Editor's note 2021/7
HP「楽友」14年目:に入ります。コロナは東京オリンピックに向けて、驚くような感染者数がマスコミのニュースに現れると予測しています。みなさん、練習も本番も次々と中止となることでしょう。
訃報係:今年の初夏は何ということか、小林亜星さんの訃報に続き、仲良くしてきたミュージシャンが2人亡くなりました。ブルージーンズの寺内タケシさんとシャープス&フラッツの原 信夫さんです。
寂しくなりました。私のサイトの訃報ページの内容です。
寺内タケシ(1939-2021)
寺内タケシが昨日、6月18日夜に肺炎のため亡くなりました。82歳でした。春先に誤嚥性肺炎を起こし、入院し回復に向かってリハビリをしていたところでしたが、18日午後に急変し、帰らぬ人となりました。
エレキを日本で最初に作ったのは寺内が子供時代でした。土浦の電気屋で生まれ、自分でギターマイクやアンプなどを作ったのです。大学も関東学院大学の電気工学科出身です。
ブルージーンズは誰もが知るグループサウンズの走りです。メンバーには、後のワイルドワンズを結成した加瀬邦彦がサイドギターを弾いていました。加瀬は私と幼稚舎時代からの同級生です。
加瀬は2015年4月に74歳の若さで、あの世に引っ越して行きました。今頃、寺内と2人でギターを弾いているのかも。 ⇒ 加瀬邦彦のページへ
寺内はスキーも指導員で、私とは蔵王でのお友達なのです。私のスキーの師匠、岸 英三オヤジのところにやって来ました。ビックリしましたね。蔵王ハイムスキースクールの歌を書き、岸 英三校長に捧げました。確か、「蔵王讃歌」というタイトルでした。ハイムのロッジにバンドを連れてきて、蔵王讃歌のご披露がありました。
蔵王から譜面が送られてきました。
作詞:岸 英三 作曲:寺内タケシ90年代の初めに「青春へのメッセージ」という歌を作詞作曲しました。珍しく自分で歌いました。すぐに譜面を起こしました。かつて、エレキは不良を作ると言われた時代があります。非行の温床とされたエレキギターへの誤解を解くため、全国の高校を回る「ハイスクールコンサート」を1974年に始め、2010年には1500校を達成しました。そのハイスクールコンサートで歌った歌がこれだ!
最後に話をしたのは、2004年にティアラ江東でのコンサートの時でした。ホールの入り口のデスクで座って、聴きに来たお客さんと挨拶していたのです。ほんとうに久し振りでした。この時「青春へのメッセージ」をラストに歌いました。忘れ去っていた話を、今、思い出しています。
最後に顔を見たのは2015年11月、西村 協の45周年コンサートにゲストで出た時です。西村 協は、かつてブルージーンズのボーカルだったのです。
とにかく、頭のいい人でした。ご冥福をお祈りします。 R.I.P.
(2021/6/19)
シャープス&フラッツの原 信夫さんが、つい先程、21日夜に肺炎のため亡くなりました。享年94歳でした。4月下旬に誤嚥性肺炎で入院。2か月間家には帰れないまま、でもそれ程苦しまず、大往生だったと・・・。R.I.P.
90歳、卒寿のお祝いパーティが2016年11月27日にHオークラで開催され、招待されて家内と行って来ました。#&♭は2008年11月にファイナル・コンサートが東京文化会館で開催され、その後、2010年まで全国をツアーしました。お祝いには、メンバーが皆揃いシャープのサウンドが再現しました。
奥様の愛子さんは、大原江里子の叔母さまで、我々オージーサンズのコーラスをよく聴いてくださったのです。草月ホールにもまり子さんに付き添われて来てくれました。残念ながら信夫さんより先に他界されたのです。
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