リレー随筆コーナー

27週間の奮闘記
(MMC第20回定期演奏会)


赤見 紘子
9期)


 「鎮魂の賦」の楽譜を最初に手にしたのは2011年11月19日、それから半年が過ぎた2012年5月19日にアルト・ソロを頼まれた。半年の間、数名の方々が歌って来られた大役が、廻りめぐって私のもとに回って来たのだ。

2010年の9月からの膝の痛みの具合がその日は特に悪く、帰り道では長部さんに鞄を持って頂き、鉄っちんや田村さん達とゆっくりと歩いて帰った程である。その時、私が躊躇していると、側にいらしたパート・リーダーの岡田さんと佐良土さん、ピアニストの安次嶺さん、指揮者の日高さん、そしていつもお隣りで歌っている草野さんが「大丈夫」と背中を押して下さった。それなら、と意を決して歌う事になった。でも、その日は家に戻ってからも左足の痛みは取れない。ソロの重圧と膝の痛みという二重苦の中で、果たしてやって行けるのだろうか。その上、声量も技量も十分ではない私に出来るのかどうか等、心配の種はつきない。然し、お引き受けしたからには突き進まねばという気持ちを強く持った。

 先ず日高さんとなら共に努力し合えると思った事。次に林 望さんの詩が素晴らしい事、「悲しみはやがて、失せて」という部分は、何と私の心を慰めてくれる事か、死ばかりではなく、他の苦しみの時にもこの詩の部分は心を穏やかにしてくれるので、このフレーズはとても気に入っていた。又、旋律も技ありで、大変難しく、これを解明して行く作業は楽しいと感じた。作曲者の上田真樹さんは音を自由自在に操って作曲されるのだと思うが、私にとっては、そんなにどんな音でもという訳には行かない。全部を転調してやっと正確な音取りになる。特にソロの後半4小節の部分は、3回転調して読み換え、4分音符と、8分音符の3連符が立て続けにあるので、先ずは最初の2拍の中に3拍を入れる部分の調子の取り方が難しい。この部分は、電車の中で良く足でリズムを取りながら練習したものである。

 5週目の6月16日には、ボイス・トレーナーの望月先生が全曲を聞いて下さり、「ソロは素晴らしいですね」、と褒めて下さった。ソロと言っても、テノールの工藤さん、ソプラノの安室さん、そして私も含まれているのかしらという疑問は残るものの、少し自信がついた瞬間であった。それでその部分の録音は、何度も聞き直して励みとした。

8週目の7月7日には、東京都合唱際の練習で、本番に出ない方達が聴衆になって聞いて下さった。その聴衆の一人だった山内さんから「大丈夫です。自信を持って堂々と歌って下さい」という励ましのメールが届いた。それ以降、それは、ずっとお守りとして楽譜の裏に書き留めてある。

 さて、10週目の7月21日には東京都合唱祭が新宿文化センターで開催された。私共の出番は、ちょうどブロック毎の交代時間に当たり、お客様も疎らになったので、私にとっては良い案配である。ド緊張の中、何とか無事に歌い終え、ほっと胸を撫で下ろした。その打ち上げの時には、支えて頂いた皆様に感謝の気持ちを述べ、日高さんとは、これからは毎日練習を積み重ねて行くという自分の決心を告げ、お互いに高め合おうという約束をした。毎週に近い頻度で歌うわけなので、常に前進して行けたらと考えた。その日からは、毎日練習に励み、数えれば何百回もの練習回数になった。リズムを変えたり、1音のみのコントロールもあり、この部分は滑らかに歌った方が良いと思えば、何度もやり直して、次の練習の時に試してみる。ただその部分の事だけを考えていると、バランスが崩れて、他の部分が巧く行かなくなってしまう場合もある。然し、折角考えついたやり方なので、どうしても試してはみたいものだ。

 いつも目標としていたのは、私の好きなソプラノ歌手のキャサリン・バトルの歌の様に、どこ迄も天を突き抜けて行く様な軽やかさ、又、山神先生がよくおっしゃる、優しく、柔らかく、力を抜いた歌い方ができればと言う事であった。25週目の10月27日には、本番さながらに、すみだトリフォニー・ホール(大ホール)での練習があった。声が響く会場なので、ポンと出せばドーンと返って来る様な錯覚に陥った。それで次の週に、気楽な気分でポンと出したら、返りがなく、音程が下がった状態になり、二度と聞けないものになってしまった。

 そして27週目の11月18日、いよいよ本番の日がやって来た。ホールに着くや否や、安次嶺さんが待ち構えていらして、前日のゲネプロの時にリズムを引き延ばして歌ってみたのだが、そこはリズム通りに歌わないと苦しくなるとの忠告を受ける。

やっぱり思い通りに、勝手に歌ってはいけないという事を思い知らされ、本当に巧く行くのだろうかという心配が出て来た。客席で次の「ドイツ・レクイエム」の練習の出番を待っていると、望月先生が見えて、前の練習を見ていて下さって、素晴らしいと褒めて下さった。でも私の心の中は、思うようには歌えない、否、言われたようには歌えない、という思いで一杯になっていた。本番で真っ白になってしまったらどうしようという心配で、ステージでの周りの方々には、支えて下さいとお願いし、指揮者の日高さんには私の出番が来たら「微笑んでね」、と何度もお願いした。


(撮影:上野能孝

 舞台は暗い中でコーラスは始まり、1番の「時の逝く」は出始めからとても安定した入りができたので、そのまま最後の「春の日」迄、とても情感のこもった演奏になった。又、私のソロの部分は、一音一音丁寧に考えながら歌えた様に感じた。

息子のメールには「お疲れさまでした。大変感動し、明日の活力をもらいました。ソロはものすごく上手だったよ。良く通ってクリアなのに、周りに溶け込むバランスが美しかったです。素敵な仲間が沢山いて、本当に良かったね。これからも大切にして下さい」、とあった。

これぞ人生至上の喜びとなった(2013年1月27日)。

次は、井尾 雄二さん(14期)にバトンをお渡しいたしました(2月2日)。