リレー随筆コーナー

― 麻子さんへの手紙 ―
杉原 洋子(12期)



 同じクラブでも二廻りも歳の差のある、親子のような私達が知りあったのは3年前の楽友三田会の新年会でしたね。欠席しようと思いながらも、車椅子の駐車場情報を幹事さんにメールで問い合わせしました。その時お答えくださったのが麻子さん、あなたでした(上野さん/36期)。その時のメールに、あなたのお母様も、私の夫(泰雄/11期)が倒れた1年後にアメリカで倒れられたこと、そしてその後の10年にいろいろなことがありました・・・と書いてありました。それを読んだ時、私の10年と重ね合わせ、胸がいっぱいになった事を覚えています。

 その後何通かのメールをやりとりするうちに、是非あなたにお会いしたくなり、新年会への出席を決めたのでした。当日あなたは、にこやかに我々を迎えてくださいました。あなたは想像していた通り、明るくて優しい素敵な方でした。翌年出席した時には、我々を見つけて飛んできてくださいました。あの時の情景は今でも脳裏を離れません。

昨年はまた、あなたの会社の近くでの日本料理!それも半日お休みをとってくださり、ゆっくりとあの素敵な板さんのお料理を説明付きで美味しく頂き、楽しかったですね。その後2人のお友達の個展にいらして、有意義に過ごされましたか?

 楽友会50周年記念演奏会の練習に通っていた主人が倒れ、今年でもう15年。お互いに寄る年波には勝てず、特に私に体力的限界がきてしまい、倒れた時に買ってあった介護施設に主人をお願いするという苦渋の決断をしました。その事は以前メールであなたにお知らせしましたが、その後、私は体力的には楽になりましたが、現実を受け入れるのは辛いものがあり、そういう状況に精神がついてゆけず、その後何をする気力も無くなりました。慶應の良い先生との出会いもあり、また幸せなことに、そんな時も私を支えてくれる沢山の友人たちがいて、今更ながら人間一人では生きていけない事を思い知らされました。

 今は彼を見守りながら、私の残された道を探り、楽しみつつ歩んで行きたいと願っています。あなたからお電話の時、「楽しんでくださいね」といわれた言葉が、まだ心に響いています。慶應の先輩でもあるあなたのお父様、そしてお母様の事、いつも心にかけていますし、お健やかにお過ごしであるように祈っております。

 今年の新年会のテーマは「歌を通じて、仲間と繋がる」とか・・・あの日があなたにとって初めての新年会、と言っていらっしゃいましたが、その時に出会えた事、嬉しく思います。主人、泰雄は楽友三田会を立ち上げる時に1期の筑紫さんの元、お手伝いしたり、合唱団のステマネの時は、制服を車内に忘れて山手線を一周したり、その後下級生のお陰で戻ったという、思い起こせばよく動きまわっていた楽友三田会。私は、倒れた彼の分まで、できる限り歌おうと思っています。新年会でまたお会いできることを楽しみにしています。そしてランチもまたご一緒しましょうね。どうぞ介護をしていらっしゃるお父様をお大事に。あなたもお仕事がお忙しそうですが、どうぞお身体お大切にね。(2015年1月15日)

 上野麻子さんの返信

    


編集部注 奇跡的に回復した杉原泰雄(11期)が目黒旧迎賓館での楽友三田会新年会(2005年1月)に出てきた時のことだ。彼はリハビリのためにお習字をしていたのだが、それらを集めてコピーをとり冊子に綴ってきた。自分の心情を皆に見せたかったのだ。

その顛末を私のジャズサイトに「杉作のうた」というページを公開した。大勢の楽友たち他が見てくれて、感動のメールを送ってきた。ご存じなかった方も多かろうと思います。このページからリンクを張らせてもらいます。

⇒ 杉作のうた

「感動のメール」「杉作のフォトアルバム」には鍵がかけてあります。開くことが出来ない方は編集部わかやまにお尋ねください。楽友は卒業期を添えてください。それ以外の方は杉作との関係を。メールでお知らせします。(2015/1/15・わか)