リレー随筆コーナー

本当に久し振りに杉原泰雄さんを訪ねました



淺海 直之(13期)



 楽友三田会の皆様、ご無沙汰しております。楽友三田会の諸活動には、難しい理由などはないのですが何故か疎遠になっており、皆様には申し訳ないとの思いから心苦しく感じております。初めての投稿になりますが、先日、予てより高齢者施設に入居中の11期の杉原泰雄さんをお訪ねして参りましたので簡単にご報告をさせていただきます。

 お訪ねしたのは、泰雄さんご自身が創立以来メンバーである『コーロ・エスプレッシーヴォ』(以下、コーロ。ご本人は休団中)の一員として、コーロの小さなコンサートを開くためでした。4月下旬の日曜日の午後、総勢30人ほど、皆、蒲田駅に集合して、行列を組んで目的地まで歩いて10分ほど・・・・・・。

 ご存知の方も多いでしょうが、泰雄さんは2000年8月、突然、クモ膜下出血に襲われました。出血の程度としてはひどい方だったそうですが、優れた医師団の対応や、奥様であるヨーチン(ご存知、12期杉原洋子さん)を始めとするご家族の必死の看護、泰雄さんご自身の本来の体力のお陰などもあって(倒れた、その現場も、自らの体力の維持向上のために通っていたスポーツジムの中でのトレーニング中のことでした)、徐々に回復され、不便こそ色々とあったでしょうが、ヨーチンの献身的なサポートもあって、スコラ(東京スコラ・カントールム)の活動にも復帰され、2005年にはスコラの第4回目のドイツ旅行もご一緒したぐらいでした。あいにく、その後、再度の出血があったりで、厳しい状態になったりして今日に至っています。

 当初は長い期間、ご自宅で療養生活を続けていらっしゃっていましたが、数年前に、だいぶ以前に予約していた(?)現在の施設に入所されて・・・・・それ以降、お目に掛かりたいなと思いつつ、でも、思うようには行かず、このたびコーロのお陰でやっと伺うチャンスが来た、という経緯です。

 泰雄さんの様子も安定して来ていたのでしょう、「泰雄のところで(小さな)コンサートをやろう」、と言い出したのは、いつも通り、コーロの牽引車である池田龍亮さん(11期)。勿論、皆、大賛成。でも、諸般の事情で練習のことも考えれば厳しい日程でした。結局、事前の練習は1回のみで伺うことになりました(レパートリーは、過去に繰り返し歌ったことのある曲ばかりでした)。余裕のある計画とはいえないものだったのでしょうが、さすが泰雄さんならではのことだったから、是非にも泰雄さんに逢いたい、歌いたいと多くのメンバーが参加しての訪問でした。

 蒲田駅改札口で勢揃いして、行進しているかの如くに歩いて会場のある施設に。大部分のメンバーにとっても泰雄さんにお会いするのは本当に久し振りで、私自身は正直、怖いような気持ちもあるぐらいでした。会場に着くと、何と小笹先輩(4期)ご夫妻もいらしていて・・・久し振りにお目に掛かれるオマケまで頂戴しました。それで、肝腎の泰雄さんですが、ナーンだ、全然変わっていない、と見えました(ヨーチンとはコーロでご一緒ですから、様子はお聞きしてきたのですけれど・・・)。

 施設のお忙しい行事予定の中のわずかな時間を頂戴しているわけで、到着して早々、大わらわの中で声出しを兼ねてリハーサル。この練習を聴く泰雄さんが何と涙を流し出して・・・これはまずいです。いや、泰雄さんが幾ら泣いても良いのですが、こっちも泣き出しそうでした(とは、私だけで無く多くのコーロ団員が、その時に感じたことでしょう)。これも慌ただしく無事に終わって、30分ほどの予定のコンサートが始まりました。幸い、この間、泰雄さんはにこやかに、楽しそうに、懐かしそうに、曲によっては自ら歌い出しそうに・・・の様子でした。とても嬉しく、参加出来て良かったと心の底から思いました。


記念写真

 コンサート後に記念写真を撮って、お別れしたのですが、さすが泰雄さんで「アバヨ!」がご挨拶でした。全く、元気だし、変わらぬ雰囲気です。

 一方の私達は泰雄さんとお別れし、蒲田駅前の飲み屋さんで打ち上げ。この辺りも全然変わらない。夕食時間前から始めたので、終わった頃は宵の口のような時間でしたが、皆、すっかり出来上がってのご帰還となりました。

 順序が逆になりましたが、泰雄さんと私自身のこと。泰雄さんは楽友会での2年先輩。在学時代より、何故か2年上の先輩には格段、面倒をみてもらって来ました。その後もこの練習形式は続いているのでしょうが、楽友会に入ってコーリューブンゲンの先輩による個別指導は大切な基礎連でした。2年先輩が指導役を担って下さる(実際は、3年生が新入生を指導する)。そんなことが縁になったのでしょう、色々と公私にわたって2年先輩には随分とお世話になりました。泰雄さんも、その2期先輩のお一人でした。

 話は少しコーロから離れますけれど、その泰雄さんはスコラ創立メンバー(創立は1979年)のお一人としてスコラには欠かせない中心メンバーでした。私自身は、スコラが出来た頃はスコラのメンバーでは無く、数年経ってから入れていただきましたが、その頃のことを思い出します。小笹先輩(スコラの立ち上げ中心メンバー)から熱心な勧誘をいただきながら、当時、私は東京本社勤務になったのは良いけれど、スーツ姿のサラリーマン生活になかなか慣れず、気持ち的にも余裕がないことで四の五のと言い逃れしながら入団を先延ばしにしておりました。最後は池田龍亮先輩(11期)・淑子(13期の同期)夫妻のたってのお誘いもあり、入団を決めて今日に至っているのです。(家内の13期・榮子と同時期に入団)

 それにしても、スコラが、その後の今日に至るまでの私の人生にとって、これほどまでに欠かせぬものになろうとは想像もできないことでした。そのことでは、何人かの先輩方のことを思うし、その中でも泰雄さんからは、私が教会に行くようになったことと関係して、格別のお導きをいただいたと思っています。だから、その辺りのことを泰雄さん訪問記のなかで手際よく著そうと思ったりもしたのですが、大変に大きな重たいテーマで、とても私の力では及ばないし・・・・・紙面は尽きました。腰砕けですけれど、泰雄さんへの感謝の気持ちを胸にしまいながら、少しでも健やかな毎日をと、お祈りしております。 (2016年5月6日)

    


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