リレー随筆コーナー

ハノイへのいざない


末続  靖12期)


ハノイの歴史

ハノイ市(ベトナム語: Thaành phô Ha Nôi, 漢字:河内)とは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都。ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治と文化の都である。地名の「河内」は初期の街(現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区の中心地にほぼ相当)が紅河とトーリック川(蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来する。2009年の人口は650万人。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっている。また、文廟などの史跡も多い。

ハノイがベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。唐代には雲南と南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配の拠点となった。唐末に安南都護府の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から外れていったため、その重要性は一時低下した。しかし、11世紀の李朝はこの地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とした。李朝の成立以降、1802年に阮朝がフエに都を移すまで王都として繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(トンキン)など様々な名で呼ばれてきたが、1831年に現在の名称になった。1873年にはフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地となった。

1940年、日本軍の仏印進駐により、日本の事実上の占領下となるが、1945年8月にその占領状態は終了し、9月2日にハノイでベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立がホー・チ・ミンにより宣言された。その後、一旦日本により追い出されたフランスが再び戻ってきて、1946年から1954年までの第一次インドシナ戦争となる。ハノイも戦場となり、一時フランス軍が占領した。しかし、ベトナム側が戦争に勝利したことにより、ハノイはベトナム民主共和国の首都となった。

ベトナム戦争中は、橋などの交通施設を中心にアメリカ軍の爆撃を受けた。1976年の南北ベトナムの統一に伴い、ベトナム社会主義共和国の首都となった。

ハノイの見所

・水上人形劇元は農閑期の農民の娯楽が民俗芸能に昇華したもの。伝統音楽に合わせ、多くの人形達が水上で劇を披露する。

・旧市街…11世紀、ハノイに都が置かれて以来栄え続けた、ホアンキエム湖北側の地域。細い路地が入り組み、古い街並みが続く。「ハノイ36通り」と親しみを込めて呼ばれ、それぞれの通りには「銀通り」「綿通り」「漢方薬通り」など、かつてそこで盛んに商われた品物の名が付いている。ただし現在では通りの名と実際の商店の並びは必ずしも一致しない。

「シルクストリート」と呼ばれるハンガイ通りには、センスの良い絹製品を売る店が並んでいて、外国人観光客のショッピングスポットとなっている。

・ホアンキエム湖(還剣湖)…市の中心に位置する湖。公園として整備され、市民の憩いの場となっている。湖の真ん中には玉山祠がある。

伝説では、黎利(レ・タイ・トー)将軍が明と戦っていたとき、河で魚を捕ろうとしたら一本の剣が幾度も網にかかった。その前に草原で拾っていた柄(つか)と合わせるとピタリと合ったので、この剣をもって明と戦い勝利した。その後、湖の上で船に乗っていると、大亀 (Kim Qui) が現れ、その剣を持ち主の竜王に返すように啓示され、その剣を亀に返した(これが還剣=ホアン・キエム=剣を返す)。

湖上の祠に、この湖で捕えられた巨大な亀(スッポン)のはく製があるが、この亀が、伝説の亀だったのだと、信じられている。

・ホー・チ・ミン廟…ホー・チ・ミンの遺体が納められた廟。遺体は今も冷温保存されていて、見学することが出来る。

・文廟・・・孔子を祀った廟で、ベトナム最古の大学の跡。中国の科挙と同じく、ベトナムにも極めて難しい官吏登用試験があり、その合格者の名前が石碑に刻まれている。1442-1779年の約370年の間の合格者は約1000名で、年に二人か三人しか愛からない最難関の試験だった。

・オペラハウス・・・パリのオペラハウスを模したもの。素晴らしい音響効果を誇る。

・聖ジョセフ教会(大教会)・・・ベトナムでは仏教徒が8割を占めるが、そのほかにも多様な宗教がある。聖ジョセフ教会はカトリックの教会。この教会の周辺は、観光客向けのショッピングストリートとなっている。

・ホアロー収容所…1896年にフランス政府が設置した監獄で、ベトナム独立運動の志士たちを投獄・処刑した。内部には実際にこの志士たちを処刑した「ギロチン」が置かれている。ベトナム戦争時には撃墜されたアメリカ兵の捕虜収容所としても使用され、米兵からは、「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれていた。ベトナム戦争終結後に上院・下院議員を歴任し、2008年の大統領選挙で共和党の大統領候補としてバラク・オバマと争ったジョン・マケインも、ここに収容されていた。現在は一部が博物館となっている。なお、今はちゃんとした「ハノイ・ヒルトン」がハノイ市内に有る。

このホアロー収容所の敷地の一角に、「ハノイ・タワー」と言うレジデンス・ホテルがある。噂では、夜な夜な、黒人兵の亡霊が現れるとか・・・・

・ロンビエン橋…フランス植民地時代に建設された、紅河に掛かるハノイ市街と東部を結ぶ橋。ベトナム戦争時は補給路を断つため、何度も爆撃されたがその度に補修されてきた。現在でも現役の橋として使われている。

ハノイの近郊

・バッチャン村…陶器・バッチャン焼の生産地。民族的な陶器類が安く買える。

・サパ・・・北の、中国国境に近い山岳地帯で、独特の文化を伝える山岳民族が居る。
「天にでも届け」との見事な棚田が、見もの。
冬には雪が降る。


(サパの棚田)

・シルク村〜ヴァン・フック村(LANG VAN PHUC)
ハノイ旧市街地から西へ車で30〜60分。ハノイでも有名なシルクの村。

旧市街地の土産物屋さんたちもここのシルク村から仕入れているとあって、シルク製品の価格が安い。女性向けお土産には最適なシルクスカーフ、冬物ストールなど。

他にもバッグ・財布や、男性向けのネクタイ、ポケットチーフ・カフスとの3点セットなど色々とある。
旧市街地からは離れているので、タクシーで行くのが無難。15万〜20万ベトナムドン(750円〜1,000円程度)で行ける。いっそのこと半日チャーターでも良い。

・ハロン湾(越:Vinh Ha Long/泳下龍)は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾。世界遺産。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。 この時、竜は立龍(タンロン=今のハノイ)から登って、入竜(ハロン)に入ったそうだ。
カットバ島以外の島は現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用された。

彫刻作品のような島々の景観は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によってまた趣のある雰囲気を醸し出す。 地質学的には北は桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角である。

元々サンゴなどによって形成された石灰岩台地が隆起し、その後侵食作用が進んで、現在の姿となった。

ハノイから片道3-4時間かかるので、一日で済まそうと思うと、「行った、見た、帰った、疲れた」注)になってしまうので、一晩を豪華クルーズ船で過ごすのがお勧め。

船にもよるが、一人250-400ドル位。


(ハロン湾の「墨絵」の世界)

(終わり)


ハノイの末続からメールが来た。今週は暇でしょうがないらしい。

「ハノイへのいざない(誘い)」というのを書いた。これをHPに載せるかどうかはカッパさんに任せる。

遠慮がちに投稿してきたように読める。が、末続に遠慮なんて言葉があったのかねぇ。

注)最後に「行った、見た、帰った、疲れた」とある。みなさん、シーザーの古事、”VENI VIDI VICI ”を思い出しませんか。ジャズの歌詞にも使われました。⇒ こっち (2014/3/9・Webmaster)