![]() ![]() |
|
■ ■ ■ ■ ■ 平成30年度 第十二回 定例役員会
2018年12月1日(土) 23日の天皇誕生日には、今上陛下の平成最後の会見をテレビで拝見し、時折、お声を震わせながら話されるそのお姿に、爾来からの一貫した御誠実さと慈愛の御心を深く感じ入り、涙ぐんでしまいました。 さて、クリスマスも終わり、来週は子供の頃よく遊んだ洞光寺の大きな釣り鐘から百八つの除夜の鐘が響きます。日頃の煩悩を振り払えるかどうか、残りの5日間だけでも充実した生活を送って一年の帳尻を合わせようなんて都合のよいことを考えています。それではお約束の「館長の行動日誌」と「一服コーナー」そして「心に残った一曲」第二弾です。 |
|
■ ■ ■ ■ ■ |
||
<館長の行動日誌(11月分)> |
||
11月1日(木) | 上井保育園の園児と上井地区老協の老人会との交流グラウンドゴルフ大会(同保育園)に参加。晴天に恵まれ童心に帰って楽しんだ。最初のオリエン
テーションで「アイ・ウィッシュ・ア・メリークリスマス」(I wish a Merry Christmas.)を園児の前で歌ったら手拍子が起こり吉岡麻弓園長先生も楽しそうに口ずさんでおられた。 |
|
11月3日(土) | 倉吉北高校「高校レストラン」(第3回目)に老人会のご婦人二人と出かけた。和食・洋食とも美味で安価でそれに調理科生徒達の「おもてなし」の心が伝わってきて次回もまた来ますと約束して帰った。 |
|
11月4日(日) | 福庭自治公民館グラウンド・ゴルフ大会に参加。これは公民館体育部が企画運営(竹部
晃 部長)したもので昨年に続き、老若男女、世代を超えて沢山の参加者が集まり盛大なスポーツイベントとなった(河北中央公園)。 |
|
11月6日(火) | 倉吉市同和教育研修会に出席(交流プラザ)。 |
|
11月9,10,11日 (金、土、日) |
東京へ出張。公民館法人化に関わる司法書士の人選について首都圏の法曹関係者の意見を聴く。その他、「東京鴨水同窓会」にも出席。 |
|
11月13日(火) | 福寿クラブ(福庭老人会)の秋のバス日帰り研修旅行に参加。日野町、南部町方面の「緑水湖」「とっとり花回廊」を見学・観光した。参加者は26名で全会員の約半数。雨も降らず予定のスケジュール通りの楽しい旅行となった。 |
|
11月18日(日) | 上井地区自治公民館協議会(生田
均会長)主催の「ラージボール卓球大会」を見学・応援した。(河北小学校)全参加者80名。 |
|
11月25日(日) | 「県民の第九米子公演」を鑑賞(米子市公会堂)。 |
|
11月28日(水) | 上井地区同和学習会に出席。同和の話題に関連して「福庭自治公民館は今年から市内220自治公民館中最大の公民館として、1,000名住民の全ての世代に亘って分け隔てなく誰もが輝ける空間提供を目指している」と公言した。出席者の皆さんは目を丸くされていた。 |
|
<館長の行動日誌(12月分)> | ||
12月 1日(土) | 12月 定例役員会(福庭公民館)
内容は報告済み。 |
|
12月 2日(日) | 波波伎神社宮掃除に参加。 |
|
12月 5日(水) | 総務部年間反省会(懇親会)を企画実行。 |
|
12月 6日(木) | 福寿クラブ(福庭老人会)理事会(7名・福庭公民館)に出席。 |
|
12月 7日(金) | 上井地区自治公民館協議会主催の館長会(17館長)に出席。 その後の慰労会にも参加。 |
|
12月9日(日) | 福庭自治公民館の本年度会計監査に立ち会う(監査委員:市村勉さん:
18班と 船越和樹さん:12班)。 |
|
12月12日(水) | 第6回男女共同参画会議(倉吉市人権センター)に出席。 「防災・人権」カルタの制作スケジュールについて確認。 |
|
12月13日(木) | 鳥取県交通安全週間の交差点立ち合い監視・誘導を交通安全部長の清水
誠 氏(5班)と行った。(福庭町・鳥飼住機そば交差点)この夜、鳥取市の「とりぎん文化会館梨花ホール」で行われた鳥取県の有史以来初となる世界屈指のオーケストラ「パリ管弦楽団」の演奏を欧州の若手代表指揮者:ダニエル・ハーデイングのタクトで鑑賞した。曲目はベートーヴェンの「田園」とマーラーの「巨人」。世界一流のオーケストラを生で聴くのは勿論、初めてだったが、言葉では言い尽くせない感動・感謝だった。もし、同じ演奏を家族とパリまで行って聴いた場合に較べると今回の鳥取公演のコストはその 何十分の一であり、今年一番のラッキーな出来事でした。 |
|
12月13日(木) | 波波伎神社の祭事「新嘗祭」(にいなめさい)に公民館長として参列。 |
|
12月15日(土) | 12月臨時役員会を開催〜来年1月2日の総会資料の内容につき役員間で質疑応答し内容を校正した。 |
|
12月31日 (月) | 波波伎神社の大晦日祭事「大祓い」に参列予定。 |
|
■ ■ ■ ■ ■ 〜 館長のちょっと一服コーナー 〜 中日ドラゴンズの岩瀬仁紀(いわせひとき)投手のお話しです。 〜現時点で407セーブ、1,002試合登板の記録はいずれも日本一だ。 中日ドラゴンズにドラフト2位で入団し星野仙一監督からの指示で プロ初戦でリリーフを任されたが、一つのアウトも取れず降板した 悔しい経験を持つ。その後、落合監督に認められて「抑え」のエースとして君臨することになる。ただ今年引退した後のインタビューで、この「抑え」・「リリーフ」の役割についての本音を語っている。すなわち・・・ 「やって当たり前、勝って当たり前と思われる事ほどきつい事はない。投手人生をやりなおせるとしたなら、“先発”をやりたい。それは自分の責任だけで済むからだ。勝っても負けても自分の責任だから気は楽だ。「抑え」やリリーフは他人(先発)の人生も背負って生きなければならないから辛い。だが、「抑え」は「最後は自分が締めたという気持ちが持てることがいい。自分の結果がチームの結果に直結する、すなわちチームの屋台骨を背負っていると思えることがやりがいに通じる」と・・ 2007年11月の勝てば中日優勝の日本シリーズ第5戦、8回まで完全試合だった山井投手を9回、落合監督は岩瀬に代えた。スタンドの どよめきを聴きながら岩瀬はマウンドへ・・「監督に行けと言われたら行く・・抑え投手に拒否権はなかった」と話す。でも9回2アウトの後、最終バッターを2ストライク2ボールまで追い込んでからキャッチャー谷繁のサインは「外スラ」(外角のスライダー)だった。然し 岩瀬は首を振った。それを投げてツースリーには絶対したくなかった。その後、もしフォアボールなってその結果、敗けてしまったら「自分の人生は終わってしまう」と思ったからだ。 人は良く自分(岩瀬)の事を「毎日淡々と仕事をこなすだけの普通のサラリーマンのようですね」と皮肉るが「大変さを如何に当たり前の生活の一部にするか、普通じゃないところを如何に普通で通すか」を常に考えていた。 〜 新シリーズ「心に残った一曲」(第2弾)〜 童謡「やぎさん ゆうびん」(まど・みちお作詞、団伊玖磨作曲)
〜この曲が初めて発表されたのは、昭和14年(1939年)で最初の歌詞は 全く違う設定だった。その歌詞は次の通りです。
つまり、初めはヤギの親子のやり取りだったものが13年後、最初の今の形となり白ヤギと黒ヤギの間の終わりなく繰り返されるとてもユーモラスな手紙のやり取りになったのです。 〜世界には未だに貧しさに苦しむ人達がたくさんいます。「食」を通して 市内220の自治公民館中最大の福庭自治公民館1,000人が、
<倉吉北高校(福庭町)合唱部員と> <昨年この「寄せ書き」の通り、県大会金賞、 |
||||
|
||||
■ ■ ■ ■ ■ 「福庭自治公民館 新築計画スタート」の議案は承認されました。 皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も宜しく願い致します。 これにより本計画は正式にスタートしました。 |
||||
|
||||
![]()
|