リレー随筆コーナー

弾き語りの人生


鈴木淑博(25期)


25期の鈴木淑博です。26期の山根弓子さんからバトンを受け取りました。60年近く生きてきて、世の中、人とのつながりで人生が展開するんだと実感しています。楽友会で歌に出会ったのもそう、大学2年でバスパートのボイストレーナーだった中村邦男先生に個人レッスンをお願いするようになり、歌が一生の趣味になったのもそう、就職して5年後の転職もそう、他にもたくさんの素敵な出会いで、人生が展開してきました。私は今楽友会時代の「合唱」人生から少し離れて、ピアノの弾き語りを中心とした音楽生活に移行しています。特に老人ホームでおじいちゃんおばあちゃんたちが喜んでくれる歌を選んで、皆さん歌いましょう、というボランティアを月1回ずつ横浜と渋谷の二カ所で行っています。仕事を辞めたら月に710カ所くらい行けたらいいな、などと考えています。そうなった経過を書かせていただきます。

ピアノ自体は4歳から習って、6年生になったところで受験でやめました。高校でブラスバンド部に入って、再び鍵盤に触れるようになりました。その辺りからクラシック音楽を楽しめるようになったのでしょうか。転機になったのは、職場の関係でニューヨークに3年半住んだことでした。現地に永住している日本人の方から紹介されて、アメリカ人のピアノの先生につきました。この先生は広いジャンルをカバーしている方で、コード弾きを習いました。このおかげで一気に世界が広がったように思います。コードが付いていれば初見でもまあだいたい伴奏が出来るようになりました。一方楽譜通りにきちんと弾くことはおろそかになりましたが。

帰国してからまた不思議なご縁で特別養護老人ホームに歌いに行くことになりました。不定期ながら10年以上通ったでしょうか。「りんごの歌」などを歌っていると、突然違う歌を大声で歌いだすおばあちゃんがいて、職員はこちらに気を遣って止めようとしますが、私も演奏を止めて、いいですよ、と言ってそのおばあちゃんに耳を傾けます。歌詞の断片を聞き取って楽譜を探すと、「籠の鳥」という歌と分かりました。では次までに練習してきますね、と言ってレパートリーが増えていきました。「恋は優し〜〜、野辺の花よ〜〜」と歌ったおじいちゃん、亡くなりましたが、お顔もお名前も覚えています。持ち歌になりました。

おじいちゃんおばあちゃんたちの心の奥底に眠っていた曲を引き出しつつ、こちらもいっぱいいろいろなことを頂きました。事情があって特養には行かなくなりましたが、またひょんなつながりから、相次いで二カ所の老人ホームに通うことになりました。月一回定期的に行っていて楽しいです。特に横浜の方は日本の古い曲だけではないです。かつてドイツに駐在していたおじいちゃんからドイツ語の歌を歌ってとのリクエストを貰って、シューベルトやウエルナーの野バラを弾いてご一緒に歌います。カンツォーネ、よろしく、と言われるとオーソレミオやら帰れソレントへなど。シャンソンは?とのリクエストで、ラビアンローズなど。最近はロシア語の曲も仕入れていますが、知ってる曲をやってよ、との声がかかることも。踊り出すおばあちゃんもいたりして、楽しい時間を頂いています。渋谷の老人ホームには大学時代からお世話になっている「ことばと文化」で有名な鈴木孝夫先生が入っていらして、今も頭脳明晰、歌い終わってからも毎回お話を伺うことが出来て、何ものにも代えがたい時間を頂いています。

幸せの方程式、というのを唱えています。自分の持っている能力を人のために使う→それで人が喜んでくれる→それを見て自分も嬉しい。幸せを感じるのはこんな時ではないでしょうか。そんな幸せを与えてくれる基礎になった楽友会に感謝しています。

次は23期の谷口明彦さんにバトンタッチしたいと思います。 (2016/5/22)

    


編集部 随分と昔話になるが、鈴木淑博君はニューヨーク高の教員の任期を終えて帰国し、普通部の国語の先生となった。かっぱは昭和31年普通部卒業だが、その卒業50周年同期会の幹事を仰せつかって、普通部との打ち合わせのため普通部に出かけた。丁度10年前のことである。廊下できょろきょろしていたら、淑博が私の姿を見つけて飛んできて、応接間に通してくれて何から何まで世話をしてくれた。有難かった。

今では孫坊主が普通部3年生、野球に明け暮れているが、鈴木先生の世話になっている。「人の繋がりで人生は・・」はと書いているが、人間は実に不思議な縁で結ばれている。

そういう絆で「リレー随筆」は受け継がれていく。亦、楽しからず哉。(2016/5/22・かっぱ)


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