リレー随筆コーナー
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最近、合唱の魅力に開眼した友人が「合唱の楽しさを初めて知ったのは、昔、お母さんと一緒に歌った『花』だった」と言っているのを聞いて、大いに共感した。
私も合唱経験のある母から『♪春のうららの隅田川・・・』のハモりを教えてもらった。小学校低学年で『花』を知り、中学で『大地讃頌』に感動し、高校で『ハレルヤ・コーラス』と出会ったのだが、これは案外よくあるパターンなのではないだろうか。 これまで出会った多くの合唱曲の中で、自分で歌う機会はなかったものの、心に残っている歌との出会いをご紹介したい。 『花』で二重唱の楽しさに目覚めた私だったが、初めて本格的な合唱に出会ったのは小学校5年の学芸会だった。 私の小学校では1年おきに学芸会が行われており、私の学年はミュージカル・劇・歌を発表し、全員がどれか一つに出ることになっていた。私が出たのは劇だったが、もう切なくなるほどつまらないお話で、見に来た母の感想は「よくわからなかった」だった。だからこれ以上のコメントは控える。 で、「歌」の演目は合唱組曲『チコタン』(作詞・蓬莱泰三 作曲・南安雄)だった。チコタンは「ぼく」の初恋の女の子。思い切って告白するのだが(昔の子どもだから「付き合ってください」なんかではもちろんなくて、「お嫁さんになってください」なんだよね、可愛いーっ)、チコタンは魚が嫌いだから、魚屋の跡取り息子の「ぼく」のお嫁さんにはなれない、と振られてしまう。「ぼく」は一計を案じて…と、いくつかの曲が合わさってストーリーが展開していく。歌も、掛け合いあり、ハモりあり、変化に富んでいる。 出演種目を決める時、「歌」というのは、なんか児童集会でやるような曲をただ歌うのだと思い、つまらなそうだから「劇」にしたのに、これは全然違うではないか。 合唱の係の先生はとても熱心で、合唱の子たちは休み時間に口ずさむ、給食が終わると口ずさむ、放課後も帰り道で口ずさむ。強化練習のようなこともやっていて、のぞいてみるとすごく楽しそう。もりあがっている。ひとつの音楽をみんなで作り上げているという一体感がある。いいな〜、こっちにすれば良かった、と激しく後悔するもあとのまつり。 こうして迎えた学芸会本番、初めて通して演奏を聴いた。関西弁が楽しい軽快な曲、重苦しい曲、歌詞とメロディが紡ぎ出すストーリーにぐいぐい引き込まれていった。いいな、合唱って楽しい! 曲は、なんとマドンナのチコタンの突然の死で幕を閉じる。楽しくノリノリで聴いていたのに、最後は「ぼく」の悲痛な叫びで終わるのだった。今だったら、親がなんか言ってきそう。 ともあれ、この経験は「いつか合唱をやってみたい」という小さな種を、私に植え付けた。 その後入学した中学校では、合唱部はあったもののあまり盛んな感じではなく、何を血迷ったかバスケ部へ。合唱をするのは音楽の時間だけだった。 中学3年の時、高校見学で文化祭に出かけた時、合唱部の演奏会に足を運んだ。『空に小鳥がいなくなった日』(谷川俊太郎 詩 平吉毅州 作曲)をやっていた。この演奏も良かった。 入試を終えて、当時の都立高校は学校群制度だったから、たとえ試験に受かっても行きたい高校に入れるとは限らなかったが、運よく第1希望の高校(文化祭を見に行った高校)に入り、今度は迷わず合唱部へ。 高校では、音楽選択者は毎年最初に「ハレルヤ・コーラス」に取り組む。音楽を選んで履修するくらいだから、音楽選択者はたいてい音楽好きで、休み時間にハレルヤを口ずさむ、お昼休みに口ずさむ。私はなぜか美術を選んでしまったので、「チコタン」の時と同様「いいな〜」と思いつつ、ついに正式に歌う機会はなかった。 それでも楽譜を借りて自前で音取りもして、なんとかハレルヤの輪に入れるようにはなった。合唱部の新歓ハイキングで、新緑の多摩湖畔を歩きながら、誰からともなくハレルヤを口ずさみ始めて、すぐに周りが唱和して大合唱になった、あの感動は今も私の記憶の中であたたかな光を放っている。 合唱は、道具はいらない。仲間がいれば(場所も要るけど)、すぐに始められる。「仲間がそろったら みんなで歌おう」、まさにそれ。パートも4つしかないから、オケほどたくさんの仲間がそろわなくでも大丈夫。いい趣味もったわ〜、と時々改めて思う。 でも、合唱は人がいて曲があれば、それだけでできるわけでもない。そこにいる仲間と一緒に創り出していくもの。たくさんの仲間と出会い、今もこうして繋がっていられることに改めて感謝して、拙い文を終わりにしたい。 バトンは3期上の30期堀潔先輩にお渡ししました。 (2015/11/8) ■ ■ ■ ■ ■ |
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