楽友三田会

岡田忠彦先生を囲む会
2014/6/8
日吉協生館

橋本  曜(1期)


岡田先生を囲む会 2014/6/8(日) (↑クリックで拡大)
    

「岡田先生を囲む会」が日吉協生館で6月8日(日)に行われました。この会は今回で13回目ですが、発足したのは2001年3月3日に行われた「楽友会発足50周年記念演奏会」のあと、6期の島田孝克君から「岡田先生に感謝をする会を開きたい」と提案されて、6期の人が中心になり6〜1期に呼びかけが行われて会を開いたのがそもそもです。したがって極めて私的な集まりでした。翌年、楽しかったからということで5期が幹事になり続けられて行ったのです。途中7期の人から私たちもと加わり、さらに8期もとなり、今回は1期が担当し、13回目となります。昨年は、岡田先生が88才・米寿ということで、これも会友による私的団体「岡忠会」も加わり盛大にお祝いをしました。

こういった会の存在は、音楽愛好会時代の環境によるかもしれません。岡田先生が書かれた文「追想:40回の定期演奏会」に書かれています。

「この創立時代の音楽愛好会から、偶然とはいえ、次々と音楽家を輩出しています。作曲の林光君、小森昭宏君、小林亜星君、フルートの峰岸壮一君、チェロの伊東毅君、その1年下からは指揮者の伴有雄君、さらにその1年下から指揮者の若杉弘君、音楽美学の中野博司君、ピアニストの舘野泉君といった錚々たる顔ぶれです。在学中はごく普通にクラブ活動を楽しんでおりました。この時代はまだ戦後の貧困な衣食住の生活ではありましたが、音楽への情熱と厳しさには格別なものがありました。」

昭和25、6年といえば、まだ戦争、敗戦といった雑然とした時代で、音楽に夢を託し、燃えていった若者が居ても不思議ではありません。その火付け役を担ったのが岡田先生と思うのもこれまた不思議ではないでしょう。

この頃、日響(現NHK交響楽団)の演奏会に出演することができたのです。これも先の岡田先生の「追想」に書かれています。

「音楽愛好会創立の頃から、N響演奏会には度々出演しておりました。敗戦から58年頃までの音楽学校(今の大学)の男子学生は、女子に比べはなはだ少数なため、ベートーヴェンの第九交響曲などの大合唱は男声を補充してバランスをとらなければなりません。こうした事情でN響の第九はもとより、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、バッハのマタイ受難曲などには、有馬先生より男声の応援依頼があり、尾高尚忠、山田一雄、クロイツァー、K. ヴェスなどの指揮するN響の演奏に出演しました。現在では全く考えられないことです」

なんという幸運なことでしょう。

有馬大五郎先生はN響(当時の日響)の理事を、また国立音楽大学の学長をしておられ、そして音楽愛好会の会長をしておられた関係で岡田先生を通じて我々男声が演奏会に出演できる機会を作ってくださったわけです。N響の演奏経歴にも1951年8月6日後楽園スタジアム「日響サマーコンサート」に慶応義塾高等学校合唱団と記録されています。(他の出演は国立音楽大学の名に隠されています)今思えば、輝ける青春の一ページを岡田先生がつくってくれたことでした。

この13回目の「岡田先生を囲む会」でも、会友の小森昭宏さん、伊東毅さん、2期の川島修さん、5期の小谷美穂子さん、6期の飯田武昭さん、7期の三戸義昭さん、8期の峰岸篤子さんから思い出など多く語られました。ありがとうございます。


「天地慶応」 指揮 小森昭宏(会友) 


青春讃歌


指揮 岡田先生

そして全員で、小森さんの指揮で自ら作曲された「天地慶応」、最後に岡田先生の指揮で小林亜星さん作曲の「青春讃歌」を歌い、閉会となりました。(岡田先生が書かれた「追想:40回の定期演奏会」は、ホームページ「楽友」Anthology記念資料集に記載されています。ご覧ください)(2014/6/30)