リレー随筆コーナー

♪ 月去り星は移るとも ♪


竹内 知子(23期)


AGFCをきっかけに、編集部から光栄にもリレー投稿のお話をいただきました。AGFCでは大変お世話になり立派な舞台にのせていただいたのに不出来な演奏で、その言い訳みたいな、まさにカッコ悪い音楽人生のカミングアウトの駄文ですが、私には良い機会、ありがとうございました。


AGFC 2011/7/2

数年前だったでしょうか。楽友三田会にはすっかりご無沙汰の失礼を重ねたままの私が、たまたま時間が空き、三田会会報の発送のお手伝いをしに三田キャンパスヘ行ったことがあります。

<何と遠くまで来てしまったことか・・・>

あの中庭のはずれに立ったとき、「慶應讃歌」の「月去り星は移るとも」のフレーズとともにいきなり押しよせてきたのは、その思いでした。

「楽友会にべったり」と笑われ、合唱と楽友会がイコール大学生活そのものだった私が、本当の意味で楽友会を卒業したのは、社会人2年目、当時所属していた湘南市民コールの一員としてNHKホールの本番で歌っている最中に「生涯をかけるものは声楽(ソロの)」と決めたときです。

合唱好きが昂じて、と思われているようですが全くの突然変異。迷った末の決断でも、長く温めてきた願望でもなく、私自身からして「ただの気まぐれ」「今の苦境からの逃避の心理では」などと、唐突な自分の決意をしばらく疑ってかかっていたくらいです。けれどあの心境の変化は、今でも天啓としか言いようがありません。

その時期すでに声の酷使による声帯炎、家庭内のごたごたから来る欝状態、それによる過食症など、心身ともにこの人生で最悪な状況にあって、日常会話にも不自由するほど声が出なくなっていました。ただでさえ体の素質が無いうえに、「ゼロからの」どころか「マイナス100からの」出発をしたわけです。以来30年以上を、歌の勉強どころか「体の」勉強のみで費やしてきました。

漢方で言う「虚証」のひどいタイプで、とにかく敏感すぎて何につけても体がついていかない。歌う以前の次元で日々の生活そのものが大変しんどく、「体調が悪いのが普通」という状態なのです。

動かない体を引きずって、声楽の先生に師事する他、東京オペラ・プロデュースの研究生課程に5年在籍、20回ほどの本公演の舞台でオペラの現場体験をし、後の仕事や人脈につながる貴重な出会いにも恵まれました。毎年の声楽セミナー参加は、演奏家としても教師としても名実ともに一流の先生がたとの接点となり、最近は近くにお住まいのフランスものの権威の先生が主催されるフランス・オペラのミニ公演シリーズと歌曲勉強会にも首をつっこんでいます。

そしてとにかく頻繁に舞台に立つこと。ここ数年は平均月1回どこかで歌っています。オペラの正式上演やソロ・コンサートから1曲だけでのコンサート参加まで様々ですが、目的は一つ。「どうしたらフツーに元気に歌えるのか」を知るための場数踏みです。

私の場合、積み重ねの勉強や発声云々が全くモノを言わず、とにかく体調の波がひどすぎました。うろ覚えの暗譜で初めて人前で歌った曲で選抜コンサートのメンバーに選ばれてしまったり、オペラ研究生の入所試験の出来が良かったからと、いきなり本公演の大役に起用されたりするかと思えば、何十回も本番で歌った曲が絶不調で声にならず「楽譜も読めないド素人さん」扱いを受けたり、オペラの稽古でマエストロに「人ごとみたいに歌うな」などと言われたり・・・もう対処しきれません。たまに「5年に一度の大当たり」が出る他は、ほとんどの本番が最悪という状態が長く続きました。

それでも人間の体とは不思議なもの、「体探し」の年月は無駄ではなく、本来なら更年期真っただ中のこの数年になって体質改善の成果が出てきました。世間のレベルには程遠く、今でも体のメンテナンスには人の何倍も苦労しますが、やっと「マイナス100」から「ゼロ地点」まで到達した、と言えるくらいにはなったかもしれません。実に「歌の勉強」はこれからです。舞台の上はいちばん好きな場所。どんなに苦しい状態でも、舞台の上ではいつも凛然とありたい、それが私の願いです。

もう4半世紀近くになる音楽教室の仕事は、当初ピアノ中心でしたが、結局「何でも屋」になってしまい、子供から年配者まで、ピアノ、歌から、資格試験のための指導、伴奏のレッスン、合唱の音取りやオペラのコレペテイもどきのようなことまで、また声楽のピアノ伴奏で舞台にのることも時々あります。最近は小さなスタジオで、童謡や唱歌を大勢で歌う(合唱ではなくユニゾン、上手くなるレッスンではなく1回に30曲くらいどんどん歌う)講座もやっています。

歌うことに適さない身体的条件がことごとく揃った体ゆえ、教えるときは苦しんだ経験が逆に役立ち、きれいな声がアタリマエのように出てしまう人にはわからないことがたくさんわかります。体の使い方というのは、歌でもピアノや他の楽器でも基本はみな同じ。教える仕事で私自身が教えられ、今も日々新しい発見をし続けております。

あれから本当に一度も振り返ることなく、合唱と楽友会からはどんどん離れて、こんなに遠くまで来てしまいました。

そんな私のささやかな草の根演奏活動に、いつもおつき合い下さる楽友会の方々がいらっしやいます。同期の仲間たち、近い学年の先輩後輩の方々、そしてずっと上の期の大先輩の皆様にも、たびたび私の本番にお越しいただき、ただ感謝の気持ちで一杯です。立派な活動ができているわけでもないのに甘えるばかりで、私のほうは何のお手伝いもできず本当に申し訳なく思ってきましたが、今回の投稿にあたり、いろいろ考えたり思い出したりしているうちに、楽友会に対してだけでなく、あんなにも楽友会と合唱オンリーだった若き日の自分自身に対しても、何かしめしがつかないような気がずっとしていたのではないだろうかと思い当たりました。

「月去り星は移るとも」、楽友会が生涯私の心のオアシスであり続けることに変わりはありません。そして今後、新しい自分、楽友会との新しい関わり方を発見するかもしれません。それを励みに、また楽しみに、歌ったり弾いたり教えたり、日々のことを誠実にこなしていければいいのかなと思います。(2011年11月2日)


編集部:AGFCでの竹内さんのビデオがあります。⇒こちらへ