リレー随筆コーナー
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このリレー随筆、同じ期が3人続いていますが、自分たちの間でこそまたかと思うけど、ほかの期から見れば、だからなんだってもんくらいでしょう。しかし、それにしてもやはりなんとかもっと若い期に繋げなくてはなりませんね。どうも我々の期は自分たちが楽しめればそれで良しとして、どちらかというと先輩に甘えてばかりいて、たとえば筑紫先輩や清水さん、日高さんたち(名前を出してすみません)のような使命感を持って、横ではなく縦に、若い人たちに繋ごうという意識が、希薄のような気がします。気がします、なんて他人事のように言って流そうとしてしまうところこそが悪いところなんですが。 しかし、縦に繋ぐ、ということは受け継いで行く側(バトンを受け取る側)の方がより意識しなくてはならないことだとも思っています。繋ぐ土壌を作るのは先人(バトンを渡す側)であっても、それを繋いでいくのは受け取る側の意識と行動ではないでしょうか。もちろん受け継ぐ人が次に受け継がれる人になり、そのバトンの連続が繋ぐということになるのでしょう。 そしてさまざまな縦のつながりが、私たちの日本と言う国を、国の歴史を、民族を形成してきているのだと思います。そういう思いがあって毎年、敗戦の日、靖国神社に参拝しています。たいてい、その日は良く晴れて真夏の太陽がじりじりと照りつけている事が多いです(今年は珍しく曇ってそれほど暑さを感じませんでしたが)。 5年前、平成23年のその日も、やはり高く青い空から薄黄色の太陽が照りつけていました。大鳥居から神門に向かう参道は白く反射し祈りに向かう人々の額から頬から汗を滴り落とし、油蝉の腹を震わせる喧しい鳴き声と人声の喧躁の中で、しかし境内は静寂な祈りに満たされていました。祖国を思い家族を思い同胞を思い大空に海中にジャングルにまたは凍てつく大地に散華した私たちの先人達。それは自らの命をかけて我が国土と歴史と民族を後の世につなぐため、紡ぐためであったのです。 同月20日、がれきと破壊された家屋の広がる石巻の光景に言葉を失いました。この凄惨な津波の痕は神の怒りを思わずにはいられません。この震災で亡くなられた方々も、やはりなにか歴史の流れの中で犠牲となられたのではないか、と祈りをささげました。 水と祈り、そこから思うのは運悪くこの駄文を目にしてしまった皆様だれもが知っている『水のいのち』という合唱曲。私がこの曲を楽友三田会合唱団で振らせていただいたのは、その東日本大震災の年でした。そんなことを思い出したのも、たまたまこの10月の末に遊び半分ですが、某所で『水のいのち』を振ることになり、その準備のため久しぶりに楽譜を眺めていたからです。 等しく全てのものに降り注ぐ『雨』から始まる水の循環を主題にした、この5曲からなる『水のいのち』は、自然の大いなる循環に人生を投影した祈りの音楽です。2番『水たまり』、3番『川』では人間の宿痾とも言うべき抗うことのできない心の弱さ、高いものに焦がれながらもそこに近づくどころか離れて行かざるを得ない非条理、悲しみ、苦悩を、4番『海』と5番『海よ』で魂の救済と淨化、そして再生を歌っています。 この曲は高野喜久雄のおそらく別々に書かれた5編の詩を田三郎が1つの組曲としたものです。詩集「独楽」などで知られている高野は数学者としての顔も持っていますが、詩人としてはどの系列にも属さない孤立した位置にあったようです。若い頃はシュールレアリズムに走ったようですが、かと言って西脇順三郎のような研ぎ澄まされた感性を持つには至らず、後にそこから離れ生の根源を探るような詩を創るようになりました。ですが、彼の詩をいろいろ読んでみると、シュールの要素を多少残しながら言葉を弄ぶ傾向も少なからずあり、根源的な問いを発する割にはどこか軽さ、空虚さも見え、そういった意味でも批判の少なくない詩人でもあります。 しかし田三郎は同じ基督教徒としての共感があったのか、高野の詩に多くの合唱曲、典礼歌などを作曲しました。田三郎が高野の本質をどうみていたのか、興味深いところです。 この『雨』から『海よ』に至る5編の詩も1編1編よく読むと、意味の矛盾、意識の破たん、混乱、が見えないこともなく、時に言葉のみが先行することもあり、読むものを戸惑わせます。たとえ詩は意味を理解するのではなく意味を感じるものだ、としてさえも。 しかし田三郎はこれらの詩を見事に一つの物語として再構築し希代の名曲に仕上げました。それは高野自身が奇しくも、『言葉で辿り着けるところには限界があり、どんどん貧しいものになっていくが、音楽がそれを解き放ち翼を与えその大きな力で舞い上がっていく・・』と語っているように。 そしてそこに完成した音楽は、強烈なメッセージを与えてくれるのです。 降りしきれ雨よ、すべて立ちすくむ者の上に、横たわる者の上に、許しあう者の上に、許しあえぬの者の上に、枯れた井戸、踏まれた芝生、こと切れた梢、なお踏み耐える根、これらはその情景通りでもあり、また自らの心の情景でもあります。 枯れた心、長い時間と過去の重さに踏み固められた心、自分の凝り固まった頑なな心、良きものへの憧れを見失った心、茫然と立ちすくむ者、そして人生の重さにひたすら耐えている心、それらに等しく雨は降り注ぎ、潤してくれるのです。 わだちのくぼみ そこのここの くぼみにたまる 水たまり うつした空の 青さのように 澄もうと苦しむ 小さなこころ 何故 さかのぼれないか 何故 低い方へゆくほかはないか、と。 しかしそんな私たちが流れ着いた先で優しく受け止めてくれたのは母なる海でした。底に沈むべきものは沈め、空に返すべきものは空に返した。満ち足りた死をそっと岸辺に打ち上げる。そして、それらを、目をそむけないで見なさい、と海は言うのです。 最後5番で、全てを受け容れた海は、人の心の澱を沈め、また浄化し、空高くへと押し上げます。天に昇るのです。再生と希望。自然の大いなる循環に人生を見、いのちを見ているのです。回り道をしてもそのように生きるしかない、と。 この曲が作曲されたのは東京オリンピックが開催された1964年ですが、同年、作曲し始めてから8年かかったと言う、田三郎の精神生活、音楽生活の集大成と言われる『無声慟哭』が完成しています。これは宮沢賢治が妹トシの死を詠ったあの『あめゆじゅとてちてけんじゃ』でも知られる『永訣の朝』を含む5編の詩に作曲した、ナレーション主体の変則的な音楽です。田三郎はこの作曲に心身を使い果たしたということですが、さて同じ年に作曲した水のいのちという一般的にはこちらの方が評判は高いと思われる曲への影響はあったのか、これも研究の余地がありそうです。 それにしても水のいのちほど詩(言葉)と音楽が密接に手をつないだ合唱作品はないのではないでしょうか。また人生の普遍的なありようをここまで深くかつ美しく表現した音楽もない、と私は思います。 全曲の最後、魂は浄化され希望を持って空高く昇っていく。この曲の持つ生の悲しみと希望をこの列島を祖国とする全ての日本人が共有することを願います。悲しみや苦しみを知っている者だけが希望を持つことが許されるのですから。 Nur wer die Sehnsucht kennt,
weiss was ich leide. 平成28年10月20日(木) ■ ■ ■ ■ ■ バトンは、27期の岡崎(旧姓:古畑)里美さんに渡しました。快諾してくれましたのでご報告いたします。(2016/10/23) |
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