追悼文集

故相楽政彦君への追悼のことば

立野 年城(13期)



平成13年6月「13期生広島・松山・倉敷旅行」
後列左から、石山・西松(旧姓小林)・立野・和田・浅海
前列左から、森(旧姓斉藤)・喜楽政道居士(俗名相楽)・岩崎(旧姓倉橋)

  

君との最初の会話は新入会員のパート決めの帰り、井の頭線の車中でした。「出身は福島県です」「北海道です」。あれから丁度50年。歩いて10分のお互いの下宿を行き来し、飲みながら君のギター伴奏で歌い、喋り、朝帰りも・・・。

君は経験を活かしてテノールのパートリーダー、僕は皆に担がれて幹事長、そして手塚・棚次君とカルテット「フォーナイツ」・・・と走馬灯のように若い「楽友会」時代が駆け巡ります。

社会人の第一赴任地が「神戸」と「大阪」。君好みの女性がいるスナックにも良く通ったものです。平成2年に関東に戻って君に会うのが癌で治療中の病院の見舞いだったとは大変ショックでした。

その後、君は持ち前の気力で体力も回復し、会社の保養所で幾度か同期会もさせてもらいました。そんな時も君は率先して場を盛り上げ、会社での強いリーダーシップを思わせる場面を何度も垣間見て、男性一同羨ましくも思ったものです。

そんな頑張り屋の君は50代後半には役員に昇格し、幾度となくアメリカに出張して業績UPに貢献したと聞いております。リタイアー後はシャンソン・ゴルフと趣味にもこれまた「全力投球」で、シャンソンリサイタルにも同期一同をご招待戴くなど、正に我々13期の「華」と言っても過言ではない存在でした。それなのに・・・

奥様から突然の訃報を受けた時、思わず「まあ、可哀相に・・・」と口にしました。享年とは言え余りにも突然の別れで、僕から同期一同へのメールは「ただただ絶句」のやり取りでした。6月初旬の旅行・7月20日のシャンソンリサイタルも無事終え、これからは秋のコンペ・忘年会と君はいつも皆と一緒のはずでした。

相楽君、またいつか会おうな。一緒に歌おうよ。

(2013/8/26・立野)

  


編集部注 相良君は2013年8月10日没です。