編集部追注(注*1)(注*2)
1948年の欄に、音楽愛好会発起人代表に林
光、峰岸壮一両君(愛好会1期/2年生)とあります。1951年の欄には、編集責任者:進藤重行、十合啓一両君(共に愛好会2期/3年生)とあります。まともに読むと、林、峰岸両氏は上級生、進藤、十合氏らは1年下の下級生となります。
これらは「楽友創刊号」に書かれている内容の引用ですが、HP「楽友」開設7年後にして、やっと塾高の名簿を調べて記述の確認をいたしました。ご存じない方もいらっしゃることと思いますが、高校の1学年は18クラス、約900名という規模です。名簿を繰るだけでも大変です。
新制慶應義塾高等学校の創設は1948年4月です。在校生は2年生(A組~L組)と1年生(A組~R組)です。楽友会の会友として名簿に掲載されているのは、芳野一夫、峰岸壮一、伊東
毅、内村 宏、十合啓一、小森昭宏、小林亜星、島 三郎、林 光、進藤重行、藤本祐三、抱 勇雄、葉山雅章、吉田亮一の14氏がいらっしゃいます。
「楽友創刊号」の編集委員の中には、明石 準、田野中勇、藤原
宏の会友となっていない3氏の名前があります。これらの方、すべてが1951年卒の高校2期生なのです。
「楽友創刊号」の記述が正しいとすると、林、峰岸両氏は高校卒業が1年遅れたと解釈できます。そこで、普通部の名簿まで遡りました。両氏は1948年3月新制普通部卒です。したがって、1948年6月に高校2年生ではあり得ません。
われわれがお名前を把握している17名の音楽愛好会創設時代の先輩には、高校1期生は誰もいらっしゃいません。当時、部員だった1期生は3年生になっても演奏活動をしています。お名前が残されていないだけかもしれません。幻の楽友会1期生です。
高校1期生=1950年3月卒業(高校開校時2年生)
高校2期生=1951年3月卒業(高校開校時1年生・楽友三田会会友)
(2015/11/30・編集部かっぱ)