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作曲家 服部 正

自慢ではないのだが、慶応歌集の中で最もポピュラーな「若き血」は、私の在学した当時(昭和2=1927年)の予科会が制作したものだ。何人かの私のクラス・メートがこの曲のために、大活躍をしたのだった。そしてこの歌を、神宮で声の限りに歌ったら、負けていた早稲田に見事勝ったのだから、嬉しかった。

つづいて、翌年「丘の上」ができた。この曲も私には因縁が深い。「丘の上」を作曲した菅原明朗先生は、昭和2年、私が応募して入賞した作曲コンクールの審査委員であったのだ。そういう関係で、この歌を塾生に宣伝するために、菅原先生を三田の山までひっぱってきて、慶応マンドリン・クラブのための編曲を、あのきたない白亜館のルームで作っていただいたりした。その歌のできた昭和3年に、私はやっと、慶応マンドリンクラブの指揮者になったばかりだったが、お昼休みの時に、当時の大ホールで、この歌を演奏して大いに得意になっていた。

その後菅原先生について、音楽の道に進むことになったのだから、「丘の上」は私の一生の運命を変えてしまったのである。「丘の上」が生まれなかったら、私は音楽家にならなかったかもしれなかった。それほど「丘の上」と「若き血」は私にとって縁の深い歌である。そして2曲とも素晴らしい歌である。


編集部注: 朝刊を見てビックリしました。ちょうど上の「塾歌」についての文章を入力し終えた時、次の記事が目に入ったからです。

<「ラジオ体操第1」作曲:服部 正さん(作曲家、指揮者、国立音大名誉教授)2日、老衰で死去。100歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男賢さん。自宅は東京都渋谷区神宮前2-18-9。戦前、慶応大学マンドリンクラブで指揮者を務め、卒業後、作曲家となる。黒澤明監督「わが青春に悔いなし」「すばらしき日曜日」「虎の尾を踏む男たち」など多くの映画音楽を担当したほか、現在のNHKの「ラジオ体操第1」の音楽を作曲した。  (08年8月7日:朝日新聞訃報欄)>

学生時代、通称「マンクラ」の演奏会は楽しみの一つで、よく拝聴しました。その時颯爽と指揮し、ラジオ・テレビでも活躍された服部先生が、100歳の天寿を全うされたということです。すぐに前掲の「慶応歌集」に載っていた先生の一文を想起し、ここに再掲させていただくことにしました。先生が私淑された菅原明朗(1897-1988)師も帰天されて既に久しく、もうお二人の姿をこの世で見ることはできません。けれども音楽はやみません。ラジオ体操の音楽は今朝もあちこちの公園で高らかに鳴り、たくさんの人たちがのびのびと体をほぐしていました。「若き血」は、そして「丘の上」は、昨日も今日も甲子園や神宮の森にこだましていきます。菅原師のミサ曲やオラトリオなどもまだよく覚えられていて、時折教会等で演奏されています。きっと師は、服部氏を迎えて「よく頑張ったな」と再会を喜ばれていることでしょう。お二人の先達の、天国での福楽を、心からお祈りする次第です。(新聞記事には「戦前、慶応大学マンドリンクラブで指揮者を務め・・・」とありますが、事実は「戦後も」継続して指揮をつづけておられました)。(オザサ)


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