リレー随筆コーナー

 ハイデルベルグの古ジョッキ



 

 

塚越 敏雄(8期)

7期の長谷さんからリレー随筆を指名したいと言われ、しばらくすると、小笹先輩から「オー学生王子ご無沙汰でした」というメールが来着した。こう言われたいきさつは若杉さんの追悼文集に書いてあるので繰り返さない。が、今年4月のOSFファミリーコンサートでは「学生王子」を筑紫先輩編曲でやるので、この曲にまつわる40年も昔の話を・・・・・

1972年、私は3カ月ほどイタリアのトリノにある国際労働機関の付属機関[国際高等技術職業訓練センター]に短期留学していた。数百人いた研修生のなかで、日本人は私一人。イタリアにいる間に円が自由化され、日本円をリラに交換する度に円が値上がりするという激動の時代だった。

研修の終り近く、2週間の復活祭休暇を利用してパリ、ロンドン、フランクフルト、インターラーケンを列車で回ってトリノに戻る研修旅行があった。全行程2等車だが、目的地では安ホテルに泊まれるのが少し増しという旅である。

フランクフルトに数日滞在中、思い立って訪れたのがハイデルベルクであった。他のクラス仲間はほとんど首都のボンへ行ったのだが、わたしは日帰り列車旅行の目的地に、学生王子の舞台を選んだ。旅の連れは香港とマレーシアからの二人で、歌には関心がない。ドイツ最古の大学があり、社会科学の父マックス・ウエーバーが居た所だと誘ったが、実のところは学生王子の舞台を見に行きたかっただけのことだった。


ハイデルベルク駅にて

ハイデルベルク城からネッカー川を望む
1924年初演のブロードウエイ・ミュージカル「学生王子」はシグモンド・ロンバーグ作曲、ドロシー・ドネリー作詞・脚本で、20年代の最長ロングラン上演回数608回を記録した。ミュージカルといったが、オーストリア移民のロンバーグ自身はオペレッタを書いた積りだったかもしれない。作品誕生のいきさつは1955年の彼の伝記映画「わが心に君深く」に描かれているが、この題名自体が「学生王子」の中の曲からきている。オペレッタ「学生王子」は無声映画時代から何回も映画化され、日本では1954年の作品が「皇太子の初恋」の題名で公開された。

この映画を私は横浜のオデオン劇場で見て、アン・ブライスのフアンになったが、皇太子役の歌がマリオ・ランツアとは菅野先輩に聞くまで知らなかった。このオペレッタの原作がヴィルヘルム・マイヤー=フェルスターの「アルト・ハイデルベルク」という戯曲である。

明治時代にはすでに日本に紹介されており、宝塚歌劇団の定番でもあったという。私自身は、家にあった雑誌に岩田専太郎風の美男・美女の挿絵付きで掲載されていたのを、中学時代に読んだ記憶がある。映画では、夏の宵に夜のネッカー川のほとりを散歩しながら、ケティに皇太子がセレナーデを歌うのが山場だ。


ネッカー川畔

というわけで、ハイデルベルクでネッカー川のほとりを散歩しがてら、あわよくば、ケティのいる?ビアホールで一杯やろうとしたのだが、3月始めのドイツはまだ寒々としており、ネッカー川には白鳥の姿があるだけだった。しかたなく赤い牡牛というビアホールに入り、店のロゴ入りのジョッキを買ってきた。

40年を超えた古ぼけた陶製のジョッキは、妻から邪魔だから捨てろと言われてしまったこともあるが、このジョッキに恵比寿ビールを注いで呑めば、映画のアン・ブライスの面影や学生団の男声合唱(学生歌・ドリンキング ソング・ディープ イン マイ ハート)の歌声がよみがえってくる貴重品なのである。

(リレー先は交渉中/2015年1月31日)

    


編集部 1年半経ってもバトンの渡し先が見つからない。いや、見つけないのか。「自分で書きなさい」ということになった。次の稿がこちらにあります。⇒3人のシュトラウス  (2016/9/24)

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