リレー随筆コーナー

こんにちは 川野隆清です



川野 隆清(31期)


4年生の12月の定演で卒団してから間もなく30年になります。光陰矢の如しで早いものですね。

サントリーホールのモツレクや同期指揮者だった細川裕介くん主催の小規模合唱団で短期間歌ったことを除けば、卒団後はほぼ合唱からは足を洗ったような状態になっています(笑)。

2期下(33期)の和美と20歳の御曹司殿の3人で東横線妙蓮寺駅の近くに住んで15年になります。

社会人になって数年で体形がみるみる変わりましたが、ここ25年間は安定しています。体重83±2kg(ほぼ現役時代+10kg)、ウェスト88cm(現役時代+20cmくらい?)の二等辺三角形の正真正銘のオジサン体型。そして最近はハゲの進行が著しいです。加えて、老眼は当然として、変形性膝関節症、ギックリ腰、痛風、若干高めの血圧、血尿、水虫、痔瘻・・・etc・・・お食事中の方もおいでと思いますので、このへんで止めておきますが、成人病のエリートコースまっしぐら(笑)今年7月で53歳になりました。

正直申し上げて現役時代の記憶が最近曖昧になり始めています。一体私は何をやったんだっけ?(笑)。

最後の4年生の年はいい思い出で満たされています。六連での武満徹では震えがくるような感動を味わいました。あんなに歌っていて体の芯からの震えは後にも先にも経験が無く、指揮をした同期の細川裕介くんには、それまでの100年に一度のバカとの称号に加えて天才指揮者との枕詞を付くようになりました。定演のメイン曲は私達の希望通りのフォーレのレクイエムで清く正しく美しく昇天(笑)。

色々なことがあった楽友会生活4年間でしたが、本当に幸せな卒団をさせてもらいました。毎年7月下旬にその年の1年生と4年生で行われていた長野県白馬村への旅行は就職活動と完全にぶつかって私は参加できず、それが今に至るまで唯一の心残りです。

4年生の時といえば、六大学野球の秋のリーグ戦で慶應は13年ぶりに優勝して狂喜乱舞。入学した直後に当時の4年生(28期)の先輩方から「慶應はどうせBクラス。早稲田に勝って最下位でなければ、それでいい。」と聞かされ、案の定ずっとその状態が続いていたので、優勝は夢か幻かというくらいのものでした。そしてラグビーも対抗戦優勝とトヨタを破っての日本一。尤も私は必修の経済原論U(ミクロ経済)を4年生まで引き摺っていたので、受験勉強並みの必死の猛勉強に明け暮れてラグビーの国立競技場での日本選手権には行けませんでしたが(><)。

ふと気が付くとここしばらく楽友会同期で集まって呑むなどということは、もう何年もしていませんね。寧ろ先輩方にお声がけ頂いて呑むことの方が多いような気がします。

私の127三田会の卒業25周年は東日本大震災の起こった2011年で、塾員招待会は中止となりましたが、大同窓会は仕切り直して7月31日にニューオータニで行われました。楽友会同期は私と楠田香ちゃんの2名だけで、寂しい想いをすることを覚悟していました。しかしこれが私にとって大きな転機となりました。ぽつんとしていた私を気遣ってくれて、経済学部の同じクラスの連中に引っ張り廻されて、大同窓会の幹事達の多く集まる二次会、三次会と参加し、現役時代には全く面識のなかった沢山の同期の友達ができました。それまで楽友会しか知らなかった私には目から鱗。それ以来、他の卒業年度の塾員にも多くの知り合いができ、親しさ加減は様々ですが、その数は数百人は下らないと思います。上は還暦を遥かに越す方から現役塾生まで。ついには東京三田倶楽部やBRBにしょっちゅう出入りするという、かつての私には想像もつかない行動パターンになっています。この原稿を書いている9月だけでも6回の塾員の呑み会が予定されていて、すっかり群れる慶應の一員に変貌してしまいました(笑)。

さて、私達楽友会31期は再来年2017年の楽友三田会の新年会の当番幹事です。卒業以来バラバラに行動していましたが、代表幹事の細川くんの号令一下、すっかりオッサンオバサンに変貌したお互いの姿に若き日の名残りを探して大笑いできたら幸せです。

現役時代の写真を探したのですが、なんと一枚も出てこず、写真無しの投稿となりました。そして出稿の依頼を河合潤子さん(32期)と若山邦紘先輩(9期)から命じられてから半年も経過し、熟成に熟成を重ねてこの程度の内容の薄い文章で大変申し訳ありません。

普段は歌からは遠ざかっている私ですが、毎年新年会だけは行くようにしておりますので、また来年の新年会で皆様とお目にかかれればと存じます。(2015/9/6)

バトンは34期の平田佐久子さんにお渡ししました。(9/7


31期(1986年経済学部卒)川野隆清

    


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