リレー随筆コーナー

伊勢物語を市内ウォーキングで愉しむ


田中 博(20期)



松ノ内緑地(公園)に平成三年に建てられた歌碑

平野部の桜の季節が終わりつつある四月後半となりました。私が住んでいる兵庫県芦屋市には伊勢町(いせちょう)、打出小槌町(うちでこづちちょう)、公光町(きんみつちょう)、親王塚町(しんのうづかちょう)、月若町(つきわかちょう)、業平町(なりひらちょう)、など、お目出度い町名が残っています。ここに記した地名から想像することといえば、むかし、高校時代の古典授業で習った「伊勢物語」でしょう。「昔、男ありけり」などで始まる平安朝のプレーボーイの物語です。

芦屋市内には、平城天皇の第一皇子であり藤原業平の父親の墓と言われる阿保親王塚古墳(翠ケ丘町 みどりがおかちょう)、や阿保山親王寺(あぼさんしんおうじ、打出町)、月若町には「業平大神」「公光大神」という多分、後世の誰かが建てた祠もあります。それぞれの場所や伝承については変遷があったようですが・・・。


山手幹線(道路名)近くにある阿保親王塚古墳(翠ケ丘町)。長州の毛利氏が整備したとのこと。


阪神電鉄本線打出駅の北にある、春日町と打出小槌町の角の歩道上にある阿保親王廟の所在を示す碑。
阿保親王塚古墳はここから北へ約600メートルほど離れているところにある。


JR芦屋駅のすぐ西には六甲山系から大阪湾に流れ込む芦屋川はJR神戸線(東海道本線の一部)の線路の上にかかった橋の上を流れています。いわゆる天井川となっているのですが、川に沿った“業平さくら通り”の大正橋近くにある松ノ内緑地という名の小さい公園(丸紅を創業した伊藤長兵衛が作った芦屋仏教会館を中心とする崇信会の幼稚園の跡地)には伊勢物語八二段にある、誰もが一度は読んだことのある

  世の中に 絶えて桜のなかりせば 春のこころは のどけからまし  

が刻まれた歌碑(平成三年五月建立)があります。伊勢物語では、これに続き、
 
  散ればこそ いとど桜はめでたけれ うき世になにか ひさしかるべき

が、詠われています。

この段のストーリーは芦屋ではなく、京都と大阪の間にある“山崎”(大阪府三島郡島本町、サントリーウィスキーの工場がありウィスキーのブランド名でも知られる。隣の地域は”大山崎”であり大阪府三島郡島本町となりアサヒビールの大山崎山荘がある)、この山崎の先にある水無瀬(みなせ、大阪府三島郡島本町水無瀬、阪急京都本線には水無瀬駅がある)に別荘を持っていた惟喬の親王(これたかのみこ)が、桜の季節に水無瀬の別荘で過ごすときに業平などが親しくお供をし、酒宴と詠歌にあけくれたとのことです。そして桜が美しい、淀川の対岸(東側)にある交野(かたの、昔の大阪の北河内郡きたかわちぐん、現在の枚方市(ひらかたし)や交野市のある地域)にある鷹狩りの場にハイキングをして、酒宴の席で、桜の枝をかざしにさして詠んだ歌の物語がこの八二段です。芦屋の桜をみて詠んだ歌ではないのです。

私が会社勤めをしていた時代に、四年ほど京都の大徳寺に近いところにあった事業所に通ったことがあります。その事業所の住所表記は京都市北区紫野雲林院町83番地でした。寺院の雲林院は二た筋(通り)違いの23番地です。「雲林院」(うんりんいん、うりんいん)は能、謡曲としても知られていますが、現代的に解釈すれば、芦屋にすむ公光という伊勢物語の大ファンが京の紫野(むらさきの)を訪れ、夢の中で藤原業平とおもわれる人物の恋物語をたのしむというストーリーです。


月若町にひっそりと小さな「業平大神」「公光大神」の祠がある

手元に残っていた、鞄栄社(神田錦町)という出版社の「学習受験伊勢物語」(昭和三九年 35版発行)を50数年ぶりに読み返してみますと、中身の殆どはTVも電気照明もない時代の楽しみ、すなわち、かなり際どい男女間についての和歌集であり、高校生にとっては少し刺激が強い内容であったかもしれません。

藤原定家による「天福本」で少し引用してみましょう。

八七段には、

昔、男、津の国菟原の郡芦屋の里にしるよしして、行きてすみけり、昔の歌に、

  あしの屋の 灘の塩やきいとまなみ つげの小櫛も ささず来にけり

とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ芦屋の灘とはいひける。

とあり、

九〇段には

   さくら花 今日こそかくも匂ふとも あな頼(たの)みがた 明日の夜のこと

などの艶っぽい話が満載です。

芦屋川と国道2号が交差するところに業平橋があります。このすぐ近くには芦屋市民センター(ルナ・ホール他、坂倉建築研究所の設計)や仏教会館、そしていくつかの素晴らしい建築の民家が建っています。

業平橋周辺は芦屋市の文化ゾーンであり多額納税者の邸宅がある地区です。無電柱化はもちろんのこと既存の樹木をそのまま活かすために、歩道の真ん中に樹が残っていたりします。桜並木はこの橋から山側(北側)の山裾のあたりまで続いています。


安っぽいイメージでのブランド戦略というか、郷土史の強引な関係付なのでしょうか行政も住民も、なんでもかんでも業平と桜とを売り物にしたいということなのでしょうが、正しい説明をされているところもあります。町名にある伊勢町なのですが、伊勢物語の“伊勢”(この呼び方も明確ではないが)ではなく、むかしからあった、伊勢神宮への集団参拝、今で言うところの町内会の団体旅行を組織運営する、地域の“伊勢講”があり、そこから生まれた地名だそうです。

芦屋の東隣りの西宮市を山(北)から海(南)に向かって流れている夙川(しゅくがわ)の川沿いの桜もきれいに整備された遊歩道が続いているため「日本さくら名所100選」にも選ばれていますが、悪乗りした地元とJRが、JRが対阪急・阪神との競争のため駅を新設したときの駅名を「さくら夙川」としています。この駅自体は川沿いの桜並木から少し離れた立地でありデザイン的にも陳腐なものであり、南方向約6百メートルほどの川の上にホームがある阪神電鉄本線の香櫨園(香枦園)駅(こうろえんえき、駅名の謂れは省略)のほうが、デザイン的にも圧倒的に優れています。世間で言われる”阪神間は山側(阪急電鉄側)が高級、海側(阪神電鉄側)は人口密集地”という言葉は、不便なため残っていた山側を開発し販売するために作られたセールストークであったことがよく解ります。

松ノ内緑地の直ぐ側に架かっているJR東海道本線(神戸線)の線路の上に築かれている、芦屋川の岸の部分となっている、“ふれあい橋”と薄く刻み込まれた桜の花とあまりきれいではない色の桜をモチーフにした腰壁部分。この橋の部分は芦屋川が平地より、せり上がっていて、平地よりも高い場所を流れている天井川となっています。橋のネーミングといい桜の描き方といい、稚拙なデザインと思えます。


芦屋川沿いの名所旧跡の案内図

実は現在の芦屋川自体はそうきれいな川ではありません。六甲山系は花崗岩でできていますが、花崗岩が風化すると崩れやすい粗い砂となります。雨がふるたびに山の土は真砂土、マサ土(まさど・まさつち)となって下流では堆積していきます。そして海からそう遠くないところにある阪神電鉄芦屋駅のあたりで、水量が多くない時は川の水が完全に地下に染み込んでしまいます。下流では年の約三分の一以上は水無川で砂と雑草が生い茂る荒れた景観となります。溜まった砂は浚渫すればよいものなのですが、小動物や植物などの“自然を守る”団体の運動も盛んであることや、管理が県となっていることなどから、川べりに生えた雑草は大勢の市民の目に入る花火大会の前に、年に一度の市による雑草の刈り取り作業、河床に生えた草は冬枯れの季節に、年に一回おこなわれるだけです。浚渫は10年に一度ほどしか行われていません。よってきれいな散歩が楽しめる川沿いの場所は堆積物が少なく、河床が石畳などになっている業平橋より上流の短い区間に限られています。また現在、桜が植えられている岸も昔は松並木だったそうです。度重なる水害を防ぐため、川べりに杭を打つ補強工事がおこなわれたときに松の木は切り倒されてしまったそうです。現在の桜は1945年に市民の手で植えられたのが始まりだそうです。

昔の話しになりますが、地方創生策として、公民館や公共ホールがあちこちに建設された時代がありました。私がつとめていた企業のある部門はそれらのホールや会館にステージカーテン(緞帳)を製造し納入していました。その部門を担当したことはなかったのですが、制作途上の工程に接する機会も多く、現代の商業美術工芸品については専門知識ほどではないにしろ、簡単な営業トークを勉強したこともありました。図案においては著名画家の原画を使わない場合は、インハウスデザイナーが絵を描くのですが、それらの題材の大半に共通するのが、“うさぎおいしふるさと、山や川や海、美しい風景、そして明るい街の姿”という、想像力に富んだ学童が考えるレベルとは程遠い、ありふれた題材を描いたものが結果的に多く採用されていました。デザイナーは発注者の希望を聞き出し、詳細な打ち合わせをおこなったうえで、描く主題、副題を決め、いくつかの原案を作成したのち発注者に決定を委ねるステップを踏みます。原画の決定には発注者、概ね自治体の担当部署とその上席者、議会の有力者、地元政治に影響力のある後援者などが影響力を持っているはずで、住民の民意を取りまとめる組織活動でもって決定されるのが普通です。よって“みんなまわるく、われらがホール”、できるだけの意見と題材を盛り込み、文句が出にくい題材に落ち着くということになりがちです。せっかくの地方文化の良さを自ら捨てていくことが多いのが現在の地方再生の流れです。景観条例が定められる街も多いのですが、街づくりはプロの意見や識者のアドヴァイスをもとにおこなわれることになっていますが、そのような人の大半はその街で生まれ育っていないわけで、どうしても教条的、教科書的な誘導で方向を取りまとめようとしがちです。役所に勤める担当の公務員の方や、審議会のメンバーとなられる方たちの文化教養度が、長い目で見ると良い街を造る基本となるわけであり、公共政策に関係する人は絵画や音楽にもっと親しんでもらいたいものです。特に音楽はソロや共同での音作りの双方に親しんでいる人は、街の中の様々な事象の一つ一つを把握、理解したうえ、それらをつなぐ方法や空間や時間軸を考えられるはずです。

来年の春こそ、マスク無しで桜を楽しみたいものです。


阪急電鉄芦屋川駅の北(山側)にある開森橋(かいもりばし)から芦屋川の上流を眺める

六甲山頂は写真に写っていないが、写真の左上の枠外のあたりになります。阪神球団の歌(本拠地は西宮市甲子園、かなり離れている)”六甲おろし”はこの山系から吹いてくる北風です。(2022年4月21日)

    


編集部 芦屋から田中 博原稿が送られてきました。バトンなんか受け取らなくても、こうして管理人が原稿を欲しがっていることが匂うのでしょう。楽友にはそういう人物が何人もいるのです。

編集部孝行といいます。

芦屋川に業平橋が掛かっていますが、東京にも業平橋があります。在原業平が溺れて死んだ地なのです。かつては神社もありましたが、東武鉄道は「業平橋」という由緒ある駅名を「とうきょうスカイツリー」なんていう薄っぺらい駅名に変えてしまいました。だから、かっぱはスカイツリーに行くときは、浅草から東武鉄道には乗らず、半蔵門線で押上駅から行くことにしています。展望台のレストランに予約すると、専用エレベーターで待ち時間がうんと短くなります。お勧めです。

4月17日、山形市の桜がまさに満開でした。この桜トンネルを車で通り抜けました。この地域を馬見ケ崎といい、河原で芋煮会が有名です。

(2022/4/21・かっぱ)


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