追悼文集

お別れの言葉

池田 龍亮(11期)


杉原泰雄君(11期)

泰雄さん、11月9日の夜、洋子さんからの電話で君の突然の訃報を知らされた時、余りの衝撃に息がつまり、言葉をなくしました。ご葬儀の日程を聞きながら、余り現実感がなく、心が宙に浮いたまま、虚ろな返事をしていました。しばらくしてから、永くて辛かった君の闘病生活を思い起こして、何とか君が亡くなった事を自分で納得出来る様に、思い直そうとしています。

16年前、自由が丘のジムでのクモ膜下出血が、最初に倒れた時でした。車椅子の生活ながら、それ迄の生活の質とスタイルを変わりなく続けるという、君たち夫婦の強い意志に、感心させられました。

私達共通の楽しみである合唱も続けて、毎年のコーロの榛名演奏旅行にも参加出来ていました。打ち上げの久呂保温泉では、男性全員で君を担いでお風呂に入り、君の裸に群がって、シャンプーと石鹸で全身を泡だらけにしましたね。その挙句に、大マグロになった様な君を担いで、お風呂の中に、ドボンと放り込む事が、この旅行の大事な行事にまでなっていました。あの時の君は、半泣きの笑顔で何度も「もう止めろよ」と怒鳴っていたけど、半分は「止めるなよ」と言いたげな顔で、とても幸せそうでした。同じ事を、私達2夫婦で行ったハワイ旅行でやろうとしたら、周りのアメリカ人の女性連が、優しく君の体に手をかしてくれて、どうも君はそちらの方が、荒っぽい男仲間の扱いよりも、もっと嬉しそうで、少しばかり、男同士の友情にひびが入りました。

未だ、君が元気だったころは、コーロの母体となった、スコラの合唱団を、今日も来ている5人の仲間で立ち上げて、折々の季節の呑み会を、ビア・アーベントと称して、洋子さんの大活躍の下、君の家で楽しく長い夜を、過ごしました。

あのような、平穏な普段の生活が続くと思っていたら、8年前、スコラの練習で気分が悪くなり、2度目のクモ膜下出血がありました。丁度、練習の休憩時間だったので、手際よく救急搬送が出来て、この時も、大手術を頑張り通して、無事、家に戻る事ができました。さすがに、2度目の後は強気の君達も、多少は控えめな生活を、と考えた様でした。とはいえ、永年続いてきた仲間同士の付き合いに変わる事はなく、合唱の練習見学をした後は、必ず呑み会に出席して、真っ先に自分の好きな食べ物に手を出して、皆の顰蹙をかっていました。

年に何回かは、2夫婦で小旅行もできていましたが、君の衰弱が目に見えて進んでしまい、最後の住まいとなった蒲田の介護ホームに入ってからは、楽しい時間を一緒に過ごす機会も少なくなりました。この間、16年間に亘り、君の看病と介護をしてきた最愛で最強のパートナー、洋子さんは、常に明るく、前向きに、変わらぬ愛情とパワーで、君を支え続けてくれました。

思えば、君と僕とは、大学の楽友会に入会した18歳の頃からの付き合い、洋子さんはその1年後に入会して来て、淑子はその又1年後、2夫婦の間で、全員が50年を超す、濃密な交友を続けてこられた事について、心から感謝しています。


楽友三田会が出来た頃 伴有雄さん(1期)もお若い


第46回東京都合唱祭 1992

君の穏やかで優しい性格は、私達夫婦だけではなく、周りの多くの合唱や慶応の仲間、麻布のラグビー仲間、教会の仲間、その他、君と関わった大勢の仲間達から人望と尊敬を集めていました。加えて、社会人・経営者としても、立派な人生でした。思うに任せなかった経営環境の激変の中、親子2代で心血を注いだ、みくに製菓を廃業するという、苦渋の英断を行い、自分の愛した事業を粛々と閉鎖するという苦労を、立派にやりとげられました。その過程で、会社が無くなる社員の転職に、何よりも一番頭を悩まして、苦労していた様子には、心から頭がさがりました。普段の穏やかで幸せそうな様子からは想像出来なかった、君の深い哀しみと、社員に対する深い愛情を思い、私まで粛然とさせられました。

泰雄さん、君は16年間、立派に病気と闘って、生き抜かれました。73年の豊かな人生を、周りの皆を愛し、愛されて、生き抜かれました。素晴らしい奥さんと、3人の子供達、4人の孫たちに恵まれ、君達2人から、輝かしい未来を築く、頼もしい若い命と精神が生まれました。もう充分頑張りました。この後は、天国で神さまから「ご苦労様」と、やさしい労いのご褒美を頂きましょう。安心して、お休み下さい。君が下さった、愛情と不屈の魂、そして、「もう止めろよ」という、あの嬉しそうな半泣き顔も、永遠に私達の心に残っています。有難うございました。そして、お休みなさい。

平成28年11月15日
                                   友人代表
                                   池田龍亮

  


編集部注 本文は池田龍亮君(11期)が友人代表として11月15日、カトリック上野毛教会での告別式において、兄弟以上の親友である杉原泰雄君(11期)に弔辞として読み上げた「お別れの言葉」です。

教会での葬儀に飾られた故人の笑顔の遺影は、この写真から作成されたものでした。


杉原泰雄・洋子夫妻と池田龍亮・淑子夫妻

洋チンから送ってもらったこの写真からかっぱも杉作の遺影を作成しました。「杉作のうた」は今後も更新されて行きます。(2016/11/20・かっぱ)