慶應義塾高等学校・女子高等学校の両校楽友会 

高校楽友会第46回定期演奏会・見聞録

編集部

日時: 2010年3月23日(火曜日/17:30〜20:30)
場所: 藤原洋記念ホール(日吉)


お客様のお出迎え

♪プログラム♪

I 女声合唱4曲信じるEdelwaise花と一緒
  男声合唱4曲
大地讃頌春にサッカーによせて糸)
     女声合唱指揮
星 莉嘉女子高2年生
     男声合唱指揮
伊倉 直彦塾高2年生
     ピアノ
両合唱共):小野木 智子ヴォイス・トレーナー

U 混声合唱 C. Orff(1895-1982):“Carmina Burana”より第1,2,3,5,20,24,25の7曲
     指揮
植竹 周子女子高3年生
     ピアノ連弾
小野木 智子上記)・渡辺 一塾高3年生

休憩

V お楽しみステージ7グループによるポップス系8曲と全員でゴスペル2曲

W 混声合唱とピアノのための初心のうた作詞木島始/作曲信長貴富)」全5曲
     指揮
国本 怜塾高3年生
     ピアノ
植竹 周子上記


プログラム表紙デザイン


§1 演奏風景

プログラム冒頭に掲げられた小川未来君(塾高3年生)の挨拶文によると「今年度は21人の新入生を迎え、全体で約50人を数えるようになりました。近年の楽友会では類を見ない大所帯です」となっています。プログラム開始に先立ち、渡辺 一君指揮による塾歌が演奏されましたが、その時数えてみると確かに男声28名、女声20名で合計48名がステージいっぱいに並んでおりました。

一時は団員数が激減し、存続の危機さえ危ぶまれたようですが、見事な立ち直りを見せた立派な高校生の姿に、先ずは感激しました。今年はその中の13名(男子9名・女子4名)が卒業されるようですが、4月の新学期には昨年同様、これに倍する新入部員を迎えてくれることでしょう。それが実現すればしめたもの。高校楽友会・第1回定期演奏会の時の出演人員(58名)を上回ることになります。新3年生のリーダーシップに期待しています!

第1ステージでは男・女両合唱とも其々の2年生指揮者による演奏が披露されました。いずれ劣らぬ好演で歌詞の内容をよく噛み砕いた表現と、女声合唱は女声ならではの、男声合唱は男声ならではの特性をよく活かした演奏で、明るい未来を予見させてくれました。

第2ステージの「カルミナ・ブラーナ」には驚きました。成人の合唱団でも躊躇するこの難曲を、よくぞここまで仕上げたものです。全25曲のラテン語による「世俗カンタータ」から7曲を抜粋演奏した選曲眼、それにその指揮・指導力と活気に満ちた歌声。とても高校生の合唱とは思えない出来栄えでした。

ここまで連続して伴奏部を受けもたれた小野木智子さんのピアニズムも感動的でした。ある時はぴったりと合唱に寄り添い、またある時には曲想を華やかにリードしつつ全体に花を添える大活躍でした。プログラムの解説によると「楽友の母」ともいわれる方で、何事にも良き相談相手になってくださる「ヴォイス・トレーナー」とか。他では見られぬ、得難い存在と知りました。塾歌で指揮をし、第2部では小野田さんとの連弾で、オケの効果をピアノで華やかに展開した渡辺一君の高音部伴奏も見事でした。若かりし頃の舘野泉君の活躍を思い出しました。

15分の休憩を挟んでの第3ステージ。第2ステージとは違った意味でビックリしました。舞台の様子がガラッと変わり、何といえばよいのか、私流にいえばヒップホップ・カルチャーのショールームにいるような気分になりました。

大学楽友会では近年「シアター・ピース」といわれる音楽劇のような演しものが盛んですが、高校楽友会でこれに相当するのが“The amusement stage”と称するこのステージです。前者との違いは全員が参加するものではなく、有志5〜6人で1グループを組み、好きな曲−ロックありラップありゴスペルあり−を選んで自分たちで適当にアレンジして自由に歌い踊ることです。「台詞」がない代わりに男女2名による掛け合いのMCが入ります。

会場をデッドな音響にして2本の大型スピーカーを用い、そこからパーカッションの伴奏を響かせます。そして茶髪、長髪族が入りまじり、派手なコスプレ姿の歌手たちがマイク片手に、リズムに乗って手を振り、体をくねらせながらスイングします。それに応じて聴衆も床を踏みならし、手拍子を打つ・・・・・。

「あれ?俺はアキバにいるのかな?それともブロンクス???」てな感じです。何がなんだか分からなくなったところでMr. MCが「おつきあい、ありがとうございました!」とこのステージを締め括りました。

それでハッと思ったのは、これは大学・高校楽友会共催の初期(約60年前)の定期演奏会プログラムにあった「グループ発表」の現代版ではないか、ということです。もちろん歌う曲も演奏スタイルもまったく違います。が、少人数でそれぞれの個性を発揮するという点では同じです。要するに時代感覚と趣味の問題で、自己表現の形式が今風に多様化しただけの話です。

だから、その態様を云々するのはヤボというもの。見聞する人の年代や個性によって様々な評価があり、称賛や批判が渦巻くのは当然だからです。年配者は眉をしかめるでしょうが、若い(OBGと思われる人)たちは熱狂的な拍手を送っていました。

第4ステージは、再び全員威儀を正した正装に戻り、信長貴富氏の名曲「初心のうた」を美しく演奏してくれました。前のステージとは対照的に、静かで落ち着いた雰囲気があり、「戦争を知らない」世代の高校生たちが、彼ら自身の力によって、よくもここまで練り上げた曲作りをしてくれたものと感動させられました。指揮する人、ピアノ弾く人、合唱する人々が一体となった、すばらしい演奏でした。

ちなみに作詞者の故・木島始氏は林光先輩とも親交のあった詩人・作詞家・英文学者で、旧制六校在学中に敗戦を迎えた方です。ここで演奏された曲はその詩集の内の5編を選んで作曲された一種の反戦歌集です。その内の第3曲「とむらいのあとは」は、06年度の全日本合唱コンクールの混声部門課題曲となって以来一気に関心を高め、心ある若者たちによって歌い継がれ、愛唱されている名曲です。


皆さん、有難うございました  「青春讃歌」大熱唱


§2 小言幸兵衛のながーい「つぶやき」

以上、個々のステージは何れもお世辞抜きですばらしかった!

とはいえ、全般的に見れば種々改善の余地があったように思われます。以下に複数の聴衆の意見をまとめて列記しますので、参考にしていただければ幸いです。

1. 演奏会の目的は?: 自分たちの日頃の成果を人に聞いてもらうため、ということには異論がないと思う。それならできるだけ多くの人に来てもらった方がいい。そのためには開催日時を再考すべきではないか。週日に日吉で17時30分の開演では、都心に働く人たちは殆ど参加できない。そのせいか会場に空席が目立ったのは残念だった。

2. 選曲は妥当だったか?: 自分たちの好みだけで曲を決めているように思えた。どういった客層を想定していたのか?聴衆の中には高校生の祖父母に当たると思われる方がかなりおられた。そういう方たちにも楽しんで頂ける曲はなかった。少しはポピュラーな日本の抒情歌とか、古典的なアカペラの名曲を組み入れた方がよい。基本的な合唱修練にもなるし、聴衆も合唱の醍醐味にすぐ惹きこまれることは確実。

3. どの程度発声訓練しましたか?: すばらしいヴォイス・トレーナーがおられるようだが、その訓練は徹底しているのだろうか。全員が真剣に確実にこなしてきたのだろうか。ちょっと怪しい気がする。喉に力の入った地声が目立ち、全体としてはあまり澄んだ響きになっていない。特に高音部で聞き苦しい声になる。若いエネルギーに任せて常に声量だけを頼りに喉に負担をかけている。だから早くも2部で殆どの人の声が嗄れたり割れたりし、第3ステージ以降は声に艶と伸びがなくなり、音程もぶら下がり気味になる。

4. 他のパートを聞きながら歌っていますか?: 全員全曲暗譜!これはすごい!暗譜したから、皆自信満々で歌っている。それはよい。けれども他のパートをもっとよく聞き、全体のバランスを考えながら歌っているとは思えない。特に男声。もともと人数が多い上に皆声が大きい。だから女声がかすんでしまう。歌詞も不明瞭になる。例えばPの部分で女声はそのまま、男声はPP位のつもりで歌った方がよい。もっとバランスのとれた、豊かな響きを目指してほしい。

5. ステマネ経験者に相談しましたか?: 男女両校とも全てを学生が自主的に運営しているとのこと。これまた大したものだと感服。けれども、もっと第3者のアドヴァイスに耳傾けた方がよい。アンケート用紙が配られていたが、その結果はあまり参考にはならない。好意的回答に偏るのが常だから。それより身近な部長や音楽の先生、またはOBGの忌憚のない意見を聞いた方がよい。次のようなことは未然に防止できたはずだ。

● 場内アナウンスで「携帯」や「時計」に関する注意はあったが、むしろ演奏中の周囲のささやき声が気になった。また1曲終わる毎に拍手する人が多く、演奏会に不慣れな聴衆が大多数だった。そうした事実を踏まえた注意喚起が必要だったのではないか。第2ステージ直前、会場が暗いままなのに「次のステージの準備をしていますので、アンケートでも書いていてください」と言われたが、これは打ち合わせ不徹底かな。

● 照明は「暗転」を多用していたが、あまり意味はない。全体的に会場はもう少し明るい方がいい。せっかくすばらしいプログラムが渡され、歌詞を読みながら聴かせてもらえると思っていたが、2階にいても全然読めずに残念だった。

● 第1ステージの男声合唱の時から、歌いながら泣いている人がいた。最初は花粉症かと思って同情したが、第4ステージではかなりの人が明らかに泣いていると分かり唖然とした。それも男声に多いのが不思議だった。最近の若い男性が「草食系」といわれるようになった現象の一端なのだろうか。

詩もいい、曲もいい、仲間もいい、時は春3月。感情移入が激して泣きたくなる気持ちはよく分かる。だが客を前にして泣いてはならぬ。いくら無料の演奏会とはいえ、皆は歌を聞きに集まっている。一旦舞台に立ったら、客を感動させ、泣かせるのが舞台人の務め。その立場が逆転したら文字通り「主客転倒」で客はズッコケる。

これを防止するためには、第2と第4ステージの曲目を逆にした方がよかったのではないか。プログラム構成としても、最後を華やかな、あるいは規模の大きい曲で締めくくった方が、全体としての高揚感があってよかったと思う。

● 1階の客席は舞台より低い。だから聴衆の目線は自然に合唱団員の手の位置に向かう。女声はごく普通に黒のロング・スカートの脇で静止していたが、男声はまちまちで落ち着かない。後ろ手を組む人、時折ズボンのポケットに手を入れる人さまざまだが、歌いながら指揮している人もいて非常に気になった。初めから終わりまで手が動いている。それが時折全体のリズムと合わない。口をみるとちゃんと歌っている。小さな動きだがとても目立つ。聴衆は視覚も働かせて聞いているので、手の位置にもご用心!

● 卒業していく先輩に花をもたせる気持ちはよく分かる。昔もあった風習で、ラスト・ステージで胸に花を付けたり、終演後にその人たちを中心に記念撮影したりしたものだ。多情多感な高校生時代に区切りをつけるのに、演奏会は絶好の機会といえよう。だがしかし、と考える。これは曲がりなりにも公開の音楽会。身内だけで楽しむパーティではないのに大仰過ぎた。会場には他校の高校生もたくさん来聴していた。その人たちは「青春讃歌」がいきなり中断され、送別の歌が長々と歌われ、その場面転換で長い空白が生じたりして、一様に白けた表情でブツブツ言っていた。

もちろん最後の「青春讃歌」はよかったが・・・・・。


§3 「楽友会」は永遠

会場出口に団員一同が勢ぞろいして聴衆を送り出してくれたことには感激しました。いくら若いとはいえ皆さんお疲れだろうに、本当にいい笑顔であいさつを交わしてくれました。それで全てが救われた、と言いたいところですが、終演まで3時間というのはやはりかなりキツイ。何人かのお年寄りは途中で退席されました。

一般の音楽会は休憩20分を入れて概ね約2時間で終わります。今回の演奏会は、進行がスムーズにいけば30分は短縮できたでしょう。しかしそれでも長過ぎます。どうか英知を集めて、より短時間で完結する工夫をしてください。

そうなれば先輩団も大勢聞きに来てくれるようになるでしょう。今回はその数がとても少なくて淋しく思いました。けれども、会議の合間を縫って「前半だけでも!」と駆けつけてくれた隠れファン(OB)もいたのです。

最後にお願いです。皆さん、どうぞこのまま一貫教育校の良さを生かし、いつまでも合唱を続けてください。高校楽友会の前途には大学楽友会、楽友三田会合唱団があり、フレッシュな皆さんの参加を今か今かと待ち望んでいます。平均年齢71歳のOSF男声合唱団もあります。「雀百まで歌を忘れず」です。楽友会での歌と交友は生涯の宝となるでしょう。千名を超えるOBGがそれを保証します。また逢いましょう!!!

完(3月26日・文責:オザサ)


編集部(カッパ)より
このページの写真はワグネルOB合唱団(H1卒)・市川 卓広君(塾高楽友会出身)の提供によるものです。オリジナルのアルバムはGoogle Picasa上にあります。

そのフォト アルバム 慶應義塾高等学校楽友会 第46回定期演奏会 をご覧ください。同君の母上は幼稚舎で私の1年下の、ピアノが上手なお嬢さんでした。

第4ステージの「初心のうた」の作詞者は木島始です。これはペンネームで本名は小島昭三といいます。私が塾大学院を終了後41年間教鞭をとり続けている法政大学の第一教養学部の教授でした。小島先生は英文学者ですが、黒人のジャズにも造詣が深く、20年ほど前にそうとは知らずに、黒人詩人ラングストン・ヒューズの著作「ジャズの本」の訳本を読んだことがありました。同じ大学の教授と気がついて、事務に問い合わせたときには既に定年退職されていて、お会いすることがないまま2004年に亡くなりました。

市川君、小島先生、何とも不思議な巡り合わせだなあと思います。時の流れを感じます・・・。 (わかやま/3月28日)