リレー随筆コーナー

筑波山を見ながら

 

川添 陽子(13期)


みなさま初めまして、もしくはお久しぶり、13期の川添 (旧姓:相川) 陽子です。

慶應を卒業して以来、仕事が忙しく、楽友会へはすっかりご無沙汰をしてしまいました。
 

この年をして、未だ、現役の翻訳者としてフリーランス ベースで翻訳の仕事をしています。気が付けば翻訳者歴45年にもなり、業界の古狸(最近は「お局さま」というピッタリの言い方があるそうですが……)と言われるようになりました。IBMの特許に始まり、様々な科学技術分野の文章を手掛けましたが、現在はもっぱら医学/薬学/化学系のジャーナル投稿論文を扱っています。というと、ちょっとかっこいいと思われるでしょうが、とんでもない。一に体力二に体力、三にめげないド根性、四に立っていても寝られる天然さ、五に世間のことはまるでチンプンカンの仙人気質が、翻訳者には欠かせない資質です。持って生まれていたのか、長年の間に培われたのかは定かではありませんが、そのとおりの人間になりました。

元々は東京育ちですが、結婚後、数回転居し、現在は茨城県つくば市に居住しております。学園都市の内部ではないので、田園や山脈が見える落ち着いた雰囲気の中で仕事をしています。子どもは3人おりますが、長女は筑波大付属病院勤務、次女は茨城県立盲学校勤務、コミュニケーション障害のある長男は、近くのNPO法人で有機野菜の栽培の仕事をしています。皆それぞれに忙しく、近くに住んでいるにもかかわらず、半年に一度程度しか会うことができません。婿殿たちは、何故か申し合せたように私のことを決して「お母さん」とは呼んでくれません。あまりにも頼りなくあぶなっかしいので、「陽子さん」としか呼べないそうで、孫までが「ヨーコひゃん」と呼ぶ始末。でも、「バーバ」よりいいかな。

今まで仕事だけしか見つめてこなかったので、残された時間は存分に楽しもうと、MMCに参加させていただくようになりました。久しぶりにみな様に会って驚いたことには、同期の方のみならず、下級生だった方々も、私よりはるかに大人になっていたことでした。いかに世間から隔絶した生活を送っていたか、改めて実感しているところです。幸い、同期のキンギョ様がなにかと面倒を見てくださり、杉ペコちゃん様がそれとなくお世話してくださるので、右も左も分からない私はご両人にべったりとおぶさって、何とか練習に通っております。

それではみな様、頼りないヨーコひゃんを、今後ともよろしくお導きくださいませ。

写真は、つくばの我が家です。本宅は、笠間にあります。(2015/4/30)


ヨーコひゃん 

バトンは、MMC新入会の菅 泰雄さん(高校2期、15期相当)にお渡ししました。(2015/9/14)

    


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