チャペルでRequiemを父のために歌うというまたとないチャンスに恵まれ、普通の演奏会とは違う意味で心躍るものがあった。私がモツレクを歌うのは楽友会の50周年記念演奏会以来のことであり、およそ10年程度のブランクがあった。歌えるかどうか不安はあったが、若いころの記憶はすばらしいもので、各曲を1度練習することで、大体は思い出すことができた。練習もチャペルであり、私にとってはそれも喜ばしいことであった。仕事の都合でなかなか毎週の練習に出られなかったが、それでも3回程度は出席することができた。
そして奉唱会当日。練習と同じチャペルで歌ったのだが、練習のときとは違い、そこには荘厳な雰囲気が満ちていた。演奏の前に、司祭がここ最近亡くなった方の名前を一人ずつ読みあげることから奉唱会が始まった。一昨年の10月くらいから昨年の9月くらいまでの1年間に亡くなった方々のお名前を読みあげるのだが、それがおそらく20分以上かかったのではないか。事前にこのことを知らせていただいていたため、父の名前を読みあげてもらうことにしたのはもちろんだが、私にはもう1人読みあげてほしい方がいらした。その方は私の以前の勤務先の先輩であり、ある合唱団のすばらしいソプラノであった。以前の勤務先で仕事のことでいろいろ相談に乗ってもらったり、勤務先や合唱団で一緒に練習して歌う機会があったりした。その方が亡くなったのは40代半ば。父と同様あまりにも早すぎるお別れであった。
私はこの2人に対してRequiemを歌った。父や勤務先の先輩を思い出して少し涙ぐみたくなることもあったが、個人的な感情に酔いしれて歌うのは嫌いだったので涙はこらえて歌った。故人を思うRequiemはアッという間に終わった。歌い終わって、もしかしたら勤務先の先輩は天国で苦笑しているかもしれない、とチラッと思った。
本当の意味でのRequiemが歌える機会を与えてくださったMさん、この場に執筆の機会を与えてくださった小笹さんに御礼申しあげたい。そして、父や勤務先の先輩たちすべての亡くなった方たちに、神のご加護がありますように。 |