リレー随筆コーナー

モツレク再演 ― さまざまなご縁で

 

鎌田 麻衣子(47期)


2011年は東日本大震災があり、日本全体でも大変なことが起こった1年だった。そして私にとっても忘れられない年となった。父が65歳という若さでこの世を去ってしまったからだ。肺癌であった。発病からおよそ1年半、昨年6月の入院までは一人で歩け、ご飯も好きなように食べていた父がみるみる衰弱し、7月18日に帰らぬ人となってしまった。アッという間のことであった。実家に戻れば今でも父が「お帰り」と言ってくれるのではないかと思うくらい、未だに現実感がわかない出来事であった。ろくに親孝行のできなかった娘ではあるが、少し父に孝行ができたかと思う行事があった。

それは2011年11月2日(水)、聖路加国際病院のチャペルでのモツレク奉唱会に出る機会を得られたことである。私は2008年から新しい仕事を始め、しばらく実家から通っていたのだが、勤務時間や通勤時間が長いことから一人暮らしを始めた。時間に余裕ができ、再び合唱をしたいという思いが強くなり、インターネットで探し、最初に練習見学に行った合唱団に入団した。“Ensemble Now”という合唱団である。楽友三田会合唱団でないのは残念だが、練習日程や曲のレパートリー、団のサイトから窺える雰囲気が私に合っていると思い、入団することにしたのだ。

そこに聖路加国際病院内の聖ルカ礼拝堂聖歌隊に入っている方がいらして、今回のチャペルでの演奏の曲目がモツレクであること、また、その方は東京六大学混声合唱連盟(六連)の青山学院大学グリーンハーモニー合唱団出身であり、私がモツレクを歌えることや父が亡くなったことをご存知で、是非にとチャペルでの演奏にお誘いくださったのだ。

チャペルでRequiemを歌うことは以前からの憧れだったし、父に捧げるという本当の意味でのRequiemを歌えることに惹かれ、私は二つ返事で歌うことを決めた。私はクリスチャンではないのだが、好きな作家が遠藤周作や三浦綾子であり、キリスト教の教えに触れて共感することがあったことも快諾した理由の1つである。


笑顔の鎌田さん

チャペルでRequiemを父のために歌うというまたとないチャンスに恵まれ、普通の演奏会とは違う意味で心躍るものがあった。私がモツレクを歌うのは楽友会の50周年記念演奏会以来のことであり、およそ10年程度のブランクがあった。歌えるかどうか不安はあったが、若いころの記憶はすばらしいもので、各曲を1度練習することで、大体は思い出すことができた。練習もチャペルであり、私にとってはそれも喜ばしいことであった。仕事の都合でなかなか毎週の練習に出られなかったが、それでも3回程度は出席することができた。

そして奉唱会当日。練習と同じチャペルで歌ったのだが、練習のときとは違い、そこには荘厳な雰囲気が満ちていた。演奏の前に、司祭がここ最近亡くなった方の名前を一人ずつ読みあげることから奉唱会が始まった。一昨年の10月くらいから昨年の9月くらいまでの1年間に亡くなった方々のお名前を読みあげるのだが、それがおそらく20分以上かかったのではないか。事前にこのことを知らせていただいていたため、父の名前を読みあげてもらうことにしたのはもちろんだが、私にはもう1人読みあげてほしい方がいらした。その方は私の以前の勤務先の先輩であり、ある合唱団のすばらしいソプラノであった。以前の勤務先で仕事のことでいろいろ相談に乗ってもらったり、勤務先や合唱団で一緒に練習して歌う機会があったりした。その方が亡くなったのは40代半ば。父と同様あまりにも早すぎるお別れであった。

私はこの2人に対してRequiemを歌った。父や勤務先の先輩を思い出して少し涙ぐみたくなることもあったが、個人的な感情に酔いしれて歌うのは嫌いだったので涙はこらえて歌った。故人を思うRequiemはアッという間に終わった。歌い終わって、もしかしたら勤務先の先輩は天国で苦笑しているかもしれない、とチラッと思った。

本当の意味でのRequiemが歌える機会を与えてくださったMさん、この場に執筆の機会を与えてくださった小笹さんに御礼申しあげたい。そして、父や勤務先の先輩たちすべての亡くなった方たちに、神のご加護がありますように。


編集部追記: ある練習日の休憩時間。後ろで女声たちが雑談していた。と、その会話の中に「楽友会」という言葉が飛び出したので思わず振り向くと、そこに居られたのが鎌田さんだった。初対面だったが、そこは楽友会とモツレクの縁で、旧知の仲のような親しみを感じた。鎌田さんは、いきなり変な爺に声をかけられてビックリなさっただろうが、真にチャーミングな笑顔で返礼してくださった。それでいい気になって、すぐに寄稿をお願いしてしまったという次第。真に、同窓の交わりと歌の絆はすばらしい!

鎌田さんへ; その後いろいろとお仕事や年末・年始の雑事でお忙しかったでしょうに、早々と寄稿してくださったことを感謝します。ご尊父ご逝去のお悲しみの事などを存じあげておらずに失礼しましたが、遅ればせながら謹んでお悔やみ申しあげます。きっとお父上は鎌田さんの美しい心と歌声に、天国で感動なさっていたことでしょう。新年会でまた、その明るい笑顔に再会できることを楽しみにしております。(1月21日・オザサ)