その他の趣味・同好会

ブルーメンクランツと楽友会の物語
(家出娘、中年になり家を思う)


 佐藤 雅代(43期)


このたび9期の若山さんからメールをいただき、唐突ながら4X期前半では初めてのエッセイを書かせていただくことになりました。

私は、2003年に混声合唱団ブルーメンクランツ(http://blumenkranz.jpn.org/)という合唱団を立ち上げ、現在もその団の団長を務めています。この団体のことを、耳にされたことがある方も、ない方もいらっしゃると思います。あまり「業界内」の付き合いが得意でなく、宣伝下手でもあるのですが、2003年の3月に始まって、2004年以降は毎年6月に定期演奏会を開きながら、かれこれ13年以上続いています。最初は41期〜46期の楽友OB/OGと私の職場の同僚1名という団員構成で、ほとんど楽友会のOB団体といっていい状況でしたが、ホームページ経由で継続的に新規団員が加わっているため、今ではどちらかというと楽友会関係者は少数派になってきています。現在の活動団員は20名前後ですが、10年以上も続けばいろいろな人との出会いと別れがあり、この団体に一時的にでも関わったことがある人々の数を数えれば、おそらく100名以上を超えるだろうと思います。

さて、そのような事情で、現在は楽友会とは関係ない団員のほうが多いことから、普段あまり楽友会との関わりについてはあまり大きく訴求していないわが団なのですが、このエッセイは楽友会関係のページに掲載される私個人のエッセイなので、あえて、今思う「私個人とブルーメンクランツの中に生きる楽友会のDNA」について、触れてみようかと思います。

私が大学時代を過ごしたのは1994年から98年の間で、すでに栗山先生が楽友会の常任指揮者でしたが、岡田先生時代のことを記憶されている先輩方や、近い世代のOB/OGが多い時代でした。少子化が学生数に反映する一歩手前の世代ですので、団員は100名を超えていましたし、4年間メインステージはオーケストラ付きで、大学3年の時にはモーツァルトのレクイエムを歌うこともできました。定期演奏会でオケ付きの「青春讃歌」を歌ったことがある、最後の世代でもあります。(というより、我々の時代にそれを決断したのです。)

中学・高校で合唱部には所属していたものの、本格的にクラシック音楽を歌ったことはなかった私にとって、大学楽友会での様々な音楽との出会いは衝撃的な体験でした。入団が1年生の10月と、同期に少し遅れていたのですが(藤沢キャンパス5期生で、最初はSFCのサークルに入るつもりが、あまり馴染めず三田に見学に行ったのが10月)、最初に出会ったミヒャエル・ハイドンのレクイエムが好きになりすぎて、なんとしてもステージに乗りたいと思い、2か月で全曲暗譜を達成して間に合わせました。今思えば無茶をしたものですが、それでやみつきになって楽友会に定着し、そのまま色々なものが生まれていったことを考えると、音楽の神様が、それを許してくれたのでしょう。

楽友会ではいろいろな音楽と、いろいろな人に出会いました。クラシックの大規模構成の音楽だけでなく、現代合唱曲やルネサンス音楽の面白さにもハマりましたし、お酒と宴会芸にもハマりました(笑)。時代的にはとっくにバブル後なのですが、たぶんバブルの空気が少し残っているころで、バカバカしいこともたくさんやりました。あのときいろいろ振り切って遊びきったおかげで、社会人になってからあれよりバカなことをしてみたいと思わなくなりました。個人的には、死なない程度に学生時代に無茶をしてみることはお勧めです。あくまでも自己責任ですが。。。

それはともかく、大学時代の様々な出会いの中で、後に至って重要だったのは、同期の小林昭裕君との出会いです。彼と、同期のもう一人の学生指揮者は、当時から音楽に関する関心と理解のレベルが飛びぬけていました。それが合唱団という場でなければただのオタクですが、彼らは実際に合唱団の指導にその知識と技能を生かすこともできたので、(その他の場ではともかく)音楽の場では当時から、ゆるぎないリーダーシップを発揮していました。

就職活動の時期を迎え、そんな彼らが普通の就職をするのかどうか気になっていましたが、小林君は、案の定(?)音楽の道に進むことを選びました。彼が、2回目の受験で無事東京芸大に合格した折には、三田の「つるのや」に集まって同期で盛大に合格祝いをしたものです。

私のほうはといえば、藤沢出身者として楽友会史上初の幹事として会計を務めさせていただき、合唱団にかかる費目とお金の流れ、まだお金にまつわって起きる団体運営上の諸問題の傾向と対策を、学生時代に学びました。卒業後は時代の流れに沿ってシステムエンジニアの職を得、仕事に慣れるまでしばらくは歌もやめていましたが、1999年のジュネス(青少年音楽日本連合)や2001年の楽友会50周年演奏会など、公募型のプロジェクトに時々参加して音楽に触れるようにしていました。

それからしばらくして仕事のペースもつかめるようになり、合唱団活動を再開しようといくつかの合唱団の門を叩きましたが、どうもいずれもしっくり来ません。そんな2002年の末に同期忘年会(当時は毎年欠かさず行われていたのです)に現れた小林君に、「もういっそ自分で作っちゃおうかなと思うんだよね」と酔った勢いでぼやいてみたところ、「いいね。俺も来年から大学院に入るし、合唱団やろうよ」との答え。

場を改めて、小林君と打ち合わせを持ちました。
二人で決めたのは
・年に一度必ず演奏会を行う合唱団にしよう
・選曲にはかならず1曲はオケ付きの曲を入れよう
・最初は身近な仲間を募るけれど、広く楽友会の外から団員を集めよう
の三点。

それからはとんとん拍子で話が進み、14名でスタートした合唱団は1年間で30名に増え、紆余曲折を経て今に至ります。

上記の原則三か条は今でも守られていますが、今になって振り返れば、一点目は団体としての大原則なのでともかくとして、二点目、三点目については、当時楽友会に対して思っていた愛着と反発の両方が息づいているように思うのです。

いうまでもなく、オケ付きの曲で歌うことの面白さと、まだ知られぬオケ付き合唱曲を広めたいという気持ちの原点は、楽友会での4年間の経験だと思います。その一方で、人生の最初の4分の1で生まれた絆だけを頼りに、残りの4分の3の合唱人生を生きていくのは、あまりに狭くないだろうか。それが、いくつかある「楽友会系」の合唱団の中では最も「古い楽友会」に近い音楽的傾向を持ちながら、ブルーメンクランツという団体を新たに作ることとなった、出発点でもあります。そうして実際、この団体が作り出した人の輪の価値は私にとってかけがえのないものであり、この考えは間違っていなかったと、今でも思っています。

とはいえ、それから13年を経て、当時27歳だった私も不惑の大台に乗り、今では楽友三田会という団体が長い時間続いていることの素晴らしさ、先輩方が楽友会に寄せる深い愛情についても、少し理解ができるようになりました。昨年の新年会に久々にお邪魔して、(あまり大っぴらにではないながら)日吉で行われた当団演奏会のご紹介もさせていただいたところ、少なからず楽友会からもご来場をいただき、音楽をこよなく愛する先輩方をたくさん持っていることはありがたいことなのだと、身に染みて感じたところでもあります。


2011年、チルコット《レクイエム》演奏時のもの 
(於トッパンホール、一番オーソドックスな演奏会スタイル)


2012年、ヘンデル《メサイヤ》をシアターピースとして演奏 
(於トッパンホール)


2015年、チルコット《ヨハネ受難曲》曲中の讃美歌を、会場と一緒に歌っているところ 
(於武蔵野市民文化会館)

リーダーである以上、自団の大多数である「楽友会とは関係のない仲間」のことも考えなくてはいけない身の上ですので、今まで同様、これからも三田会へは一定の距離を取り続けることにはなるだろうと思っていますが、一方で私が楽友会のOGであることは変わりない事実ですので、時々は楽友会のことを振り返り、皆様が集まる場には可能な範囲で顔を出し、近況をご紹介させていただくようなスタンスで、末永くお付き合いができればいいな、と思っております。現役もなかなかオケ付きの演奏会をやらなくなった昨今、「気持ち(は)若い」団体と、その器楽付き合唱曲の演奏会にご興味をお持ちいただけたなら、毎年6月の演奏会にぜひ足をお運びいただけましたら幸いです。

===<次回演奏会のご案内>===
混声合唱団ブルーメンクランツ 第14回定期演奏会
日時:6月17日(土) 18:00 開演予定(17:30開場予定)
会場:四谷区民ホール
(新宿御苑前駅 徒歩5分  http://www.shinjuku.hall-info.jp/pc/access.html
演目:ブラームス《ドイツ・レクイエム》(室内楽編成版) ほか
詳細:http://blumenkranz.jpn.org/concert.html
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以上

(2016/12/27)

    


編集部注 今年の羅漢のコンサートを聴きに横浜に行きました。打ち上げの席で、既に終わってしまったBlumenKranzの13回定演のプログラムをもらいました。ホームページを見ると若い世代の楽友が立ち上げた合唱団でした。「楽友」のLinksのページにブルーメンクランツの欄を作りました。気が付いていない皆さん、アクセスしてご覧なさい。

われわれは、こういう合唱団があることさえ知らないお爺さんです。皆さんにもこのような合唱団が活躍している話を知らせるべく、団長の佐藤さんに「合唱団紹介」の原稿依頼を出しました。忙しい中、今日、原稿が届きました。

「なお、バトンですが、小林君が受け取ってくれるそうですので、もしよろしければ依頼いたします」

この原稿内容が「合唱団」に関わるものですので、本コーナーに載せましたが、リレーのバトンは小林昭裕君(43期)につなぎます。 

(2016/12/27・かっぱ)


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