リレー随筆コーナー
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0.高校時代 これが私の合唱との出会いである。 1.大学時代(1960年4月〜1961年3月)
大勢の同期がいたお蔭で、後に楽友三田会に所属しても違和感はなく、長続きしたのだろう。 A湯田中の夏合宿での高校生との出会い B春休みの中国地方の徳山での演奏会 |
我々が在京であったので、我々の親の助けを含めて大勢の地元の人にお世話になった。同期では地元の商工会に顔の効く人もおり宣伝ポスター、広告取りを、その他プログラムのデザイン等は私が作成、渉外等手分けして進めた。入場券の販売も順調で、皆さんに協力してもらったお蔭でこの演奏会は成功裏に終わった。私は地元出身ということで良い思いをした記憶がある。
こうして私の春休みは地元公演というおまけ作業を終えて、武蔵小金井行きとなったのである。 こんな徳山演奏会という大仕事を1年の時に頼まれたのも、今の私に繋がっているのかもしれない。 2.その後 3.同期の楽友会仲間の存在を知る ある年の機械科同期会が終了し、帰宅時のエレベータの中で同期の堀君が何を思ったか、「市村君は1年の時に楽友会にいただろう」と突然声をかけてくれた。その時、私は夏合宿の時の堀君の格好いい姿を思い出した。彼が楽友会同期の仲間は時々集っていて、藤吉君がその世話役をしているという。楽友会という言葉すら頭になかった私だったが帰宅して、40数年前の昔のアルバムを引っ張り出して眺めて、昔を思い出してみた。私は家内を亡くした直後だったので何故か仲間を求めていたのだろう、思い切って世話役の藤吉君にアプローチすることにした。 堀君のこの一言が無かったら、私は楽友三田会や同期会の存在を知らず、合唱とは無縁の別の道を歩んでいただろう。 4.楽友会同期との再会 別れ際に、OB/OG合唱団があり毎週練習しているので一度聞きに来ないかとの誘いがあった。リタイヤ後、何か趣味をと考えていた時に頭の隅に「合唱」という文字はあったので一度聞きに行くことにした。 5.楽友三田会合唱練習会場へ 6.藤吉君のリタイヤ 藤吉君がリタイヤしなかったら、私は会員の一人であっただろうが、今は同期のまとめ役になってしまった。 7.その後 合唱以外の活動では在籍が長くなってきたので色々と仲間が増え、楽しみも増えた(歩こう会、ゴルフ、田園都市沿線会等々)。 現在は、リタイヤ後の生活の半分が楽友会がらみと退屈しない日々を送っている。楽友会在籍1年だった私が、各節目でキーマンと出会い、今ここに、皆さんと合唱がらみで深く付き合っている私がいる、不思議な縁である。 (2017/6/1) バトンは佐良土雅文(16期)さんに渡しました。(6/4) ■ ■ ■ ■ ■ |
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