Editor's note 2016/10

 帯情報機器携帯電話は最早「電話」ではなく情報機器となった。インターネットの情報検索から電子メールまで、全ての操作が出来るようになっている。写真や動画まで撮ってしまう。

その結果、何かと手間と金のかかるパソコンは使わなくなり、携帯だけですべてを済ませる人がどんどん増えてきた。
 

パソコンも一時代とは違ってきた。90年代半ばにMicrosoftがWINDOWS 95を出して以来、PC業界を独占してしまった。Appleは負け犬になってしまった。WINDOWS XPまではユーザーにとって使いやすい設計だったのだが、その後のWINDOWSの使い勝手は複雑で悪化の一途をたどってきた。巨大化した新規OSと新機種大容量PCの買い替えを促すための意味のないVersion Upを続けたからだ。これも一般人を「携帯人間」にしてしまった原因だ。Apple社はiPhone、iPad、iPodで業績を回復した。

最近の電車の中、座っている人は言うに及ばず、立っている人もスマホを覗きこんでいる。「スマホ依存症」の人が降りる駅を乗り越しても操作している。昔は週刊誌や文庫本を開いている人が多かったのだが、やがて「少年マガジン」とかマンガ雑誌を学生ならぬサラリーマン・社会人が読んでいた。「変なのぉ」これにも違和感があったが、景色がすっかり変わってしまった。「異様な光景だ」と思うほうが、今や異常なのかもしれない。

そんな世の中に、パソコンも持たず、携帯電話も持たず、ワープロもe-mailも使わないインターネット無縁の男がいる。私には手書きの「手紙」が連絡手段だ。便利な「ネットによる情報検索」なんてことも知らないのだろう。情報機器は家に卓上電話だけだそうだ。テレビは見てるんだろうねェ。

 PCメール拒否docomoでもezwebでも、「PCメール受信拒否」に設定している人が多い。この頃は新く携帯を買うとPCメール拒否に設定してあるらしい。意識的に「拒否」と設定している人は、PCから無制限に迷惑メールが入ってくるのを防御するのが目的だと言う。いわゆる迷惑メールの発信元は携帯であることは無い。

すると、私から発信されたメールが「550 : User unknown」でDelivery Errorとなって戻ってくる。PCメールは全て拒否とは、味噌と糞を一緒にする議論だ。物事が分かっている人は、特定のアドレスから届くメールは受け付けるように設定する。あるいは「迷惑メール報告」に設定をすれば受信ボックスには受け付けなくなる。

15年ばかり後輩とメールのやり取りがあったが、PCメール拒否の携帯メールなのだ。最初はPCメール宛に連絡をしたのだが、何の返事もない。仕方がなく携帯にメールした。そうしたら「PCメール拒否」にあった。同期の者にその旨を伝え「私にメールをするように」連絡してもらった。彼は「PCメール、今は見られない」と言って来た。PCは使っていないのか。

何通かのメールは携帯から出した。携帯ではキーボードが無いから、母音ボタンを何回かポチポチ触って一音の仮名文字を選ぶ。「そ」を出すには「さ」のボタンを5回押す。PCでローマ字入力で何10年入力してきた爺さんにはつらい仕事だ。

面白いことがわかった。私の携帯はアンドロイドだからGmailが使える。GmailからPCメール拒否の彼の携帯にメールすると何の問題もなく届くことがあった。彼の携帯は同じメールアドレスのwaka…@gmail.comから発信されたメールが携帯メールと判断できるのだろうか。面白い。いや、不思議!
 

 ームしながら族さらに愚かなのは、ポケモンGOに象徴されるゲームの氾濫がある。そりゃ、ゲームは子供にはたまらなく面白いだろう。私の4歳になる孫までが「パパ、ダンロ」と言う。何を言っているのか?iPadの上で「何かのゲームをダウンロードしてくれ」と言っているのだ。

電車のホームでスマホでゲームをしながら線路に転落した愚か者がいる。

いわゆるコンピュータ・ゲーム機を80年代終わり頃にN堂などが売り出した。子供は皆欲しがった。指で「ピコピコ」やるだけの操作でゲームが進む。これで、子供が創造性の失われた脳みその人間になってしまうのだ。動くマンガのゲームは子供の脳の論理的思考回路の生成を阻害する。もっと言えば「アホになる」のだ。さらに間の悪いことに、文部省がこの世代の子供に「ゆとり教育」政策を実施した。

ゲーム人間×ゆとり教育=??

どうなったかわかりますか?文科省は「ゆとり教育」の失敗を認め、これを取り返そうと、大学の授業日数を年に5週間増やすよう数年前に通達を出しました。私の大学の休暇は5週間減りました。夏休みが始まるのが8月7日頃からになりました。冬休みはクリスマスが終わってから。昔人間には想像もつきません。安直な政策ですね。

その結果、大学生はみんなお利口さんになりましたとさ。おー、めでたしめでたし!?

人間の脳には「文章つまり書物から入る情報」が一番大切な栄養となります。マンガやゲームではありません。そして、自分の考えや知識をまとめ文章に書くことです。文章を書くことは論理的にものを考える能力を育ててくれます。

論理的と言えば、数式を使って自然現象・社会現象を表現することをFormulation(定式化・モデル化)と言いますが、抽象化という極めて人間的な能力を育てます。このような数式による計算を行うための機械がコンピューターという訳です。あなたのパソコンもスマホも電子計算機なのです。

 在のPCにはWindowsのようなOS(Operating System)の下にワープロやインターネット・ブラウザーなど沢山の応用プログラムが入っている。昔のマイコン時代はROMにBASICが入っているだけで、全ての仕事は自分でプログラムを作成した。私用の「名簿管理プログラム」を作成した。我ながら使いやすい便利なものだった。Hard Diskなどない。3.5インチの2HDフロッピー1枚にプログラム、もう1枚にはデータという構成だった。いくつかの企業がもらいに来た。日本科学技術連盟の名簿管理もこのプログラムを使っていた。1枚のデータ用フロッピーに1,000人分の名簿データが入った。

日本で最初のパソコン用の日本語ワープロは「松」という優れものだった。管理工学科の後輩が作成し、管理工学研究所から¥128,000.-で売り出された。1983年のことだ。それが、2年後だったか、四国のソフト会社が「一太郎」をおよそ半額の値段で売り出した。管理工学研究所は「ばかばかしい」と早めに撤退した。もともと大型機のコンパイラなどを作成する日本一のプロ集団だった。本質的な違いは日本語漢字変換プログラムにある。「松」のプログラムはアセンブラで書かれたものだった。「一太郎」のプログラムはC言語で書かれていた。スピードが全然違う上に、アルゴリズムが違う。管理工学研究所のプログラマは博士課程の修了者だ。研究者レベルなのだ。

でも、一般ユーザーはそんなこと分からずに安いものを選んだのだった。素人は何もわからないんだよ。90年代になってMicrosoftのWindowsの世の中になり、さらに程度の悪いWordがのさばってしまった。

日本でメールが始まったのが80年代中頃だった。慶應・東大・東工大で実験が始まり、後に各大学の理工系学部が専用線をつないで参加した。JUNETといった。まだ、プロバイダーなど無い頃で、端末に電話カップラーをつなぎ、東大の大型機センターに電話でつないだ。これが太平洋ケーブルでアメリカにつながった。

自分でプログラミングという時代は遠くなりにけり。しかし、古代中国で漢字が発明されなかったら、日本の文字文化はどうなっていたのか。改めて考えさせられます。(2016/10/7・わかやま)


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