リレー随筆コーナー

「第九」よもやま話


土井承夫(24期)


(1 「第九」とは正式には「ベートーベン作曲 交響曲第9番ニ短調 作品125」です。第9番であることから「第九」と呼ばれるようになりました。

(2 合唱団はいつステージに入ってくるの?・・・
「県民による第九」倉吉公演をご覧になった方はお分かりでしょうが、第2楽章と第3楽章の間にステージ後方の段々状スペースの上に約100人近い合唱団が素早く登場します。ソリスト4人もこの時に入ります。然し、年末おおみそかにNHKで放映される前述した N響の第九は、第1楽章の始まりから既に合唱団はステージに入っていてその段々の地べたに座って終楽章の歌の出番まで待っています。今ではこのNHK交響楽団の第九だけが長年このスタイルを採っています。・・・何故で  しょう? 決してその辺の根性論だけで決まっているのではありません。これには音楽的というか歌詞であるシラーの詩に唯一ベートーベンが書き加えた重要な一節の意味が理由になっています。

最終の第4楽章の合唱が始まる冒頭にバリトンの有名な独唱が響きます。それは、
「O Freunde nicht diese Tone ! ・・・」(オー フロインデ ニヒト デイーゼ テーネ!・・・)つまり「おお友よ、このような音ではなく心地よい歓喜に満ちた 歌を歌おう!・・」という意味です。「このような音」というのは第一から第三楽章の事と推測されますが、今までの音楽を否定しあの皆んながよく知っている歌「晴れたる青空・・・“ミミファソソファミレ”・・」の有名な旋律を引き出していくのです。ドイツ語の“ニヒト”(nicht)は英語の“ノット”(not)で否定する意味の単語です。

(3) これを踏まえて何故N響の年末の第九だけが最初から合唱団がステージに整列しているかを説明します。

(4) ヨーロッパの本家本元の“あるオーケストラ”も実は今から100年近く前から年末の大みそかの夕方に「第九」を演奏してきました。ですから第九を年末に演奏するのは日本だけで年末の総決算の雰囲気に合っているとか、オーケストラ団員の小遣い稼ぎのボーナスの様なものだという通説は本当は間違っています。

(5) 世界で一番古い歴史の長い交響楽団(オ−ケストラ)はどこでしょうか?それはヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンのベルリン・フィルではなくカール・ベームやカルロス・クライバーやレナード・バーンスタインのウイーン・フィルでもなく勿論、アメリカのブルーノ・ワルター・コロンビア管や ゲオルグ・ショルテイ・シカゴ菅やユージン・オーマンデイ・フィラデルフィア管やジョージ・セル・クリーブランド管でもなく、それはドイツの首都ベルリンの南150キロの所にあるライプツイヒという町のライプチイヒ・ゲバントハウス管弦楽団です。「ゲバントハウス」とは織物工場という意味で270年前のスタート時はその工場を改造したホールでした。そこの楽長の事をカペルマイスターといい特にこのオーケストラの楽長は“ゲバントハウスカペルマイスター”(Gewanthauskapellmeister)と呼ばれます。

この世界最古のライプチイヒ・ゲバントハウス管弦楽団が、第一次世界大戦が終わり平和を願う声が高まってきたドイツで今から約100年前の1918年から毎年年末大晦日の夕方5時頃から「第九」を演奏するようになりました。これが日本で始まったのが第二次世界大戦終結後の1947年(昭和22年)であります。現在のNHK交響楽団である当時の日本交響楽団により12月の3日連続の「第九コンサート」として行われました。

(6) N響の年末の第九だけが合唱団を最初からステージに整列させている理由・・・
そのライプチイヒゲバントハウス管弦楽団の現在の楽長カペルマイスターでN響の一番偉い指揮者「桂冠名誉指揮者」を兼ねるヘルベルト・ブロムシュテットさん(93歳)が最初にN響の第九の指揮をした時に(2)で説明したバリトン独唱の「このような音ではない!」つまり第1,2,3楽章の旋律ではないと否定する所から合唱が始まるのに、それを合唱団がステージでその演奏を聴いていないのは何事だと怒ったのです。それ以降、N響の第九はブロムシュテットさん以外の指揮者の場合でも必ず第1楽章から合唱団をステージに入れています。

(7 それでは県内のアマチュアによる第九もそうすべきか?・・・
第九倉吉公演に合唱団の一員として参加出演した事のある私の個人的な考えを述べさせて頂きます。国内最高峰のN響の第九であれば(6)のブロムシュテットさんの言われる通りで良いと思いますが、地方のアマチュア合唱団・オケの演奏はそれに拘る必要はないと思います。実際に倉吉公演の練習に参加してみると楽譜の最後にまとめてシラーの歌詞の日本語訳が載っているものの、合唱団員の半数以上はドイツ語の歌詞の上にカタカナで読み方を付けています。歌詞の意味を考える以前の段階であって本番の演奏もそのカタカナを読んで発声しているだけです。でも、アマチュアの演奏なのでそれでいいと私は思います。

また、第一楽章からステージに出されているとまばゆい程の照明にさらされながら、多くの聴衆が見つめる中で微動だにできないし勿論、鼻もほじくれません。この“さらし者状態”で歌が始まるまでの約50分間を耐えなければならないのです。それと聴く方も別にドイツ人ではなくてバリバリの鳥取県人の方がほとんどで、意味が分からなくても目いっぱい声を張り上げた力ずくの演奏に終了後は感動の涙を流す人も多くおられます・・・倉吉の第九はそれでいいじゃないですか・・・私は個人的にそう思います。日本には「言葉にならない言葉」とか「以心伝心」とか「目は口ほどにものを言う」などの奥ゆかしい文化があります。

そしてもう一つ、ベートーベンさんもブロムシュテットさんもそこまでは気づいておられないと思いますが、ステージに入場するまでの第1楽章と第2楽章の演奏の間、合唱団は壁で隔てられたステージ袖に控えています。雑然と小道具や舞台装置が置かれている暗いその場所で息を潜めながら壁越しに流れてくる 演奏を聴いているのです。客席で聴くのとはまた違ったベートーベンの音楽をその暗闇の中で感じているのです。

(8) 私が大切にしている一枚の第九のレコードについて・・・
私が国内外で第九の演奏を実際にホール(オーデトリアム)で聴いたり、TVや ラジオやCD、レコード等の媒体で鑑賞したりしてきました。多くの感銘を受けた演奏がありました。30代で名古屋支店に勤務していた頃、当時の名古屋市民会館で世界的指揮者 小澤征爾さんの指揮による名フィル(名古屋フィルハーモニー管弦楽団)の第九演奏を鑑賞しました。「これが同じ名フィルか!!」と天に飛び上がるくらい感動しました。この時、「オーケストラの演奏は指揮者で変わる」と強く思いました。水泳の北島康介の「超―気持ちイイ!」と似た様な感覚だったと思います。

時を遡って20代の東京本社勤務の時に秋葉原の石丸電気という7階建てのビル全部がレコードショップという店である第九のレコード(当時はまだCDは発売されていませんでした)を買いました。

ブロムシュテットさんの一代前のカペルマイスターのクルト・マズアの指揮、ライプチイヒゲバントハウス管弦楽団、ライプチイヒ放送合唱団、ペーター・シュライヤーとテーオアダムを含むソリストによる新装ゲバントハウスこけら落としのための演奏でした。クルト・マズアの指揮はカールベームよりもロヴォルト フォン・マタチッチよりも動作が小さく手首をコロコロ動かすだけのものですが、そこから崇高で感動的な音楽が導き出されます。私個人の感想としてこのレコードの演奏が世界最高の第九の演奏だと思っています。ですから、この一枚は国内外どこに転勤しても大切に“肌身離さず”持っていました。


<キャステイング>
(ソプラノ)エッダ・モーザ
(アルト)ローズマリー・ラング
(テノール)ペーター・シュライヤー
(バス)テーオ・アダム
(オルガン)マテイアス・アイゼンベルク
ライプチイヒ・ゲバントハウス少年少女合唱団
ライプチイヒ聖トーマス教会合唱団
ライプチイヒ放送合唱団
クルト・マズア指揮
ライプチイヒ・ゲバントハウス管弦楽団
<1981年10月8日 ライプチイヒ・ゲバントハウス(ライブ録音)>
( Gewandhausorchester Leipzig )
 

巨匠 クルト・マズア
 < Kurt Masur >
  ( Dirigent )

(2021/2/5)

    


編集部 毎月送られてくる「土井館長レポート」に「館長のちょっと一服コーナー」というエッセイ・コーナーがある。今月は「第九のお話」だったので、抜粋してお届け致します。

(2021/2/5・かっぱ)


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