ほんぶん
山野井 友紀(53期)
「まだ復旧の見込みはありません」
車内から聞こえるアナウンス。石打駅ホームはとにかく寒い・・・。本来ならば、酒蔵での演奏後、翌日の資格試験に向け、私は一足先に帰る予定だった。でも「公民館行きましょうよ!試験はまた受けられるけど、大学最後の公民館コンサートは今回っきりだよ」と皆にとめられ、<終わってすぐに帰れば東京に22時頃に着くだろう>と思って残ることにした。が、なんと塩沢から越後湯沢に出る前に上越線が止まってしまったのだ。石打駅のホームで同期に電話した。
人気がない駅。開いている商店もなく、バスもタクシーも来る気配がない。遠くに光りがポツリと見える程度。寒く心細い思いをしていると、宿の方が車で迎えにきてくださった。新潟・塩沢の方々の温かさに触れた。
<さてどういう顔をして再び団員の前に戻ろうか>。心配無用。宿に着き、部屋の扉を開けると、早くも私が戻るという情報をキャッチした仲間たちが「おかえりー!」と飛びついて来た。仲間が笑顔で迎えてくれ、多くの団員のいる部屋は、物理的な温度以上に暖かく感じた。
翌日、<今日こそは帰れるだろう>と思っていた矢先、今度は湯沢を出てすぐに電車が止まってしまった・・・・・・前日にも帰れず、試験も諦め、今日も電車が止まる。ついていない。
こんな状況からドラマは始まった。その後は皆様もご存知の通り、「列車に歌声“春風吹いた”」となった訳である。
貴重な体験、何か形にできないか、という思いから新聞に投稿した。即日、社会部の記者の方から連絡が来て取材を受け、思ったより立派な記事となった。その翌日、いつも通りに出社すると、見知らぬおばさまから反響メールが。気づけば社内ネットに記事が載っているではないか。全社員に回る新人紹介冊子にまで、「入社2週目にして新聞に載った新人」と書かれている。その後、都立高校からも感想文が送られてきた。記事を倫理の授業で使ったという。反響の大きさには驚くばかりだった。