慶應義塾楽友会クロニクル
楽友会前史(2) : 岡田忠彦先生*1登場  

第26回定期演奏会(芝郵便貯金ホール) 1977年12月
モーツアルト「レクイエム」 指揮:岡田忠彦先生

楽友会の恩師・岡田忠彦先生は、そのような激動の時代をどう生きられたのでしょうか。本来なら「私の履歴書」として長文をお書きいただきたいところですが、今回は先生ご自身から、次のように簡単なメモを頂戴いたしましたので、それを転載させていただきます。*2

  瀬戸内海の温暖の地 福山市今津町 岡田家の次男とし誕生 物心ついた頃から音楽に関心をもち 中学時代は専ら ブラス・バンドの先頭に立ち  その頃恒例と成っていた 毎月曜日 朝礼前の全校生徒の分列行進を 指揮しておりました

  従ってブラス・バンドの譜面作りも  任務の仕事でしたから 戦時中にも拘らず 敢えて音楽の道を選び 成田為三 岡本敏明 尾高尚忠 大中寅二 岡田九郎の諸先生の  薫陶を受ける機会に恵まれました

 そして  敗戦余波 未だ収まらぬ 1948(昭和23)年 学制改革により新設の 慶應義塾高等学校音楽科教諭として 酒井悌  遠山一行 岡田の三人で発足し・・・ 翌年度より 遠山さんに代わって皆川達夫さんを迎えました

 新制慶應義塾高校の発足と共に  音楽愛好会も誕生 十合啓一 峰岸壮一 林光 の諸君より音楽愛好会の指導を要請され以来 楽友会と改名後も 今日までお付き合いを続けさせて頂いて居ります

08年8月6日


編集部注:
*1 塾では福沢先生以外に「先生」という尊称は使いません。大学の掲示板などでも「○○君、本日休講」と書かれており、例え名誉教授でもその扱いとなっています。これは創立以来の伝統で、慶應は福沢先生に教えられたことを弟子から弟子に相伝していく学塾であり、福沢先生以外はすべて同門の弟子であり、弟子同士は対等であるという思想に基づいているようです。しかし現実には、世間的慣習で、塾生といえども教師を「君」呼ばわりすることはありません。このホームページも、その慣習によっています)。

*2 実は7月末、筑紫ご夫妻(1+4期)と共に暑中お見舞いを兼ねて先生宅を訪問。お元気なご夫妻の歓待にあずかりました。その際、郷里や新婚時代の詳細なお話を伺うことができたので、それ等を記事にしたいと考えました。ところがその原稿をご覧になった先生ご夫妻は、謙虚なご性格から私的な事柄の大部分をカットされ、その代わりに上記メモをお送りくださった、というわけです。従ってここでは先生のご意思を尊重し、原文をそのままの形で転載させていただくことにいたしました。(オザサ記)


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