リレー随筆コーナー

楽友三田会合唱団に参加して


山本 一吉(24期)


茨城の日立に単身赴任中に東日本大震災に遭った。その後、6月に転勤で東京に戻った。24期の同期の連中と久しぶりに暑気払いを兼ねて飲んでいた席で、浮橋が「楽友三田会合唱団で『水のいのち』を振っているけど、同期が誰も歌いに来ない。誰か歌いに来てよ」とみんなを誘っていた。

東日本大震災の翌日から、地震などなかったかのように予定どおり木曽へ学年旅行に行くような連中だから、それほど忙しいわけでもないのになぁ、やはり浮橋の人徳のなさかなぁと思いながら話を聞いていた。浮橋が指揮するだけでも大変な迷惑をかけているのに、さらに私が歌いに行って迷惑をかけるわけにはいかないと思ったが、在京組も少ないことから、同期の沢田と練習をのぞいてみることにした。

定演で演奏する曲は、水のいのち、オペラ合唱曲集、モーツァルトの戴冠ミサ。水のいのちは現役の4年生の時に歌った思い出の歌、戴冠ミサは、現役の2年生の時にジュネス(青少年音楽祭)でオットマール・スウィトナーの指揮で歌った曲。卒業してから歌った曲は歌ったことすら覚えていない曲もあるが、現役の時に歌った曲はよく覚えているので、この2曲だけ定演に乗せてもらおうと思っていた。ところが、「定演までまだ3か月もあるからオペラ合唱曲集も歌えるよ」という先輩方の甘言に乗せられて歌うことになってしまったが、音はとれない、リズムが速くてドイツ語がついてこない、といった状態で本番を迎えてしまった。

こうして楽友三田会合唱団で歌い始めて4年目になる。正確にいうと復帰して4年目になる。記憶もだいぶ薄れてきたが、30年ほど前、石橋メモリアルホールでの1982年3月の第1回目の演奏会と、1984年3月の第2回目の演奏会にのせていただいた。

誰から誘われたか覚えていないが、第1回目の時は半年ぐらい前から池尻の大橋区民会館での練習に参加した。メンバーは、テナーで言えば上は1期の筑紫さん、長谷川さん、下は27期の渋谷君、清野君、山崎君という強力メンバー。指揮はヘンデルのデッティンゲン・テ・デウムを岡田先生、バッハのモテットVと信時潔合唱曲集を1期の伴有雄さん。卒業してからまったく歌っていなかったため、久しぶりの合唱が楽しく、気持ちよく歌わせていただいた。

第2回目では、バッハのカンタータ45番、ブラームスの運命の歌、ドイツ・ポピュラー小曲集、ドイツ合唱曲集を伴有雄さんの指揮、筑紫まり子(藤田まり子)さんのピアノで演奏した(筑紫まり子さんは第1回目の演奏会でもピアノを担当されていた。)。

ドイツ合唱曲集は、鱒、流浪の民、美しく青きドナウの3曲を歌うことになっていた。どれもいい曲だなーと思って練習していたら、流浪の民の「眠りを誘う夜の風」のテナーの二重唱(と言ってもわずか2小節だが)のところになって、1期の筑紫さんから「若い期が歌え」とのご下命。テナーでは私が一番若く、次が23期の樋口さん。樋口さんは現役の時のテナーのパートリーダーも務めた方。私はと言えば、太陽が西から昇ることはあっても、私が歌うことはありえないと思ったが、下の期から順番ということであれば、断るわけにもいかず、樋口さんが旋律、私が三度下を歌うことになった。本番ではハモることだけを考えて歌ったが、結果がどうだったかは不明である。

その後、別の合唱団で数年歌っていただけで、後は音楽を聴く側に回っていたが、浮橋の指揮をきっかけに楽友三田会合唱団で歌わせてもらえることになった。練習では昔以上に声は出ず、音は取れず悪戦苦闘。周りの人の足を引っ張っているが、やはり聴く側より歌う側が楽しい。

三田会会員のみなさん、ぜひ楽友三田会合唱団で一緒に歌いましょう。他の合唱団と掛け持ちしても大丈夫。練習は毎週ありますが、(こんなことを書くと合唱団の幹事会の人に怒られるかもしれませんが)、家で譜読みをしておけば、月に2回程度の出席で何とかなります。曲によってはパート別の音取り用の音源も用意してもらえます。一度練習をのぞいてみてください。(2014年3月23日)


編集部より: 今年「楽友三田会長」に就任された山本一吉君に「自己紹介を兼ね、テーマは何でもいいから、ぜひ一筆!」とお願いしたところ、この一文が寄稿されました。

時は春。高校・大学楽友会の現役には新入生が、楽友三田会と同合唱団には卒団生が続々と加わってくれることでしょう。組織としての「楽友会」総体の発展に、山本君の新たな采配が期待されます。皆で盛り立て、明るい未来を築いていきましょう!(オザサ)