なんとか昔の絆を取り戻したいと思っているところへ、昭和50年すぎて、岡田先生から年に一度「南極」の氷が手に入るとの情報を得た。そこで旧友十数人が集まり、岡田先生のお宅で試飲会をすることになった。当時の高価なウイスキー・シーバスリーガルを1本仕入れ、アイスペル1杯分程の僅かな氷で水割りを作り・・・「さすがに美味い」と絶賛した。それは始めの1杯だけ、あとは安いウイスキーをガブガブ飲んで、ガンガン歌ったものだ。中には完全に酔っ払い、先生のピアノの下に寝こんで帰れなかった奴もいた。先生の奥様には大変迷惑をかけたと思う。
ようやく、再会の機会を得たメンバーは、数回このような集まりを続けたあと、こんどは旅行に出ようということになった。先生を交え、熱海・四万などの温泉に10人くらいで出かけて、大いにダベりながら、フロの中でガンガン歌ったのを覚えている。この頃テレビですっかり人気者になってしまった「寺内貫太郎」こと小林亜星君を連れて、温泉街を歩くのに一苦労したのも懐かしい思い出だ。
やがて年を経て昭和60年代後半になり、メンバーも会社の定年が近くなって「この会もそろそろ夫婦同伴で参加するようにしよう」という声があがり、岡田先生夫妻も含めた会を始めた。音楽愛好会ではなかったが、何らかの音楽に係わったメンバーも交えて、20人近い顔ぶれが揃った。それからは1〜2年に1回の割合で旧交を温めてきている。
昔話をしたり、古い楽譜を取り出して、男声合唱をしたりとにぎやかになった。ズボラな幹事で、それまで「いつもの集まり」とか「例の会」などあいまいないい方だったが、いつまでも続けてゆこうと会の名前をつけたのが、やっと4年前のこと。やはり、愛好会創立の頃に苦楽を共にしたメンバーだし、何といっても、岡田先生の厳しい指導で育ったことから、先生のご承諾を得て「岡忠会」と名付けた。
とはいえ、今年でいよいよ「後期高齢者」の会になった。残念ながら、今年も3人の仲間が病気療養ということで、参加できなかった。来年には、ぜひ戻ってきて欲しいと願うとともに、この機会に、昔を懐かしむだけでなく、草創期の記録を後輩にも残してゆくことを念頭に、若いメンバーとの交流も深めながら、いつまでも元気に、「岡忠会」を続けてゆきたい。(12月3日)
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