気がつけば、人生半世紀が過ぎてしまいました。これまでを振り返ると、音楽を通じて人と出会い、人を通じて様々な音楽と出会いました。そのご縁が途切れること無く年々豊かな交流を重ねていけることに感謝する日々です。
ピアノとの出会いは幼稚園になります。上北沢の松沢幼稚園という所でしたが、ある時、先生が「ピアノ弾ける人いますか?」との問いかけ。一度も触ったことの無いピアノに無性に触りたくて思わず手をあげてしまうと、では岸野さん、とまさかのご指名が…。当然弾けないので無言で座り、人差し指で、ポーンと一音鳴らしました。爆笑の中、すごすご席に戻りました。これが悔しくて小学校に上がり親に頼んでピアノと歌のお稽古を始めました。でも、もっぱら歌ばかり歌っていましたが。
小学校の高学年から親友の影響で洋楽にはまりました。中学受験もしましたが毎日親の目を盗んでラジオの洋楽にかじりつきでしたので当然お勉強もはかどらず、結果は惨敗。その後体調を崩し中学に通えず長期入院。でも変化の無い入院生活の心の寄りどころがラジオからの洋楽でした。
ジャズとの出会いは、15年ほど前に遡ります。ある塾関係のパーティーで生バンドが入った際、歌える人を募っていました。これは好きな洋楽を歌えるチャンス、と、カーペンターズの“Yesterday
once more”を希望したところ、バンマスから「ジャズしかやりません」とのお答え。これは衝撃でした。え?ジャズって何?ポピュラーとどう違うの?好きな音楽をバッサリ断られたショックと同時に、未知のジャンルへの好奇心に捕らわれてしまいました。
いつの日かこのバンドの伴奏で堂々と歌えるようにジャズを知りたいと。因みに、この人生を変えるきっかけ作りのお言葉を頂いたバンマスは、塾の有名ジャズバンド、ファイブ・ブラザースを長く率いる楽友会の大先輩、寺田厚さんです。父の友人でもある寺田さんには、その後も何度かお世話になりました。ある時、ジャズ特有のリズムに悩んでいることを伝えると、ご自分のバンドの練習場に快く呼んで頂き、お稽古をさせていただきました。その時の力強いドラムのサポートと、皆さんの演奏が素晴らしく、歌い終わってもしばらく鳥肌が立つほど感動しました。でも、休憩中には、狭い階段の踊場でみんな寄ってたかってタバコをプカプカ。その姿は、不良学生達そのもの(笑)もうもうとした空気に閉口した事も良い思い出です。
慣れない音楽に悩む毎日。戦後と違いラジオでもジャズは流れないし、家には音源も情報も無く困っていました。そんな私を見て、父親が自分の幼なじみにジャズのベースをやってるのがいるから、と紹介してもらった方が、根市タカオさんでした。根市さんは塾出身、学生時代からプロ活動を始め、元大橋巨泉とサラブレッズのリーダーというベースの大御所でした。それ以来、ライブに通い始め、ボーカルの先生も紹介頂き今でもお世話になっています。
葉山に引っ越した事も、ジャズを知る上で本当に恵まれた環境となりました。湘南ビーチFMという地元の放送局は、キャスターの塾員木村太郎さんが社長。ジャズや戦後のポピュラー中心の洋楽専門放送局です。朝から晩まで、良質で私にはうれしい刺激となる音楽ばかり流してくれます。
先日、元勤務先の関係者の別邸で、木村太郎さんと根市タカオさんとの初顔合わせの機会に立ち会った時は、自分の点と点がつながった気がして感激しました。
また、ある時、そのFM放送から流れる今まで聴いたことの無い男性ボーカルの歌に釘付けになりました。包容力のある声質、声を自由自在に操りながら歌う歌唱法、すぐさま一耳惚れでした。そのボーカリストは“Harvey
Thompson”という日本在住の米国人。それからというもの、ひたすらホームページや関連サイトを探しているうちに、非常に詳しいサイトにヒットしました。
そのサイトの主が、カッパさんと皆さんから親しまれてる大先輩の若山邦紘さんでした。これまた衝撃でした。楽友会の先輩が、Harveyの応援をなさってることを知って、居ても立ってもいられない気持ちになりました。その後、Harveyのライブ会場で初めて若山さんにお会い出来た時の嬉しさは忘れられません。若山さんには、ジャズの大先輩として今もいろいろ教わっています。