先輩から随筆依頼のメールをいただいた。そもそも文章を書くのが嫌いだから理科系人間になったのに・・・。そのまま数カ月たったが、先輩の顔が夢に出てきて寝不足になりそうなので、何とかごまかせるものをと書いてみた。そんなわけで、以下はお読みにならないよう、切にお願いする。
【小学校】
親父が歌ったのは小唄くらいだった。歌うことが好きになったのはお袋の影響である。お袋はよく家の中で童謡や唱歌をソプラノ声で歌っていた。
意識的に歌うことを始めたのは小学校5年生からである。小学校の高学年では、毎年の初めに生徒会の委員をやらされた。生徒会は学年の後半で交代することになっていた。交代した後は何かクラブ活動を決めなければならない。音楽のお婆ちゃん先生の授業がお気に入りだったので、この先生の指導するコーラス部に入ることにした。
小学校のコーラス部は新宿区の合唱祭に参加していた。6年生では合唱祭でシューマンの「流浪の民」を演奏することになった。6年生の初めのころに声変わりをした。他のメンバーのオクターブ下でしか歌えない。音楽の先生は一人だけ異質な声の存在に困った。結局、私はバス・ソロの部分だけを歌わせてもらった。“つれ〜たち〜て、舞い〜遊ぶ”・・・これだけ。
小学校のコーラス部では男子はもう一人だけで、あとは女子ばかり。おかげで女子恐怖症となり、中学は男子だけの慶應義塾普通部を選んだ。
【中学】
普通部でも社会科の先生の授業がお気に入りで、この先生の指導するコーラス部に参加。男子の中学生にはあまり人気の無い部活で、せいぜい10人くらいがときどき声を合わせた程度だった。指揮者は、部員の中で一番音程が外れる者が担当。幸い私には回ってこなかった。
普通部の時代に塾は100周年を迎えた。中学生も記念行事に参加することになり、各クラスからの選抜メンバーによる合唱団が構成された。日吉の大学の教室でアイルランド民謡「庭の千種」を演奏。ここでもソロの部分を歌わせてもらった。
コーラス部の練習中にたまたま普通部出身の先輩が来た。この大野
洋 先輩との出会いがその後の楽歴を決めてしまった。
【高校】
大野先輩からの引き継ぎがあったらしく、高校楽友会の2年生がクラス・ルームにやってきて入れと言われた。楽友会がどんなサークルか判らぬまま引きずり込まれた。
高校生でオケ付きのミサ曲に参加できて感激。小学校と普通部で楽典の基礎を学び、高校の岡忠さんの授業で和声学まで学ぶことができた。充実した音楽教育環境に感謝。
日吉祭をきっかけにカルテットを結成(トップ福井良太郎、セカンド池田龍亮、バリトン藤原隆義、バス長嶺隼雄)。女子大からの依頼がありダンス・パーティーで演奏。私だけまだ高校生だったので、先生に呼び出されてえらく叱られた。
高校3年で指揮者になった。伴有雄さんに指揮を見てもらった。定期演奏会では大中恩の作品を演奏。合唱団コール・メグの練習場で大中恩の指導を受けた。コール・メグへ参加しないかと要請があったが、大中さんの歌しか歌えなくなるので固辞。
【大学】
大学は工学部を選択。大学での楽友会活動は実質一年間だけ。2年生からは田舎(武蔵小金井)に島流しのため練習に参加できず。工学部の団員は総会の時だけ三田に顔を出して理屈っぽく意見を言う。「総会あらし」と呼ばれた。
大学でもカルテットに参加(トップ福井良太郎、セカンド池田龍亮、バリトン長嶺隼雄、バス永井潔)。ジャズ・ヴォーカル・グループのThe
Four Freshmenのハーモニーにハマった。
塾には邦楽の世界でかなり有名なサークル「竹の会」がある。友人の関係で定期演奏会にソリストとして招かれ、邦楽アンサンブルをバックに演奏。邦楽の仲間を得た。
【社会人】
創作集団「麗会」に参加。同人誌の発行、音楽会で創作曲の演奏や即興演奏活動。その後、麗会の音楽活動メンバーを中心に音楽集団「グループ・インテグラル」を結成。東京文化会館小ホールをメインの演奏会場として邦楽と洋楽の接点となるような演奏活動を継続。琴の伴奏で歌曲を歌ったり、邦楽オーケストラの指揮をしたり。
職場の合唱団にも参加、指揮者の一人として活動。その後、同じ芙蓉グループの合唱団メンバーを集め、芙蓉合唱団を結成。初代の指揮者を担当したが、クラシックから演歌までどんな曲もやらされた。
大野洋さん指揮の東京バロック・コーラスに参加。私も一度演奏会で指揮をさせてもらったが、その時は女声メンバーにお腹の大きな人がいたので、全員椅子に座って演奏した。
先輩から楽友三田会合唱団(MMC)への参加要請あり。中断していたMMCの演奏会を再開、初めは筑紫さん、伴博資さん、池田龍亮さんと私でステージの指揮を分担。それからは慶應義塾楽友会50周年記念演奏会(サントリーホール)、International
es Chorkonzart(ウィーン楽友協会大ホール)、150周年記念演奏会慶應讃歌グランド・コンサート(NHKホール)で歌ったり、指揮したり。
Four Re-Freshmen at AGFC
2011.7.2
(福井 池田龍 清水 池田進)
ジャズ・カルテットを再結成(トップ福井良太郎、セカンド池田龍亮、バリトン清水康昭、バス池田進)。Four
FreshmenならぬFour Re-Freshmenと名付け、寺田先輩のバンド・Five Brothersライブの付録として歌わせてもらった。
MMC男性有志が集まって男声合唱団「羅漢」を結成。羅漢の名の通りに団員全員の頭を丸坊主にしようと目論んだが、激しい抵抗があって断念。そのうち実現させるぞ。
そろそろ悟りを開こうと私自身は頭をまるめた。カトリック下井草教会の聖歌隊で奉唱することに専念するつもりでいるのだが、なかなか煩悩の整理ができず現在に至る。(2011年10月17日)
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