随筆コーナー
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京都慶應義塾記念碑 |
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<地名の重み> 京都府庁の所在地は 京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町 となっています。まわりは一般市民にとっては日赤病院があるぐらいで昔からの京都の街並みが続く住宅地と学校などにも囲まれた静かな京都の官庁街です。
京都の旧市街の住所表記・住居表示は、一般的に他の都市などで使われている、市の名前−区の名称−町名−丁名-番地−号<1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に準拠>というルールでは表示されていません。京都市では住居表示ルールが制度として導入されていないからです。旧市街においては郵便物のあて名などでは、区名−通り名−地域名(もう一つの通り名)−方角 で届きます。親切な表示の場合は、これに町名と番地を付け加えたりします。例をいくつか挙げてみましょう。 <京都の通りの名前の覚え方> まるたけえびすに おしおいけ 具体的には、丸太町通、竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通、姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通、五条通、雪駄屋町通、魚の棚通、三哲通、七条通、八条通、九条通、十条通 となります。 (歌詞と実際の通りにはいくつか省略などがある、例:魚の棚通りは六条通など複数の通り名の総称など。) 市街地の南北を通る道の名は 寺御幸 麩屋富 柳堺 通りの名をフル表記しますと次の通りです。 歌の歌詞は前後する通りや地名の名前の相互間において特別な意味のつながりがあるわけでもなく(一条、二条・・・は数字が増えるほど南方向になるが)それぞれの、漢字や読み方を知らなければ、ちんぷんかんぷん/珍紛漢紛な世界以外の何物でもありません。ところがこれを“てまり歌”として歌うと、通りの名前に関係する歴史などがよみがえってくるので、言語と抑揚、リズムの組み合わせで歌・音楽が創り出されるわけです。 尚、京都府庁の住所にある“下立売通”は前記の『まるたけえびす』の歌詞には含まれておりません。 京都の住民(昔から市街地に住んでいる家系の人)はこれらの”東西南北の通りの組み合わせに加え “上がる<北側> or 下がる<南側>” と “東入ル or 西入ル" で ほぼ正しい位置を特定することができます。また “上る、下ル、入る”などの“る、ル”表記の揺れは認められているようです。タクシーの運転手さんなどへ行き先を告げる時は前記の通り名のクロスとクロスさせての交差点の位置の東西南北を補完情報として加えるほうが便利です。例えば、「河原町三条下ル東側」ならば河原町通りと三条通が交差するところの南側(下ル)の(車線がある河原町通りの)東側ということで、簡単に頭の中で場所を描くことができます。ところがこの場所近辺の住所表記としての「京都市中京区大黒町40」(とあるビルの住所)といわれても、広い中京区のどこに大黒町という町があるのか? その住民と町内の人以外は知りません。まして40番地といわれても、それぞれの番地の位置なんて詳細な地図を見るか、交番に行って尋ねるかしないと場所はわかりません。google mapはまだ完全ではありません。 今回のマイナカードにおいての住所欄の字数制限44文字(半角不可)の欄内におさまらない京都の長い住所表示などは、コンピュータが一般データ処理に使われ始めた時点で、将来はどう取り扱いするかなどは50年以上前から検討しておくべきだったはずですが、異動でコロコロ担当が変わっていく現代の官僚システムでは、地方自治体との連携が必要な新たな住所表記ルールの策定は望めないでしょう。結果としてマイナカードでは別枠欄に住所の続きを表示することとなっています。 初代文部大臣で、商法講習所(現一橋大学、福沢先生も設立に協力されたとある)の設立者である森有礼氏の主張であった「英語を日本の国語に」(国語外国語化論:森氏の場合英語を国語とし、日本語は外国語扱いすべきという主張)は独りよがりであり世間はついていきませんでした。 一方では日本近代郵便の父である前島来輔(前島密 まえじまひそか 肖像画は1円切手に採用されている)が1866年の徳川慶喜へ建白した「漢字語廃止之儀」のように漢字の廃止論もおきたとのことです。 現代日本語は、漢字、平仮名、カタカナ、外来語のカタカナ表示、外国単語をローマ字読み的発音でカタカナ表示、ローマ字、外国語のそのままの表示(主にラテン・アルファベット系)、日本語を基にしているとおもえる単語のアルファベット表示での外来語化、最近では絵文字があり、句読点や引用符の用法により、目で読み、手(もしくはワープロ、点字)で書き、口で話し、耳で聞き取る、点字の場合は指先で判別することで、そして手話、ボディの動作を含めて、類まれな多様性を持ち優れた伝達力を持つ言語になっていると考えます。欠点としては、漢字の読み方と書き方、筆順と、表意文字であるがゆえの含まれる意味を習得するには膨大な学習時間と努力が必要であり“漢字が読めない”ことが恥ずべきことではなくなっていることです。また文では主語がなくても文章が成立する、もしくは主語が誰かわからない場合があることです。また、少し前の時代には使われていた、くずし字や流れ字は現代の日本人は読むことができないで構わないという教育制度となっており、日本の文化や歴史を少し掘り下げて調べたいときに、とたん“文字が読めない”文盲であることに気付き愕然となるわけです。 日本では世界各国の音楽、とりわけ西洋音楽、また世界各国の料理を、それも場合によっては本場以上のレベルで楽しむことができます。宗教上の制約があまりない緩やかな日本ですが、トルコやフィリピンやインドネシアのようにラテン系のアルファベットを国語の文字に採用した国もあります。 郵便番号は郵便局の都合が優先されるため、同じ郵便番号でも違う府県を跨って附番されているケースもあります。NTTの市外局番では、兵庫県尼崎市の市外局番は大阪市の局番と同じ”06”です。住所表示や分類にはぞれぞれの事情と歴史が背景にあるわけです。 戸籍上の個人名の漢字の読みや命名に厳格なルールがないことにも共通するのですが、日本の住所表記、とくに漢字表記の地名の読み方は、知らない人にとっては、読めないことが多いという大きな問題があります。漢和辞典で調べても地名の読み方が示されていることはめったにありません。ぶ厚い地名辞典やWikiなどの助けでもってようやく該当の自治体の名称や概要を知ることができます。日本人なら辞書を引いたり漢字を検索欄やオンラインの地名辞典サイトで検索することも可能ですし、郵便番号などを検索するか、日本語入力システムで手書き入力手法を使い漢字を検索してようやく読み方を知ることもある程度までは可能です。ではパソコンなどでの漢字検索や漢和辞典での検索ができない外国の人は日本の漢字地名の発音をどうすれば知ることができるのでしょうか? 日本における中国や韓国の人名や地名はようやく、現地語に近い発音をカタカナ表記もしくは英語読みでのアルファベット表示を併記するようになってきました。 場所の呼称に固有名詞を借用することもあります。地名表示を無理に平仮名の表示にすることはあまり意味がありません。それは漢字表示の背景にある歴史と文化の否定につながるからです。“さいたま市”を採用された方々なら同時に“さいたま県”へ県名の表記を変える動きを何故されなかったのでしょう? さいたま市以外の県下の市町村にとっては県名を平仮名にする変更の理由が見当たりません。“埼玉県さいたま市”が採用された理由とされている考え方は、 京の都という地名を“京都府きょうと市”に変更しようとするへそ曲がりな考えに通じるのでしょうか? “都をどり”を“みやこおどり”と間違って書けば京都では暮らしていけません。 四国の“讃岐国”は主に香川県をあらわす地名で制度上での名称でもありました。四国の“県”の移り変わり一つとってみても日本の社会、統治機能が苦労して作り上げられてきたことが解ります。香川県は現代日本で最後にできた県です、しかし由緒ある“讃岐”という地名をわざわざ平仮名の“さぬき”に表記して用いる積極的な理由はあるのでしょうか? 漢字が書きにくい?ことが理由でしょうか? 現実に“さぬき市”という平仮名の自治体ができてしまいました。さぬき市は高松市の東にあり、人口約4万5千人の自治体ということです。香川県は自称“うどん県”であり香川県の公益法人である観光協会ですら「讃岐うどん」と、“さぬき”を漢字の“讃岐”と表示しています。“さぬきうどん”の表示だと、それこそ“何かが”が抜けている手抜きうどん、と受け取られかねないからでしょう。 あきる野市は何故“五日市秋川市(もしくは秋川五日市市)”としなかったのでしょう?“市”文字の重複を避けたのでしょうか?そうだとすれば“市が立つ日”という意味を大切にしないことになります。漢字の文字数が少し多いかもしれませんし、“あきるの”の基となる地名の解説も理解できるのですが、あきる野市に対してはたいへん失礼かもしれませんが、私は、つい“アヒルの市”とフォア・グラ用か中華料理用の卵のための鳥の養殖が盛んな地域か?と連想してしまいます。冗談ではなく表記と発音がいかに大切かということです。“つくば市”となると国家プロジェクトである「筑波研究学園都市」と自治体の名称決定の距離感を感じてしまいます。いくつかの町などの合併で生まれた自治体の市ですが、“つくば”とわざわざ平仮名表記する積極的理由はありませんし、平仮名にしたら国際性や斬新さが高まるわけでもなかったとおもいます。街づくりの核となった国立大学法人筑波大学は日本語の表示は漢字のままです。都内にある附属高校の略称は“筑附”です。さらには、”みらい”を付け加えた“つくばみらい市”(人口5万1千名)となると“つくばエクスプレス”という近未来を連想さす鉄道新線名もあり、知らない人にとってみれば、ヴァーチャルな仮想未来都市が頭に浮かぶかもしれませんし、トヨタが実現に向けて努力している未来都市(裾野市)までを連想するかもしれません。“つくばエクスプレス”の宣伝文句は“ITの街秋葉原と研究都市つくばを結びつける新線”とのことですが、種々の電気製品や電子部品の小売業が集積しサブ・カルチャーの街でもある秋葉原が何時からIT産業の街になったのでしょうか? ビルを建てていくつかのIT関連企業がそれらのビルに入居したから秋葉原がIT産業の中心地になったとは誰も考えません。災害への対応が必要なデータセンターや、IT産業の基となる電子部品や半導体関連製品の開発や製造は秋葉原のビルの中では無理なことぐらい小学生でもわかります。デヴェロッパーが自治体などと共同行う再開発ではいろいろなセールストークが考え出されますが、何事にも節度が必要だとおもいます。 “三越前”のように鉄道駅、 “都民農園セコニック”(露出計のメーカー、西武バス)のようにバス停に企業名が採用される場合もあります。トヨタ自動車の本社は愛知県豊田市トヨタ町1番地であり、この場合、市の名前も“挙母市(ころもし)から豊田(トヨタ)市に変更されています。大阪府池田市にはダイハツ町1番1号にダイハツ工業が本社を置いています。ある損害保険会社の社名には日本語では“東京”という文字が使われていますがアルファベット表示では英語以外の表示を考慮して“TOKIO”が採用されています。“TOKIO”となれば1980年の沢田研二のヒット曲の「空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突き抜け 星になる・・・・・・・ TOKIO TOKIOが空を飛ぶ」という景気の良い歌詞でバブル景気を予感させていました。 “六本木男声合唱団”(現 六本木男声合唱団ZIG-ZAG)という名前は知る人ぞ知る存在です。2005年のことですが、カストロ政権下 のクーバの首都アバナ La Habana を旅行中に、あるホテルでクーバとの友好を深めるためのこの合唱団の演奏旅行御一行と一緒になったことがあります。楽しい個性をお持ちの方が多数在籍されている合唱団との印象を受けましたから、どちらかというと飲み屋街、業界人の街をイメージする地名を団名とするこの合唱団の私の印象は悪くありません。 同じ志を持った人たちが集う場所・地名は単なる物理的な位置表示ではなく、歴史と文化を示す存在になるわけです。 私たちが属する「楽友三田会」は会員のアイデンティそのものを表す名称だと思います。
京都府庁の建物については下記リンクをご覧ください。 <京都慶應義塾跡記念碑>
碑の背面には下記の文が刻まれています。
現代訳にしますと、 **の字は異字体のようです。この山本氏はどういう人なのかは調べたのですが、詳細は現時点では不明です。
塾当局が発行する、「塾」 第60巻第四号(通巻 第三一七号) 二〇二三年一月一日発行 の「ステンドグラス」にて ネット上では京都慶應義塾の分校については塾当局の説明がアップされています。 大阪慶應義塾跡記念碑を私が訪れた時の映像などについては 京都府庁の建物も手狭になったりで現代建築の庁舎などが建てられてきました。昭和四六年まで府庁舎として使用されていた建物、京都府庁旧本館は現在は重要文化財に指定されていますが、現在は一般に公開されています。 <文化庁>
京都府庁がある敷地内に、京都府が使っていた建物、詳しく言えば京都府庁 第3号館 第4号館に本年2023年(令和五年)5月、文化庁の本庁機能が東京から移転してきました。
文化庁が属する文部科学省は、学校教育からロケットの開発までを担当としていますが、文化行政というのは国民、市民の日々の生活の中で生まれてきて大切にされてきた文化を扱う役所であり、食文化から著作権まで幅広い対象を管轄としています。刷毛で土を払いながら遺跡を発掘して調査や研究を実際に行う研究者と、統べる官僚の仕事の内容は大きく異なりますから“現場主義”、“現場に近いところで仕事をする”ことで文化行政の質を高めるために京都に移転されたと単純に受け取ってはいけないと思います。むしろ、ビジネス中心で霞が関への通勤も過酷な関東圏での生活では文化教養に親しむ余裕が失われがちな行政官の生活において、伝統や老舗、宗教、最先端を行く世界的企業などが本社を置く多重多層にわたる密度の濃い、歴史の重みを自ら味わうことができる京都で、日本の文化行政がどうあるべきかを考え、政策を立案できる人材が育つことが移転の大きな目的だと考えます。単純に文化イコール実利的な観光振興、を京都移転の目的にあげるのはおかしいと思います。独立行政法人国立文化財機構となった国立博物館は文化庁の所管ですが独立行政法人であるがゆえに、東京の博物館では日常の光熱費にもこと欠き、クラウドファンディングを募集したことが最近ニュースとなりました。日本の文化行政は国家財政にゆとりがないことの皺寄せも受けています。日本国憲法第25条、および生活保護法などでは“健康で文化的な最低限度の生活”が国家・国民の義務と権利として述べられています。 海外からの音楽家の日本ツアーや、美術・絵画の展示会などの多くは東京と関西(出演の音楽家や関係者の京都観光も極東ツアーの魅力の一つとして招聘に必要な項目なのだろう)で開催されます。文化を具体的にあらわす種々雑多な生活用品の小売業や展示会、料理店、演奏会などは東京圏と比較すれば数だけみれば京都は少ないのも事実ですが、音楽専門の公立高校や東京と肩を並べる美術系の学校など、アニメを勉強する大学など東京一極集中に巻き込まれていない特色をもっているのも京都です。京都市交響楽団は現在は法人の経営となっていますが最初は自治体が設立した京都市直営の公務員オーケストラでスタートしています。私が若い頃は、本年七月に亡くなられた外山雄三さんが常任指揮者をされていました。外山さんの就任にあたっては、新しい音楽を作ろうとする外山さんの姿勢に対し西洋音楽に疎い京都の財界保守勢力から的外れな意見が出たことも覚えています。
COVID-19の終息が近づきオーバーツーリズムの再来で京都の市民生活は再びかき乱され悲惨な状態になっています。金閣寺方面行きの市バスなど途中で下車する人がいなければ、始発のバス停以外で乗車できるチャンスがほとんどないほど超満員、街中では生活物資を扱っていた近所の小売店が観光客向けの土産物屋や小規模ホテルにかわってしまい、日常の食料品を買うのも割高なデパ地下に行かなければならない地域が市の中心部に生まれてくるなど、実のところ京都の旧市街の中心部や観光名所は京情緒を味わうにはほど遠い街と化しています。そのような京都を訪れられる場合、京都御所周辺は伝統ある建物や各種の老舗もあり京都らしさを残している区域です。外国人観光客でごった返す観光名所を避け、義塾分校の跡をたどり、名建築と文化行政の片鱗に触れるのも京都の魅力の一つと思います。 (2023/8/21) ■ ■ ■ ■ ■ |
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