リレー随筆コーナー

岡田忠彦先生と校歌のとりもつ70年前のご縁


藤田克己(26期)


2021年11月4日、南日本新聞の永井と名乗る記者から突然私のスマホに電話が入った。

「岡田忠彦さんという方をご存じでしょうか?」

との唐突な質問。鹿児島県のローカル新聞が鹿児島県立出水(いずみ)高校の校歌を作曲した岡田忠彦という人物を調べているとの由。岡田忠彦さんをネットで調べているうちに私の携帯番号を見つけて電話してきたらしい。恐るべしマスコミ。

「慶應楽友会創設者の岡田忠彦先生なら存じていますが。。。」

「その方が出水高校の1950年に制定された校歌の作曲家かどうかご存じですか?」

そんなこと知るわけない、ましてや自分が生まれる前のこと。ちょっと待て、1950年というのは音楽愛好会が活動していた頃なので当たっているかもしれないと思い預かって調べることにした。

まずは1期の筑紫武晴さんに伺うも

「記憶にない」

と。こうなったら岡田夫人に直接聞くしかないと元住吉のご自宅に直電。しっかり私のことを覚えて下さっており感動。御年94歳になる茂子夫人は少し足が弱ったと言いながらも買い物、料理、洗濯など身の回りのことは今でもご自身でなさっているらしく、電話での会話が予想以上に弾んでしまった。

ここで新たな事実が。岡田忠彦先生は広島県福山市のご出身で、なんとご自身の母校である広島県立松永高校(旧制中学のご卒業)の校歌を1948年に作曲(混声四部合唱も)していたことが判明。茂子夫人によれば他にも校歌を作っていたようだが、具体的な学校名は分からないとのこと。すぐに南日本新聞の永井さんに伝えた。彼はやや興奮しながら11月10日の新聞に記事を書きたいと言っていた。

11月29日、南日本新聞の永井記者から、立派な記事となって掲載された11月10日の新聞とともに御礼の手紙が届いた。

「岡田忠彦様作曲につきましては、当時を知る方から『出水高校の音楽の先生が知り合いに依頼した』とお聞きし確たる事実として掲載することが出来ました。出水高校長より『偉大な音楽家が作曲されたことは母校の誇り』との御礼が届きました」

茂子夫人にこの新聞をお送りしたところ、12月6日に電話を頂きました。

「先日主人の7回忌(2015年12月3日に89歳でご逝去)だったこともあり素敵な贈り物を頂いたような気分です。さっそく新聞を仏壇に飾らせていただきました」

今年の楽友会第70回定期演奏会はオーケストラ付きでモーツアルト「レクイエム」を演奏する。岡田先生が指揮をしながら楽しく聴いてくださっている光景が目に浮かぶようだ。

26期 藤田克己(楽友三田会会長)

(2021/12/8)

    


編集部 藤田会長からの投稿です。驚きました。原稿を開いて更に驚きました。今夜は珍しく知り合いの歌手のコンサートがあり、大井町きゅりあんホールに行っていましたので、編集作業が遅い時間になりました。楽友の皆さんには本稿は夜が明けてからになります。

(2021/12/8・かっぱ)


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