リレー随筆コーナー
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「やすらぎのハーモニーのシオサイです」のトークで始まる「シオサイ・ライブ」を始めて2020年で15年を迎える。その間、ライブ開催34回、レパートリー106曲となった。 1960年代のPPM(Peter,Paul&Mary)に始まり、Simon & Garfunkel、「22才の別れ」や「なごり雪」等の1970年代のフォークソング、そして1980年代のニューミュージック、最近ではAKB48に米津玄師の「パプリカ」も演奏する所謂「おやじバンド」であるが、ロックとは異なり繊細なギターアンサンブルにのせてハーモニーを奏でる癒し系「フォークデュオ」である。 この15年を振り返りつつ、 @シオサイ誕生 A職場の仲間と共に BViva!青春ライブ について記してみたい。
@シオサイ誕生 小説「半沢直樹」等、銀行出向者とプロパー社員は対立的な関係に描かれることが多いが、我々は違った。同い年、かつ中学2年でギターを始め、学生時代、PPMやフォークソングの弾き語りに夢中になった共通点は多く、すぐに意気投合した。 私は、塾高および大学で合唱を楽しむ一方、自宅でギターの弾き語りを趣味としていた。また、塩田氏は、高校はフォークソング同好会、立教大学ではマンドリンクラブのギターのパートリーダーを担当していた。 懇親会では「あの素晴らしい愛をもう一度」「白いブランコ」「風」「イムジン河」を演奏し拍手喝采を浴びた。一緒に歌い出す社員もいて懇親会は大いに盛り上がった。 会社の懇親会というのは面白いもので、業績が低迷していると懇親会もとげとげしく、時として喧嘩も生じる。また業績が順調な時は一層盛り上がる。あの懇親会以降、社内にいわゆる「ワン・チーム」感が醸成され、会社の業績も上向いていった。そして2年間の出向の後、私は銀行へ戻り、送別会も自然と「さよならライブ」となった。 A職場の仲間と共に 更に、2008年より銀行の後輩がベースギターとして参加し、三人の「フォークバンド・シオサイ」がスタートした。銀行の職場の仲間を観客とし、20〜40名程度のライブハウスで年4回のフォークソングライブを精力的に行った。 2011年、東日本大震災の1ヶ月前、二人のメンバーからそれぞれに「ガン治療」の為のバンド活動休止の申し出があった。私は落ち込み、ギターを手にすることも少なくなった。 震災後、節電でやや薄暗い病棟を見舞った時、塩田氏より「ベッドで寝ていると色んなメロディーが浮かんでくるんですよ。それを書き留めて、オリジナルもいいかなって思って・・・」音楽に対する前向きな気持ちに逆に私が元気をもらった。 幸い二人とも、それぞれのガンを克服し、2011年秋に「復活ライブ」を開催した。 銀行の仲間が数多く参加してくれて賑やかなライブになった。何よりも、また三人でバンド演奏できる喜びで一杯だった。 プログラムも中盤の演奏中、職場の二人の女性が大きなパネルを掲げた。パネルには「シオサイバンド、復活ライブおめでとう!」目頭が熱くなり楽譜が曇った。
職場の仲間を観客とするライブは、2014年からは銀行に加え食品会社の仲間も加わり、毎年6月の「紫陽花ライブ」として続いている。縁あって共に働いた仲間が、我々の退職後もライブに集まってくれることに深く感謝している。 BViva! 青春ライブ その年の9月、その仲間(高校楽友会7〜10期)に声を掛けて、「シオサイの同窓会・青春フォークライブ」を企画した。相棒・塩田氏も立教大学マンドリンクラブOB・OGの仲間に声を掛けて、まさに慶應・立教合同同窓会のように盛り上がった。 我らシオサイのライブにはいくつかの特徴がある。1つはどんな曲も1部分でも必ずハモること。冬のソナタの主題歌「最初から今まで」でも、スマップの「夜空ノムコウ」でも自分達なりのハーモニーを作ってハモる。これは楽友会で鍛えられたスキルかもしれない。 2つ目は、使用するギターと弦。フォークの定番はエレ・アコースティックギターで、スチール弦になる。例え、原曲がそうであっても我々はナイロン弦を使ったエレ・ガットギターで演奏する。その方が、音が柔らかくなりハーモニーとマッチするからである。 3つ目は、必ず「皆さんご一緒に!」のステージを設け、観客の皆さんと一緒に歌うことである。共に「歌う喜び」を味わって頂きたいと思うからである。 時は流れ2019年11月、8回目のシオサイ「青春(同窓会)フォークライブ」を開催した。 前年、意見の相違よりベースギターの後輩が離脱し、結成当初の2人になってから初めての青春ライブであり、プログラムが寂しくなることが危惧された。 シオサイの曲目は、 そんな中、立教大学マンクラOB・OGの有志が賛助出演をしてくれた。曲目は, また慶應高校・女子高楽友会OB・OGも、 「大地讃頌」では、いつもライブの受付やビデオ撮影でサポートしてくれる家内や娘に加え、娘婿、姪までが一緒にステージで歌ってくれ、私は久々の指揮をしながら感無量であった。
今回のライブを通して、7年前に始めたシオサイ「青春ライブ」は、もはや我々シオサイだけのものではなく、家族の支えの上に、青春時代を共にした音楽の仲間が集い、また新たな絆を生み出していく「みんなのライブ」に成長したことを実感した。ライブに参加してくれる後輩の言葉を借りると、 「これで老後は怖くない」 バトンは高校楽友会8期の野村 豊君へ渡しました。(2019/12/17) ■ ■ ■ ■ ■ |
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