▼ 頁数には表裏の表紙を含みません。また、右から2行目にある「会員外寄稿数」とは教職者や校外関係者からの寄稿数を意味します。なお表紙の題字や挿絵は、最初の2号が会友・抱勇雄君、以後の殆どは高校美術科教諭・毛利武彦先生のデザインによるものです。大きさは概ねB5判、印刷・製本はすべて外注ですが孔版方式時代のもので紙質が悪く、ことに50年代前半の「楽友」は、戦後事情を反映し、触れるのも怖いくらいに劣化しています。
▼ 創刊号は51年に塾高を卒業した同期生(責任者:進藤重行・十合啓一)諸君による編集で、後記には将来への期待をこめて次のように記されています。「これからは全会員の協力によって、音楽愛好会を発展させるとともに、この会誌も立派に育てあげてください。卒業生一同、心からのお願いです(クロニクル・楽友会前史3及び4項参照)」。
▼ これを受けて早くもその半年後に、第2号が発行されました。これには筑紫武晴、伴有雄(1期)、川島修、楠田久泰(2期)、若杉弘(3期)他、高3から1年生までの11名が編集者として名を連ねました。それは創刊号が同期生という、横のつながりの結束で編集されたことに対し、縦の結束で応じた意思表示と思われます。真に当を得た対応で、ここに文字通り「全会員の協力」による「立派」な「会誌」の規範が成立しました。
▼ それにより①年2回発行②独立採算制(頒布制、広告費収入による低価格化)③研究・楽曲解説重視という骨格が定まりました。そして、それに肉付けをし、「楽友」を楽友会員相互のディベート、研鑽ないし親睦に不可欠な会誌に育てあげ、定着させたのが松延貞雄君(2期/高3~大3までの4年間/新・創刊号~7号)でした。
▼ そのお陰で「楽友」は皆に愛読され、次号発行が待望される会誌となったのです。しかし、原稿と資金集め、そして編集作業には血のにじむようなご努力があったようです。たまたま同兄と筆者は、勤務先が指呼の間にあったため、卒業後もよくお会いして様々な苦労話を拝聴しましたが、その真摯で熱い楽友会への思いに心うたれたものです。