Editor's
note 2018/8 |
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FM放送:東京FMという超短波放送が開局されたのは1970年のことである。皇居、半蔵門の真ん前に出来た。その後、全国各地に地域のFM放送が生まれて数知れないほどになった。 放送番組を真面目に作るのは大変金と手間のかかる仕事である。一番金がかからないのは、レコードをかけて電波に乗せるやつである。そんな番組を夜中までやっている。インターネットで局と視聴者とをつないで、オンタイムでリクエストを聞いたりしている。 2010年のことだった。東京FMの牛窪さんというプロデューサーからOZ
SONSにDJ出演依頼が来た。夜中の2時から5時までの生番組だった。 |
東京FM |
われわれ自身がお勧めのCDを何枚も持って行って、それらを解説しながら聴かせるのである。番組の名前は「扉」To Villaといいます。面白いのはメールで感想やら質問やらが生で飛んで来て、お答えする。でも、1回きりで終わってホッとしたものである。 普段、聴けないような沢山のジャズコーラスが出てきたのですよ。そんなOZSONSならではのDJ、聴きたくなりませんか? モバイル放送はご存知か?:2004,5年頃、今はないモバホ(モバイル放送)という局が東芝などがスポンサーになって出来ました。ここでは5回ほど頼まれ出演を頼まれました。これもディスクジョッキー。これは衛星放送で全国に電波が飛びます。5回分、各2時間の収録DVDを使い、1本を4回ずつ別の時間帯に流していました。 ところが通常のAM、FM波ではなく専用のチューナーが必要でした。われわれは出演しておきながら「このメディアは流行らないだろう」と思っていましたが、案の定でした。モバイルと言うことで、車のワンセグ・テレビやラジオを狙った放送だったのですが、時期尚早だったのでしょうか、会員を増やすことができなかったようです。 |
久美子さん |
鎌倉FM:昨2017年12月、田中理恵さんのピアノ・リサイタルが初台のオペラシティ・リサイタルホールで開催され、その打ち上げ会で菅 泰雄君(15期)が愛妻を私のテーブルに連れて挨拶に来てくれました。うつくしい。 鎌倉FMで毎週火曜日夜にJazz
Cafeという番組のパーソナリティをやっているのだという。ジャズの曲に関することやプレーヤーやシンガーのことを調べるためネット検索をします。すると、私の書いたページばかりにヒットするのです。初対面する前にネットで私のことをご存知だったのです。ジャズ友が1人増えました。 |
それは外国においてもジャズ・ミュージシャンが自身のことを検索すると、私が書いたページが出てくるのです。サリナ・ジョーンズが99年に私のサイトを見つけ「自分のことをコントゥリビュートしてくれて嬉しい。つぎに、トーキョーに行くときには、メールします」と言って、その年の10月にうれしい出会いをし、東京にいる1週間、ライブの日以外はサリナとマネージャーのトニーを連れて遊び回りました。それ以来、日本人ではわたしを一番大事な人間として20年間付き合っています。ロンドンに訪ねて行ったら、おいしいローストビーフの老舗店に連れて行ってくれました。 そういうジャズメンは紹介したらキリがないほど。古い人ではヘレン・メリルもお友達、今月88歳になります。彼女はNYC生まれのウクライナ人です。コーラスではミルス・ブラザースが息子の代(正確には3代目世代)になりましたが仲良しです。4フレッシュメンも来日時にWelcome Partyを開いてやったものです。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにもボサノバ・コーラスのグループがいます。Quartet do Rioといいます。 ⇒世界のメル友 1999年に「六本木ジャズクルージング」をAll Of Me Clubの金城氏と立ち上げました。現在は港区がスポンサーとなっています。3年目だった2002年には俳優座でジャズ・コンサートを開催しました。その頃、ジャズ歌手の卵が沢山いて、皆、六本木あたりのジャズクラブでお手伝い嬢をしながら、ちょっと歌わせてもらうなんて勉強していました。そういう娘たちを20人ほどを集めて、それに私の知り合いのコーラス好きの素人を加えて女声ジャズ合唱団(FJS)を結成し、月2回の練習を始めたのです。私がMusic Diredtorです。彼女らは皆独り立ちして歌手になったり、お店を持ったりしていったのです。その穴を埋めるように、素人のジャズ好きのお姉さんやおばさんたちが次々と入会してきて、常時、20名程度のメンバーが月1回の練習日に集まってきます。⇒ FJS合唱団サイト
菅夫人は2018年の1月からFJSメンバーとなり、5月には赤坂のB
Fratで開催したコンサートで10曲歌いました。5ヶ月で堂々と歌ったのです。現在は2nd Voiceを歌ってます。楽しそうに練習に通って来ます。 |
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熊本CityFM:九州熊本にFM放送局があり、そこで「夕方フレンド」というディスクジョッキー番組のパーソナリティの森永節子さんからメールが来ました。2000年代の初めの頃です。 歳は若いのですが、古いもの好き。生まれるのが25年ほど遅れてしまったという方です。 |
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上海で謎の踊り子、マヌエラと呼ばれた日本人女性のことを古い本などから調べているのです。そんな森永さんが私のジャズサイトを見つけてOZ SONSのコーラス・サウンドをOn Airしてしまいました。番組の放送中に私に電話インタビューです。何とバックには私の一人コーラス”Day By Day”が流れています。驚きでした。 何月でしたか、OZ SONSの歌う”I'll Never Smile Again”を「今月の歌」にして毎週素人のオジサンのコーラスが流れてきたのです。 そんな森永さんを、70年の歴史を持つBlue Coatsの創始者、長尾正士さんが率いるThe Orpheansのパーティに誘い出しました。2004年のことです。オルフェアンズのことは古いもの好きの森永さんには、歴史は知っていても生の演奏は初めてです。それに、専属歌手の芝小路豊和さんも大ファン、それにそれに、オージーサンズも2曲歌います。森永さんは大興奮で熊本から飛んできました。先ず、私の家に来て番組で流すためのインタビューをたっぷり、翌日、Westin Tokyoに出かけたというわけです。
現在は、熊本市内でメトロポール・マフィンという自作のマフィンを販売するお菓子屋さんを経営しています。何年前かひと箱送ってくれました。
(2018/8/7・わかやま) |
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