リレー随筆コーナー

歴史の転換点?


堀  潔(30期) 


楽友会30期(1985年3月卒業)の堀と申します。学部卒業後、大学院商学研究科を経まして、現在は桜美林大学(東京都町田市)で経済学関連の科目を担当する教員として勤務しています。中小企業経営、中小企業政策に関する研究を主に行っていて、現在は、大学から在外研究の機会を得て、オランダのロッテルダムに滞在して欧州の中小企業事情を調査研究しております。皆さま同様、音楽は大好きなので、調査研究活動の傍ら、暇を見つけては欧州各都市でクラシック音楽を楽しんでおります。


(ヘルシンキのミュージックセンター。ずいぶんと独創的なデザインです。)

11月初旬に「リレー随筆」執筆の機会をいただいて、こちらで聴いた音楽のことでも書こうかと思っておりましたところ、11月13日(金)の夜、皆さまご存じのパリでの同時多発テロ事件が起きました。ちょうどこの1週間前に私はパリを訪れ、銃撃事件のあったコンサートホールやレストランからほど近い場所にあるホテルに宿泊しておりましたので、何となく今回の事件が他人事でないような気がしております。


(事件の1週間前のパリ。天気もよくて、観光客でにぎわっていました)

事件が起こったのが金曜日の夜。それから週末いっぱい、欧州中のテレビはこのテロ事件関連の報道一色になり、明けて11月16日(月)には正午に欧州全域で犠牲者を悼んで1分間の黙祷が行われました。街じゅうの旗という旗は半旗になり、12時には電車もバスもすべて停止し、テレビもラジオも何も音がしなくなる、という異様さで、こちらの人々がこの事件を非常に深刻に受け止めている様子が肌で感じられました。


(11月16日(月)正午のオランダ国営放送のテレビ画面。無音の静止画です)

いまから26年前の1989年、当時はまだ大学院の学生でしたが、慶應義塾派遣交換留学生として初めてこのオランダを訪れたとき、「ベルリンの壁崩壊」のニュースに接したのを鮮明に記憶しています。いまでは社会科の教科書にも載っている歴史的な大事件ですが、Wikipediaで調べましたら、あの事件が起こったのは1989年11月10日(金)で、今回のパリ同時多発テロと同じ「11月の第2金曜日」に起こっておりました。あれから四半世紀、皆さまご存じのとおりですが、欧州と世界は大きく変わりました。あの事件がまさに「歴史の転換点」であったわけですが、あれから26年後の同じく11月の第2金曜日に起こった今回のパリ同時多発テロ事件を、後世の歴史家がどのように評価し、歴史の教科書にどのように掲載されるのかはわかりませんが、今後世の中がどのように変化していくのか、これからの成り行きを注意深く見守りたいと思っている次第です。


(ロッテルダム市庁舎前には、半旗のフランス国旗が掲げられました)

事件の2日後、11月15日(日)には、アムステルダムでのオランダ室内合唱団(Nederlandse Kamerkoor)のコンサートに行ってまいりました。久しぶりのアカペラ。しかも16〜17世紀のイギリスの「哀歌(Lamentation)」というかなりニッチな演目でしたが、会場は満員でした。演奏会は十数名の合唱団が円陣を組み、それを聴衆が取り囲むという不思議なスタイル。通常はステージになる場所にも客席が設けられておりました。会場は自由席だったので、思い切って2階の左ウイング席に上がりまして、上から合唱団を見下ろす格好で演奏を楽しみました。会場は柔らかな照明とろうそくの明かりだけで演奏が始まり、最終の楽曲の時にはすべての明かりが消えた闇の中で「哀歌」が演奏されるという印象的な演出。もちろん、金曜日のパリの事件を受けて、コンサートの開催に先立ち、全員で犠牲者を悼んで黙とうがあったこともあってか、会場は深い感動に包まれました。聴衆のなかには涙が止まらなくなる人もいて、久しぶりに「人間の声」の素晴らしさに心打たれた一日でした。


(オランダ室内合唱団演奏会。終演直後のスタンディングオベーション。)

◎バトンは3期下、33期の小島三義君に渡しました。(2015/11/17)

    


編集部は、またまた嬉しい悲鳴です。リレーのバトンが次々と渡り、すごい速さで各ランナーが走ってくれています。今岡さんのスピードも歴代2位の走りでしたが、それに続いて堀君もスピードランナーでした。これならリオ五輪で1600mリレーでメダルです。(11/17・かっぱ)


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