リレー随筆コーナー
          全てはこの1枚から

 

江原 毅(51期)


高校時代に夢にも思わなかった舞台。合唱を始めて苦節十余年、27の齢にて到達できたこの舞台。私はようやく、合唱コンクール全国大会まで上りつめることができた。

私の合唱の暦は高校1年から始まり、高校3年間、毎年合唱コンクールに出場した。当時、関東大会にまで出場できたのが1度きりであり、いつも埼玉の県大会にて淡く儚く散ったものだ。

高校卒業後、楽友会に所属して合唱を続け、卒団後も一般の合唱団にいくつか所属し、現在、関西でとある合唱団に所属している。

昨年、高校3年以来で、合唱コンクールに出場し、関西大会を経て、ようやく全国大会進出、そして全国大会金賞をこの手にすることが叶った。当然、合唱である以上、自分の力1つで到達できた地位ではないが、合唱を継続して良かったと思えたことはこの上ない。

思えば、合唱を始めることに至ったのは、1枚の葉書きから。

それは、中学卒業後、地元の公立高校入学までのわずかの期間に、高校の音楽部から届いた合唱部への勧誘葉書き。高校が男子高であったため、殊に志しがない限り、文化部、しかも合唱を3年間部活動として選択する者は滅多にいない。現に、当時、私の高校の音楽部は部員20人に満たなかった。

私は小さいころから歌うことは好きではあったが、この葉書きを受け取っていなかったら、恐らく私は音楽部の門を叩くことはなく、その後も合唱の世界に足を踏み入れなかったことだろう。

合唱界に足を踏み入れてからは、楽友会を始め、大学の枠を越え、合唱の繋がりで数多くの人と出会うことができた。また、楽友会所属当時、定期演奏会のマネージャーや、東京六大学混声合唱連盟の編集局長を務め、同世代でない多くの方々と仕事をし、社会人になった今、その経験が大いに糧となっている。

社会人として、初めて関西に生活の場を移してもなお、合唱を求めて1から縁を作ることができること、それほどまで労力を惜しまない趣味を得られたことは、自分自身誇りに思えることである。数え切れない、大小さまざまな舞台に立ち、そして、高校時代到達できなかった目標を越え、全国大会金賞という更なる高みに上ることができた。

恐らく高校で音楽部ではなく、別の道を歩んだ場合にも、それなりの違った出会い、そして、それなりの違った経験を得られたことと思う。しかし、出会った人の数の多さ、そして社会人になった今でも続けられる趣味を見つけられるということ、それは合唱に敵うものはそうそうないのではないかと思う。

生涯の趣味を得られたこと、数え切れない経験、出会いを得られたこと、そして、生涯の友人を得られたこと、全てはこの1枚から。この1枚の勧誘葉書きなくしてありえない。今の自分の性格、思考、立場、環境は、合唱を通じずに1つとして同じものはなかっただろうから。些細なきっかけに過ぎないが、自分の道を切り開いてくれた高校の音楽部に、とても感謝している。

合唱を通じて知り合えた皆様、私は今でも合唱を続けております。

文系もすなる随筆というものを、理系もしてみむとてせしなり。バトンは54期幹事長でした鈴木啓君に渡しました。(2010年6月7日)


編集部より 鈴木 啓君、このページを見たら編集部までメールをください。(わかやま)