随筆コーナー

倉吉市「招魂祭」実行委員長挨拶原稿

令和5年4月15日(土)


土井承夫(24期)


春の明るい日差しが降り注ぐ爽やかな気候となりました。

私は招魂祭実行委員長を拝命致しました遺族会会長の土井承夫でございます。

一言、皆様にご挨拶申し上げます。明治29年(1906年)東伯郡招魂社として設立され、以来120年に喃々ナンナンとするこの鎮霊神社に戦没者ご遺族の皆様と多数のご来賓の皆様のご参列を得る事ができました。只今より平和の祭典・招魂祭を挙行させて頂きます。


鎮霊神社本殿

苛烈を極めた先の戦争で祖国の安泰と繁栄を願い、最愛の家族を案じながら戦場に散り戦禍に倒れ、あるいは戦後はるかな異郷の地に亡くなられたその多くの方々のご心情とご無念を思う時、戦後78年経ってもその深い悲痛の思いは胸に迫って参ります。戦没者各位の御霊に対して皆様と共に謹んで哀悼と慰霊の誠を捧げたいと存じます。

一方、最愛の家族を失い、癒える事のない悲しみを胸に、今日に至るまで長く苦しい日々を過ごしながらも地域社会に多大の貢献をして来られたご遺族の皆様に対し、改めて心からご慰労申し上げるとともに敬意と感謝の意を捧げます。

先日のあの野球WBCで世界一になった日本チームの栗山英樹監督が師と仰ぎ栗山野球の全ての思想を貫いているのが、あの「三原マジック」で有名な西鉄ライオンズの三原 修監督の指導方針です。三原監督は昭和12年の日中戦争に徴兵され、ビルマ戦線へ曹長として赴きました。そこで人間がいざという時どういう行動にでるかなど沢山の事を学び、それを命からがら復員した後、野球の作戦に取り入れました。その指導方針の全てを生かしたのが今回の栗山采配でありました。この様に戦没者や戦争体験者の遺訓が、今の世の中の指針となっている例は多々あると想像致します。

私たちが当たり前の様に享受している「平和」、その「当たり前」は、祖国の為に命を捧げた戦没者の尊い犠牲の上に築かれている事を決して忘れてはなりません。

戦没者各位の御霊がとこしえに安らかならんことを願い、また、ご参列頂いたご遺族ご来賓の皆様のご平安を心から祈念申し上げます。

本日は、ご参列賜り誠にありがとうございます。

以 上

(2023/4/15)

    


土井承夫委員長      


これならヨっさんが見える

◆  

新聞の切り抜きに続いて、フォト「ヨっさんの春」がやって来ました。


しだれ桜


芝桜


日本海

(2023/5/1)


編集部 鳥取県倉吉市鎮霊遺族会会長土井ヨッさんから、4月15日に開催される戦没者慰霊の「招魂祭」で、招魂祭実行委員長としてのご挨拶の原稿が送られて来ました。

昨年11月から、ヨッさんは倉吉市内にある学習塾予備校に英語・数学の教師として採用され中高生のクラスを担当しております。先月3月6日の中3クラスの生徒に「県立高校入試に向けた激励文」を作成し配りました。

⇒ 激励文

(2023/4/13・かっぱ)

4月21日の日本海新聞に招魂祭の記事が掲載されました。ヨっさんから新聞切り抜きを送ってきました。

(2023/5/1・追記)


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