ところが、文連に属するためには大学生のクラブでないとなりません。高校生がいては公認されません。文連は大学の組織なのです。これが、楽友会の大学・高校分離という道に入っていくきっかけになったのです。そして、1965年度には名称も「慶應義塾大学混声合唱団楽友会」と変更したのです。
「混声合唱団」に特化したのは、男声合唱団、女声合唱団はそれぞれワグネルの合唱団が文連に属していて、混声合唱と謳うことでワグネルとの区別化を図ったのです。その結果、1961年の楽友会の演奏会から、男声合唱、女声合唱が姿を消したのです。このような苦渋の選択をして文連に加盟したのです。
高校においては、1963年から教育指導要領の改訂で、クラブ活動に単位を出すようになりました。成績の対象となったのです。そのためクラブ活動は学校が管理運営をすることになりました。こうして大学・高校それぞれの事情が重なり、いわゆる「分離」となったのです。しかし、提携活動が否定されることはなく合同練習も定演における合同ステージも継続されていました。
運動部を公式に統括するのは、慶應義塾體育會です。古い伝統のある部では、例えば柔道部は大学、高校、普通部、中等部がつながっていました。体育会は文字通り大学だけのものではなかったのです。高校や普通部では監督は大学の各部から派遣されました。
「慶應義塾体育会」には大学の2文字がありません。慶應らしいところだと思いませんか?福沢先生の時代からの「先ず獣身を成して而して後に人心を養う」という教えのもとに明治25年に7つの運動部をもとに作られたと言います。あらためて、慶應義塾楽友会という組織があったことを皆さんに知ってもらいたいと思います。
楽友会創立30周年記念(数え年で)である1977年度に編纂された名簿には慶應義塾楽友会名簿と書かれ、
@ 慶應義塾混声合唱団楽友会役員
A 慶應義塾高等学校・女子高等学校楽友会役員
B 楽友会OB/OG、大学現役生、高校生、オール楽友会の名簿
がある。すでに、大学・高校が分離して10年も経っているこの時期に「オール楽友会名簿」とは驚きませんか?
文連には「大学」の2文字が入っているのです。慶應義塾にありながら、一部に限られた小さな組織だと自らが宣言しているように私には見えてしまいます。
いつもメールをくれる釜井さんに会って来ました。(2018/6/25・編集部かっぱ)