慶應義塾大学混声合唱団楽友会

    第30回定期演奏会の思い出

兼子 伸彦(27期)

27期にとって卒業時の定期演奏会81年12月8日・郵便貯金ホール=現メルパルクは、30回という節目の演奏会。岡田先生からメイン曲として示された曲は、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」。何名かは、レコードを聴いていて知っているとはいえ、技術もさることながら、体力も必要とされるし、何よりも経験者が皆無に近い状態。それを4年生という立場でリードする難しさ・・・。

あれから28年、今般HP楽友への掲載という形で、私たち27期はドイツ・レクイエムと思わぬ再会をすることができました。そこで、当時の思い出について、同期へのインタビューをもとに、仮想座談会なぜか、楽友会を知りつくしている謎の人物、Mr.Gaku(楽)とMs.Yuko(友子)も飛び入りという形で振り返ってみることとしました。

司会(KN):今日は、私たち27期が4年生のときに経験した30回定期演奏会の思い出を語ってもらいたく、お集りいただきました。もう28年も前の話になりますが、メイン曲に「ドイツ・レクイエム」が本当に歌えるのか?から始まった1年だったと思います。まずは、当時、学生指揮者として頑張ったNT君のご苦労を聞かせてください。

<練習、練習また練習>


ドイツレクイエム 1ページ目
「Selig sind・・・ 重みを感じます」

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NT  :この曲に決まってから、ドイツ・レクイエムのLPレコードを何枚も聞いたなあ。そして、次はブラームスの他のほかの曲も。それまでは、ブラームスというと陰鬱なイメージがあったけれど、何度か聞くうちに彼の作曲したときの心情が少しながら理解できるようになった気がする。

KN  :そういえば、当時の会報誌伝言板でも、T君がドイツ・レクイエムの聴き比べをして、紹介してくれたよね。まだ、CDがない時代、家にもLPレコードは何枚か眠っていますよ。ところで、ドイツ語はどうやって練習したんだっけ?

Gaku :確か、独文科の3年生に発音してもらったり、ドイツ語の読み方の資料が役員会から出されていたと思う。あと、うちの代は、ブラームスの曲は意外と歌っていていたよね?確か、1年生のときの5つの歌、2年生のときのNänie悲歌)」

KN  :そうそう。結構、ドイツ語との接点はあったよね。あれって、まさかドイツ・レクイエムへの布石だったりして。

一同  :それはないでしょう(笑)

KN  :ドイツ語も苦労したけれど、音取りも大変だったよね。

Gaku  :パート練習だけでは間に合わず、あとは宿題!ということもあったね。今なら、誰かがパートごとの音をパソコンにアップしてくれるのだろうけれど、当時はピアノをたたくしかなかったんだよね。あの頃、キーボードはまだ高価なもので、僕たちは卒業記念に楽友会にキーボードを寄贈したんだよね。

一同  :そうだったね。

KN  :ところで、1時間半を歌い抜くためといって、合宿では体力づくりにも力を入れていなかった?


1981年(4年時)新歓合宿での同期の一コマ 亡くなった2名の姿も・・

Yuko :春の岩井の合宿で、ランニングしていなかった? 砂浜を走るって、結構きつくって。でも、朝になると結構、雨が降って中止になったりして、体力がついたとは思えなかったけれど。

KN  :下級生が夜になると雨乞いをしていたらしいよ(笑)。あと、夏合宿も6日目の夕方まで練習しなかったっけ?

Yuko  :いつもは東館山にリフトで登ったのにね。2人乗りのリフトで、誰と誰が乗るとか・・(笑)。でも、あの年はハイキングに行く体力も残っていなかったかも知れない。

Gaku  :練習量も確かに多かった。例年、メインの曲は土曜日だけだけど、水曜日の練習も「ドイツ・レクイエム」に割いていたよね注:当時の練習は月、水、土曜日の週3回

Yuko  :あと、メイン曲で初めてオーディションもやったんじゃない注:その前年まで、学生指揮者が振るステージはオーディションが行われていた。どのくらい歌えるかと確認する内容とはいえ、少人数で歌うのはすごく緊張し、下級生がよく頑張ってくれたよね。

<本番での出来事>

KN  :ところで、本番でもいろいろとあったね。

S子  :1番の出だしSelig sind die da Leid tragenがこわかった。先生には申し訳ないけれど、入りの指示がよくわからなかったような・・・ 

CT  :僕も、学生生活最後のステージということで張り切っていた。「真に入れこんだというか」。。。1番の出だしは不安定に音楽が始まった感じだった。それと、3番のフーガDer Gerechten Seelen sind in Gottes Handのテンポが変わったような・・。今だからいえるけれど、個人的にはそれが最後まで尾を引いてしまい、自分の記憶から抹消したいと思った。でも、今になるとそれなりになつかしいけれど。

SE  :確かに1番の入りはびっくりしたね。こちらも舞いあがっていたしね。それを救ったのは、当時のソプラノのパトリのY子かな?彼女の声が真っ先に聞こえてきて、ハッと我に帰ったけれど。僕は、演奏会の直前にいろいろ考えると、4年間を思い出して感傷的になったり、本番でとちることを考えてしまうので、直前は何も考えないことにしていた。

Gaku  :なるほど・・・。1番の出だしは、聴きに来た先輩からも究極のppと評してもらったよ。もっとも、あの部分は普通のpなんだけれど一同、笑。3番のフーガはあの曲の鬼門みたいなもの。結構、あの部分で走る合唱団は今でも多いみたいだから。

KN  :6番のフーガはHerr,du bist würdig zu nehmen Preis und Ehre und Kraft勢いを感じたね。7番Selig sind die Toten,die in dem Herren sterben von nun anを歌う力が残っているか心配だった一同、笑

NT  :とにかく、終わったときはホッとしたの一言。曲が終わってから、拍手が来るまでの一瞬はよく覚えているよ。

Yuko  :ホッとしたというより、力尽きたが本音じゃない(笑)

Gaku  :でも、音大でもない学生団体が、あの歌を曲がりなりにも歌ったのだから、それは誇りにしていいんじゃないのかな?

<思い出は他にも>

KN  :今もこうやって語ることができるのだからねえ。ところで、ほかに「ドイツ・レクイエム」の印象はない?

K子  :私のイメージは「立ちこめる白い朝もやの中、悠然と姿を現すゲルマンの騎士たち!」オー!という声。あれだけ壮大な曲をよく歌えたものだと感心するばかり。

今より体力も気力も記憶力もあったのでしょうけれど、なまけ者の私そんなことはない!という声もが、あの難曲に立ち向かえたのは、楽友会の勤勉なみなさんがいたからこそといえるかな?

Gaku  :確かに内容は難しいけれど、あの曲を歌えるかという不安な気持ちの中で、演奏会に向けて、みんなの気持ちを導いてくれたナイト騎士がいたかも知れないね。しかし、楽友会のメンバーって、勤勉だったっけ?

Yuko  :勤勉かどうかは別にして、歌に対する情熱やひた向きさはすごかったと思う。練習への参加率も高かったし、休部している人もほとんどいなかったし・・・他のクラブとかけもちしている人もあまりいなかったよね。文連だったけれど、身体をよく使ったし・・・プチ体育会っていったところかな?

一同  :そういえばそうだったね(笑)

Mie  :でも、私たちって今は、こうやって集まっているけれど、当時はあまり仲良くなかったんだよね。

一同  :そういえば、そうだったね。

Mie :役員を選ぶ頃はずいぶん議論を戦わせたよね。でも、あの頃は、喋らせるとどうみても女性が強かったような・・・。私やSちゃんは、男性たちに随分と意見をしたし・・・なつかしいというか、若かったね!でも、うるさい女性と思われていたんだろうね苦笑

Gaku  :そんなことないよ。でも、いわれてみると・・・

Mie  :何よ、結局うるさいってことじゃない一同、笑

でもね、楽友会では男女同権でも、4年生になり、いざ就職となると、一般企業はまだまだ女性はいわゆるお茶くみ、事務職が一般的、寿退社や出産退社が多かったんだよね。産休とれるのは公務員位・・・男女雇用機会均等法ができたのは3年後だった。

大学では男性と一緒に学び、議論を戦わしたのに、就職では女性ということでハンディが付くことが悔しくもあってね・・・今の女子大生には考えられないことかもしれないね。

Yuko  :私もそうだった。ダイバーシティという言葉もできた今、隔世の感はあるけれど・・・でも、私たちの人生これからだよね。時計でいえば、13~14時頃って話をきいたことがあるけれど、まだまだやりたいことたくさんあるよね。

一同  :そうそう。

Gaku  :就職といえば、当時は「就職協定」があって、4年生の秋に企業訪問をして、内定をもらっていくというパターンだったよね。4年の秋以降って、就活をして、最後の演奏会の準備をして、卒論も書く・・結構、忙しかったよね。

一同  :確かに。

<忘れえぬ友、そして先輩>

KN  :ところで、あの日のステージに参加していて、残念ながら他界した人のことも忘れることができないよね。

Gaku  :先ほど、話しに出た1番で我々を救ってくれたY子は、8年前に残念ながら他界したんだよね・・・。

NT  :彼女とは、技術委員会でよく練習の進め方を議論したけれど。

Yuko  :彼女は、私たちが考えないようなユニークな発想をよくしてくれて、宇宙人と呼ばれていたよね。演奏会の直前の伝言板で、この曲を聴きながら瞑想していたら、目の前の白いスクリーンに昔の光景が出てきた、っていっていたことがあった。無心になれたということなのかなあ?

Gaku  :雑念が入らないというか、やはり宇宙人だったんだね。

KN  :今は宇宙でこの曲を聴いているかも知れないね。同期でもうひとり、他界したSちゃんもこの曲が好きだったんだよね。

M子  :ある時、彼女が自分の葬儀の時は静かにこの曲を流して欲しいと思っているのとあの黒い大きな瞳で私の目をじっと覗きこむようにしていったんだよね。早くにお父様を亡くされていた彼女には、死を悼むということに対する特別な思いがあったのかも知れない。

一同  :そうだったんだ・・・。

M子  :なぜそんな会話になったのか全く覚えていないけれど・・・当時の私はレクイエムを音楽としてしか捉えていなかったし、もちろん自分の葬儀のことなど考えたこともなかったので、どぎまぎしてしちゃって・・・。

それから7年後の七夕の夜、不慮の事故で天に召された彼女。ドイツ・レクイエムは彼女にとって、そして私にとっても本当の鎮魂曲になった気がする。

Gaku  :この曲は遺された人々の心を癒すレクイエムともいわれているけれど、僕たちにとって、彼女たちとの気持ちをつないでくれている曲かも知れないね。


今や7月の欠かせないイベント 今年は13名が集まりました

Mie  :毎年夏の同期会は、彼女の命日にあわせて始めたものだものね。初めは女性だけだったけれど、今は男性も参加してくれるし・・・

KN  :きっと、彼女たちもみていてくれていると思う。ところで、30回の定演では「ドイツ・レクイエム」のほかに、もうひとつシューベルト合唱曲集があったよね。指揮者は伴有雄先輩・・・注:雷神、鱒、天使の合唱、埋葬の歌、ダンス、祈りの6曲

YT  :知らない曲ばかりだったけれど、どれも魅力溢れる内容だったね。実は、昨年5月に東京で開催されたラ・フォル・ジュルネでも数曲が演奏されたけれど、改めて、伴さんからシューベルトの逸品を体験させてもらったと思った。そう思うと、若くして亡くなられたことが残念でならないね。

Gaku  :伴さんは曲づくりには決して妥協しない人だったし、魂を注ぎ込むという指揮をしていたよね。なかなか体験できないことだし、その3年後に亡くなるのだけれど、全力で駆け抜けていったような人だったね。

<おわりに>

Mie  :いろいろあったけれど、同期会には半数以上の人が毎年参加してくれるし、穏やかなひと時が流れているっている感じだよね。1年に一度しか会わなくても、毎日会っていたかのように会話が弾むし。年月を経て、みんな体型も含めて丸くなったのかな一同、爆笑

でも、みんなは歌を作り上げてきた仲間と音楽、私の大切な宝・・・

一同  :ありがとうございます!

K子 :私もあの頃は、たいへんだったけれど、楽しかったと思う。「ありがとう」っていう気持ち。

Gaku  :30年近くたった今も、定演への思いは変わらないし、逆に時間をへたから感じたり、いえたりすることもあるんだね。いろいろあったけれど、在籍していた4年生全員がこの定演に出演して卒業したんだからね。

Yuko  :ホント、感謝だね。これからも学生時代を共有した仲間だけでなく、これからの人生を豊かにする仲間として、交流していきたいね。

KN  :そうだね。次は夏の同期会だね。しばらく、顔を見せていない人も大台に乗ることを機会に、参加してほしいな。

本日はお忙しい中、ありがとうございました。(2009年・春)


編集部注:寄稿の日付が(2009年・春)とありますが、兼子君は主幹に「何か写真を送れ」といわれて、写真探しをしてくれていました。それで、夏になってやっと本記事はアップされました。昔の写真探しは大変です。よくわかります。(わかやま・7/29)