パンデミックの大嵐が吹き荒れた2020年も、あと数日を残すのみになりました。今年を振り返り、近況などを綴ってみたいと思います。少々お付き合いください。
ジュン葉山という名前でシンガーソングライターをしております。音楽業界も早々にコロナの直撃を受け、私もライブ活動など出かけることの多かった生活から一転巣籠りとなりました。今まで味わったことのない閉塞感の中、唯一コロナの脅威を忘れて没頭できたのが曲を作るということでした。
これまで長年ジャズシンガーを志してきました。幸い師匠や仲間にも恵まれ順調に活動してきました。が、次第に自分の思いを正直に表した曲を自由に歌いたいとの気持ちが高まり、一念発起してオリジナル曲を作るようになりました。
とはいえ、作曲など習ったこともないし、伴奏は全てお任せしていたので楽譜を書くのも弾くのも一苦労。それでも、少しずつ曲が溜まってきました。
そんな折り、2019年秋に地元の逗子文化プラザにて開催された「昭和・平成・令和をつなぐブリッジコンサート」に出演し、オリジナル曲を発表する機会を頂きました。予想外に大きな反響を頂きこれが私の中で大きな転換点となりました。
年が明け気持ちも新たに曲を考えていた矢先、世界中からコロナのニュースが広がってきました。中でもびっくりしたのがアメリカの惨状です。
小学校の女友達がニューヨークでジャーナリストをしています。いつも気丈な彼女でさえも、連日連夜救急車のサイレンが響く中での隔離生活はよほど辛かったんだと思います。日常の心細さを生々しいまでにSNSに上げるようになりました。
そんな彼女を気遣い、同級生仲間が彼女の実家のそばの満開の桜の写真をグループラインにアップしてくれました。それを見た彼女が今度は自宅近くの桜の写真を送り返してくれました。
この桜のやり取りから、「私たちは桜を見れば心が一つになるんだ。どんなに離れていても心が繋がっていればいつか必ず会えるはず」という思いが沸き上がってきました。
それから数日後、ジャズドラマーのサバオ渡邊さんから、「コロナに負けるな応援ソング」を作ってもらえないか、という依頼がきました。すると突如、桜の写真が心に浮かび、噴き出すように出来たのが「桜はまた咲く」という曲です。
YouTubeにアップしてすぐ彼女に連絡すると、公園の桜の下で聴いたら涙が出てきたよとの嬉しいメッセージが届きました。また湘南ビーチFMという地元の放送局からもお申し出を頂き番組で放送して頂くことができました。
その後、国内でも感染者が急増し、非常事態宣言が発令されて街中から人の姿が消えました。そうなると日本人特有の同調圧力とでも言うのでしょうか、自粛警察やSNS上のバッシングなどが横行し、更にストレスフルな世の中になりました。重たい気持ちを吹き飛ばしたい思いで書いた「ロックダウンされてもないのに」など細々と曲作りをしてはYouTubeにアップすることが続きました。
すっかり巣籠もりが身に付いた夏、今度は突然、頚椎症で身動きが取れないほどの激痛に襲われ、それが収まった後は腰痛がひどくなりました。運動不足による筋力低下でした。これでは不味いと、猛暑の中一念発起。身をかがめて靴紐を結ぶのもやっとの状態でしたが、近所を朝、夕方、夜にお散歩することを日課にしました。ちょうど住宅地の端っこから富士山の絶景を見に行くのが楽しみになり毎日続けていくうちに腰の痛みも改善してきました。
コロナ禍で様々な制約はありますが、拙い曲を聴いて頂き共感してくれる人がいるという喜びを知り、毎日富士山を拝む楽しみも増えました。
世の中は少しずつ動き始めました。が、私はもうしばらく巣籠もりして歌詞と曲と格闘する日々を続けることにします。一日も早く晴れやかな気持ちで、歌える日が訪れることを願って止みません。
(2020/12/26)
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