リレー随筆コーナー

野球応援


佐田奈緒子(60期)


名門 慶應義塾大学に進学したからには慶早戦を観戦しにいかねばならない と亡き祖父に言われてはいたが、結局在学中に神宮へ足を運ぶことはなかった。野球に興味が無かったためである。父は私が生まれる前からカープファンだが、私が生まれてからカープはとんと弱くなってしまった。私が高校生の頃、父はまるで隠れキリシタンのようにひっそりとカープを応援し、シーズン中は家のテレビを独占した。カープが負けると不機嫌になる父を家族はしらっとした目で見ていた。一体何だってそんな弱いチームを応援し続けるのか…。そんなこんなで野球に関心を失ったまま私は大学院へ進学をし、千葉県の教員となった。

私は千葉の教員採用試験を4回受験し、4年目にようやく合格している。大学4年、修士1年、2年と受験し全て落ちて卒業したということである。次年度の試験までの就職先として、千葉県のある市立高校で1年間お世話になることになった。母校の校長先生が話をしてくださったのである。そして、その1年は私の人生において大きな転換期となった。

その市立高校は、部活動が非常に、全国的に見ても盛んな学校で、特に吹奏楽と野球は全国にファンが大勢いるような学校である。そこへ「普通の」先生として赴任したが、毎日がとても楽しく、朝5時に起きるのが苦に感じない、非常に幸せな教員生活を送っていた。生徒はというと部活動はもちろん、授業へも意欲的に参加してくれるので、いろいろと試行錯誤し授業を作り上げることができた。

教員同士の仲も良く、先輩の先生方は本当に優しくしてくださった。また事務の方も非常に気持ちの良い方々ばかりで、本当に恵まれた環境であった。

話は、とにもかくにも野球応援である。マリンスタジアムへ応援生徒の引率として赴いた私は度肝を抜かれた。観客席の一体感、吹奏楽の迫力、バトン部の応援…今まで見たことのない世界がそこにはあった。

楽しい!だが眼差しはみな真剣である。フォアボールだ三振だ、次はあの曲だ今は音出しちゃだめ、あいつが熱中症で倒れた次はこっちに氷くれ、向こうのおじさんがずっとこっちにカメラを向けている様子を見てこよう、高野連の方、こっちです、こっちは一般の方立入禁止ですエトセトラエトセトラ…

戦場である。

野球の試合自体も大変面白かった。何せ、自分が普段教えている生徒が活躍しているのである。毎朝毎晩練習しているのを知っているのだ。それでも授業は起きてクラスに活気をくれる野球部員たち。必死にその場の状況を確認し、生徒に混じって全力で応援した。

あの夏は、本当に最高だった。日焼けも自身新記録を樹立した。見事な腕時計焼け。私だけではない。生徒も教員も学校OBの事務の方も地元のお店の方々も…

それから私は野球が好きになった。野球に限らずスポーツ観戦とはなんて楽しいものだろうと目覚めたのだ。現在の勤務校では副顧問をしている剣道部やクラスの生徒がいるバスケやソフトボールの試合を見に行っている。もちろん野球の試合も。生徒会顧問として野球応援に関わっているが、応援団の結成や吹奏楽とチアと生徒会との合同練習やバスの手配、熱中症対策など仕事は多岐にわたる。こんなにせわしなく、つらく、いとおしい時は他にあったか?そうだ、楽友の合宿だ。春合宿最終日の朝、呑んだ瓶ビールの本数を数える。そこらへんで潰れている楽友人を横目に会計の仕事を済ませる。あの感覚に近しい。

私はずっとあの懐かしさとともに生きているような気がする。 (了)

ご無沙汰しております。59期の阿久津遼太先輩からリレー投稿のバトンを引き継ぎました、60期の佐田です。

昨年度までの夏を思い出して書きました。世界はすっかり様変わりし、勤務校では文化祭、当該学年の修学旅行が全面中止となりました。部活動も目標とする大会が無くなり、生徒は泣いていました。かける言葉もありません。

それでも私たちは、今を生きています。何かわくわくすることはないか、心のコンパスに従って、来年度も頑張ります。皆様も、どうか児童・生徒・学生の頑張りを応援してください。最後までお読みいただきありがとうございました。

皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

(2020/12/16)

    


編集部 佐田奈緒子さんから原稿が届きました。メールには「次の投稿者が誰なのかは、投稿された際のお楽しみです」と書かれています。

同じように、バトンの渡し先を、編集部に教えない人がいます。それは、何と楽友三田会事務局長の海野君です。7カ月経った今、何の音沙汰もありません。

皆さん、バトンの渡し先は編集部に必ず届けてください。(2020/12/16・わかやま)


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