・林光(会友)、指揮・岡田忠彦(名誉会長)、ピアノ・平岩政子(15期)そして歌う我ら皆が、一本の見えない絆で結ばれていた・・・。
岡田先生は目をつぶり、陶酔した面もちで指揮を続けられる。4回目の繰り返しでハミングとなった。しかし、ホテル側と約束した終宴時間はとうに過ぎている。タイムキーパーは気がきでない。そこでやむを得ず途中でコーダに導いていただくというハプニングになった。
それはそれで新年会らしい和やかな一こまだったが、先生には失礼極まりないことをしたと思っている。そこでお詫びの気持ちの一端として、ここに、以前お借りした資料の中から、本論には積み残したものの、先生ご夫妻にとっては貴重な記念のお品を追録させていただくこととした。意のあるところをおくみとり頂ければ幸いである。
本論「§6 妹尾幸陽と楽友会」の項でも触れたが、先生ご夫妻は祖師の生地に建てられた「浜辺の歌音楽館」の竣工記念式典に招かれ、88(昭和63)年8月10日に同館を訪れ、祖師から拝領した1冊のセノオ楽譜を寄贈された。もちろん祖師ご自身が「拝呈」と記された、貴重な御作の一である。
以下はその際ご夫妻が当地で撮影された写真の一部と、同席された祖師の令夫人のお便りをコピーさせていただいたものである。完(10年2月10日)

8角形の「浜辺の歌音楽館(北秋田市米内沢字寺の下17-4)」前にたたずむ岡田先生

同前庭にある顕彰碑(「作曲家・成田為三先生」の下に「浜べの歌」とその旋律が刻まれている)

竣工記念式典列席の来賓(左手・前列右から2人目に故成田師令夫人)

同式典での小学生による「浜辺の歌」合唱風景

同会場における岡田茂子、成田文子両令夫人 |

祖師のお墓(音楽館の近くにある龍淵寺
墓碑裏に「楽澄院誠韻曲宗居士」の戒名有) |
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成田令夫人からの親書表書き(50円切手は80年に発行された記念切手で、下に「浜辺の歌」の出だしの旋律と歌詞が印刷されている。なお、封筒と下記書簡に発信日付は記されていないが、郵便スタンプに「浜松北・63」とあるので、これは令夫人が当時居住しておられた浜松の「エデンの園」でしたため、1988年中に投函されたものであると分かる)。
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水茎の跡麗しい同上書簡(よく読めない方のために、以下できるだけ原文に忠実に転記)
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此の度は遠い所をわざわざお越し頂きまして
誠にありがとう存じました.お目にかかれまして何よりもうれしゅうございました.又ご寄贈頂きました本、成田にめぐり逢えたやうな気がしまして、あのざわめきの中でしたが 心にしみました.何よりのお祝いを厚く御礼申し上げます |
奥様もご一緒にいらして下さいまして
感激の極みでございました.しみじみ御礼申し上げるいとまもなく 大変失礼いたしました. |
どんなにかお疲れになられました事と存じます.どうぞ御自愛下さいますやう
お祈りいたして居ります. |
心から厚く御礼申し上げます |
身体を少しいためまして
ぐずぐずして居りましたので
御礼申し上げますの 遅くなりました.お許し下さいませ. |
拙いまま |
成田文子
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岡田 忠彦様
茂子様 |
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