リレー随筆コーナー

          楽友会でのアルバイト

 

奈良井 治彦(34期)


大先輩である14期の日高さんからご指名をいただいたまま早Xヵ月、生来の筆の遅さと仕事が重なり、いよいよ後がないところまで来てしまい(もう遅い?)、さて題材を何にしよう、とこのコーナーを覗いたら、えらい高尚なものばかりで、自称宴会芸人の私には、どれもまともに書けそうもありません。

で、よくみたら、自由投稿も可、ということなので、これは合唱アルバイトの話しかないと思い、記憶をたどりました。

1. ミュージック・ステーション第1回(1986年10月24日)
今も続いているテレビ朝日系列のミュージック・ステーション、どういうルートかはわかりませんが、新番組開始のイベントとして、お話がきました。曲は近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」1,000人だか10,000人だか忘れましたが、とりあえず大人数での合唱。これだけの人数がいると、当然合唱なんてものは成立せず、少しでも目立とうと声を張りあげるばかりでした。

TV局も心得たもので、音声は絞られうまく聞こえましたが(笑)、自分がどこにいたかを覚えていないと、どこに映っているかどうかもわからないアルバイトでした。

2. 読響オーケストラ・ハウス(1988年夏)
日テレの深夜に放送されていた、その名の通り読売交響楽団の番組。これもどういうルートかは忘れましたが、ある日話しがきました。当時渉外だった私は、日テレのプロデューサーと打ち合わせがあり、マスコミ関係だ〜、と舞いあがっていましたね。

肝心の演奏は、というと、早混との合同で当時若手のスター、今は大御所になりつつある大友直人の指揮で、カルメン他何曲かを歌いました。が、あまりの出来の悪さにある日の練習で大友直人がぶち切れ、企画中止一歩手前まで。

結局原語ではなく、日本語で歌ってなんとかごまかしたものの、その後2度とお話がなかったことはいうまでもありません。TVにはばっちり映っていましたので、まぁ楽しかったです。

3. 紅白歌合戦(1987年12月31日/1988年12月31日)
はい、知らない人がいないあの番組です。ジュネスの関連で話がきました。話を聴いた瞬間「これは出るしかない」ともちろん手をあげましたね。

前日初めてNHKホールに入りステリハ。12時くらいから入り、最初はいろいろな歌手のステリハを見ましたが、忙しい季節なので、大抵はマネージャーかもしくは局の人が「はい、この衣装でここに立ちまーす」と。バックでは当日歌う?はずの曲が流れて。このとき初めて口パクの歌手もいるんだ〜、ということを知りました。

さて、何を歌ったかというと、1987年は谷村新司の「昴」、1988年は北島三郎の「年輪」のバックコーラス。「さぶちゃん」にバックコーラスってどうみてもミスマッチな感じがしますが、まぁそんなのはどうでもよく、とにかく目だつ位置に立つことを考えていました。

努力の甲斐があってか、しっかりいい位置を抑え、TVにもばっちりと映っていましたね。

芸能人の方も大勢見て、やっぱり舞いあがってました。瀬川映子さんはわれわれにも腰が低く、すごい好印象でしたね。

12月30日/31日それぞれ12時過ぎ位から拘束され、バイト料は3,000円か4,000円、金額的にはこれほど悪いものもありませんが、その後20年以上にわたり、合コンや飲み会、会社の研修での自己紹介など「紅白歌合戦出場歌手」です。

紅白に1回でも出場すると、その後営業で困らない、というのは本当のようです(笑)

ちなみに先日YouTubeを検索したら、見事「年輪」がアップされていました。

https://www.youtube.com/watch?v=oHP4Wb6gmzc

感動して、自分が映っているところを切り抜いてしまいました(^^;)

4. 石原伸晃(現・自民党組織運動本部長)の結婚式(1988年9月)
この方も多分皆さんご存知だと思いますが、結婚式の場で、若
き血を歌いました。

岡田先生のご子息と、石原氏が慶應の体育会ヨット部での同級生で親友、というつながりから話がきました。このときも渉外だったのでいろいろな方とお会いしましたね。

当時父親の石原慎太郎氏は運輸大臣で、その秘書官の方とも名刺交換せていただきましたし。やっぱり舞いあがってました。で、当日は新高輪プリンスホテル 飛天の間。集合の後出番まで時間があり、その間ホテルの控え室で缶詰状態。おなかも空き、イライラが募ってきたところでやっと声がかかり、会場へ。

仲人は安部晋太郎夫妻、主賓は福田赳夫、来客もすごい面々がそろっており、圧倒。奥様の里紗さんは、当時大和証券取締役・田中栄氏のご令嬢。大和証券に就職が決まっていた私は、なんとかコネができないか、とスケベ心を抱いてましたが、もちろん崩れ去りました。

若き血を歌う頃には、皆さんできあがっており、ステージに石原氏が上ってきたような気もしましたが、あまり覚えていません。また、アンコールも一部あったものの、さっさとご苦労様ということで。

こうやって振り返ってみると、多分歴代の楽友会の人たちの中でも、マスコミ関係のバイトは多いほうだったのではないかと思います。バブルで日本が浮かれていた時期かもしれませんが、ほんといい経験をさせてもらいました。この10分の1でも合唱に力を入れていれば、もう少しうまくなったかもしれません・・・。

さて、このリレー随筆、次は37期の「もこちゃん」こと長田陽子さんにバトンを渡します。学生時代1年間一緒に歌ってましたが、笑顔がとっても素敵で元気をもらっていました。というわけで、もこちゃんお願いしまーす♪(2010/2/1掲載)