リレー随筆コーナー

ゴスペルとの出会い



樋口 頼子(23期)



2007年の夏頃、ゴスペルを歌いたいと思い、いくつかのレッスン会場をさがした。結局、Y音楽教室のゴスペル レッスンにたどりついた。どうして、ゴスペルを歌いたいと思ったのか、覚えていない。テレビででも見たのだろうか。

初めて歌ったゴスペルは、アカペラのAmazing Grace(これは、よく歌われるが、あまり歌われていない方の曲)。涙が出るほど、美しい。Y音楽教室では、「ゴスペル ナイト」というコンサートが、2年に一度開かれ、関東一円のゴスペルクラスが、いくつか合同で、200人位のステージで3曲歌う。ときには、ダンスや振りもある。とにかく自由に歌う。

ゴスペルは、「ウィキペディア」によれば:
『奴隷としてアメリカ大陸に連行されたアフリカ人は彼ら独自の言語・宗教などをいっさい剥奪された。その苦しい状況下で、彼らのうちのある人々は、救いを与えるゴスペル(福音)と出会い、個人的なキリスト教への改心を経て、神に彼ら独自の賛美をささげるようになった。こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、ブルー・ノート・スケールや口承の伝統などとヨーロッパ賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合してスピリチュアル(
黒人霊歌 negro spiritual などとも言う)という現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれた。後年になってジャズやロックなど様々なジャンルと結びついてその音楽性は今も進化し続けている。』

私のクラスの先生は、東京と横浜に数クラスの生徒を持っているので、このすべてが集合すると相当な数になる。それで、ときには、Y音楽教室を離れて、自主コンサートも行った。全17曲程度。ほとんど英語なので、歌詞を覚えるのは、還暦を迎えようという年齢には、なかなかつらいものがあった。このクラスから、ときには、老人ホームのクリスマスに歌いに行ったり、地域のイベントに参加したり、結婚式に呼ばれたり・・・、結構、お呼びがかかる。

また、一昨年は、ニューヨークのカーネギー ホールと教会でゴスペルを歌う、というツアーに参加した。これは、色々なクワイア(ゴスペル音楽の合唱団)に属する人々が、この企画だけに集まって、練習をし、本番を行い、解散というものだ。「カーネギー ホールで歌う」こと自体は、正直、私には、別段の感激も驚きもなかった。が、Convent Avenue Baptist Church(教会)での礼拝に、地域の人々(多くは黒人)と一緒に出席して、ゲストとしてゴスペルを歌い、一緒に「ハレルヤ」を歌ったのは一生の思い出だ。また、この教会のオルガニストの演奏が素晴らしかった。「また、聴きたい」といったら、「また、来なさい」と単純明快な答えだった。

カーネギーホールで一緒に歌った仲間とは、今でもつながっていて、年に一度は〇〇ゴスペル祭に参加したりしている。

今まで歌った中で好きなゴスペル ソングは”I'm Available to You”、”From a Distance”、”Total Praise”等である。

また、クリスマスシーズンに歌う”O Come All Ye Faithful”については、今のところ、私にとって、アメリカの6人組の男性コーラス・グループ「TAKE 6」が歌うのが最高である。いつか、彼らの生の”O Come All Ye Faithful”を聞きたいと思っている。

以上

(2015/4/29)

リレーのバトンは22期の博多信子さんが受け取ってくれました。(2015/5/9)

博多さんのお父さんが亡くなり、執筆は落ち着くまで猶予です。(編集部)

    


編集部注 樋口さんのエッセーを読んで「Amazing Graceってジョン・ニュートンの書いた讃美歌で、ゴスペル・ソングとは違うんじゃないの?」とメールしてきた読者がいます。彼の指摘は間違いありません。"Faith's Review and Expectation"(信仰の反省と期待)という原題で、「オウルニィの讃美歌集」(1779年)の第1巻の41番目の曲として収録されています。

しかし、イギリスで讃美歌として生まれた歌ではありますが、育ちはアメリカ南部の黒人社会で、アメリカで有名になったゴスペル・ソングなのです。ゴスペルの源流はメソジスト讃美歌なのです。アイルランドからの移民がアメリカにもたらし、年月をかけてミシシッピを下ってニューオリンズにたどり着き、黒人奴隷たちの心に深く住み着いた福音歌だったのです。黒人奴隷たちは心の救いを黒人霊歌・ゴスペルに求めました。日頃の悲しみはブルースになりました。

ゴスペル・ソングが生まれ盛んになってきたのは1930年以降である。ブルースの作曲家だったトーマス・ドーシーが黒人霊歌の延長にパフォーマンス・バージョンとしての「ゴスペル・ソング」を生み出し、ゴスペルの父と呼ばれる。日本では、それから60年も経って、亀渕友香がゴスペルを歌いだした。ついこの間のことだ。

”Amazing Grace”はゴスペル・シンガーのマヘリア・ジャクソンが1947年に初めてレコーディングしアメリカ中に広まりました。さらに、1972年に同じくゴスペル・シンガー、アレサ・フランクリンがアルバム「Amazing Grace」を出し、黒人クワイヤが”Amazing Grace”を盛んに歌うようになりました。

”Amazing Grace”の譜面を見たことがある方がたくさんいると思います。きれいな歌や演奏を聞いた方も大勢いると思います。実際、日本でよく聴かれた”Amazing Grace”はギリシャ人のナナ・ムスクーリの美しい歌でした。テレビCMでもよく流れたし、中野サンプラザでも歌ったのではないでしょうか。多分、世界中に出回ったのは彼女のレコードだと思います。面白いことに、Jazz Standardの歌本「JAZZ Fakebook」に入っています。

このソングブックでは作者の名前が無く、Traditionalとなっています。全音楽譜出版社の「ポピュラーソングのすべて 1001」にも入っています。ここでは、John Newton作詞作曲と書いてあります。

この譜面を見て「あれっ、よく聴きなれたメロディと違う」と思いませんか、一般に流れてきたメロディはこんなのではなかったでしょうか。

しかし、マヘリア・ジャクソンやアレサ・フランクリンのゴスペル・バージョンを聞いたら多くの楽友には、真似も出来ない、世界の違う歌唱です。興味のある方は聞いてみてください。ビックリします。

 

全世界には数知れぬほどゴスペル・クワイヤがあり、それぞれが熱狂的な”Amazing Grace”を聞かせます。これはその1つで、南アフリカのクワイヤです。

 

もう1つ聴いていただきたい人がいます。まだ、去年還暦を迎えたDiane Shuurという盲目のジャズ歌手です。3オクターブを歌うことでも有名です。ジャズの世界では古い人間が多く若い世代でした。まだまだと思っていたのですが、私が作成した「年齢番付」で久しぶりに見たら61歳で十両の幕尻です。

 

しかし、楽友の皆さんに一番受け入れられる美しい”Amazing Grace”は私見ですが、アイルランドのCeltic Womanという女声コーラスです。You Tubeでも2000万人を超す人がアクセスしているんですよ。ご存知でしたか?この歌が生まれ故郷に帰ったのです。

 

この歌にまつわる話は面白いものがあり、切がありません。(2015/5/11・かっぱ)


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