リレー随筆コーナー

猫と


望月敦子(21期)


ものごころつく頃から猫がそばにいました。三毛猫「みけ」が来たのは赤ん坊の頃。田舎でネズミが多く、かまれたら大変と知り合いから貰ってきたらしいです。美しい猫でモテました。年に4回の出産記録があります。2階から落ちてもキチンと着地できるか?などを試み良い遊び相手でした。2匹目は黒白「ルネ」捨て猫で中学生の兄が学校近くから拾ってきました。“ジャングル大帝”の主人公の息子の名前です。「みけ」が自分の子として育ててくれました。2匹とも人知れず居なくなり、死期を悟ったら姿を消すのは本当だったなあと感じました。

次に猫を再び飼う事になったのは、1992年米ロードアイランド州。シャム猫「Cleo」日本人の友人から子猫を譲っていただきました。3人の娘たちが文字通りねこっかわいがりしてました。ブルーポイントの格好いいプライドが高い男の子でした。犬に好かれる猫で毎朝お隣りの犬がテラスで待っていましたし、我が家に来たスヌーピーと同じビーグル犬「Max」君“あそぼうよ”と後を追いかけていました。「クレオ」はある日お腹を血だらけにして戻ってきました。銃に打たれたのか?幸い弾は臓器を傷つける事無く貫通していて命に別条はありませんでした。その後、すっかり傷も癒えた頃に帰って来なくなりました。近所を探したり、新聞広告を出したりしましたが、再び会う事は叶いませんでした。

日本に帰国した1996年の翌年、4匹目は真っ白な男の子「Tia」(スペイン語でおばさん)。近所のアパートで16匹飼っていた青年から、乳離れした頃にブルーリボンを首に巻きやって来ました。5匹目は三毛猫「Heidi」末娘が近所で捕まえて来ました。「ティア」と相思相愛のカップルになりましたが、子孫を残す事はできませんでした。「ハイジ」はモンブランが見える仏プレベッソン村(ジュネーブ空港の滑走路があるフェルネィ・ヴォルテール村の隣村)で交通事故に遭いました。その後日本に戻った「ティア」仏では毎朝近くの牧場へ、牛が小屋に戻る頃に帰る生活だったので、相変わらず出かけてはケンカして戻ってきました。ドアは軽々と開け、外への鍵は工夫して開け、お出かけ大好きでした。

6匹目は茶白「Loco」友人が拾ったけど飼えない、と家に来ました。2匹とねこじゃらしで遊ぶと、「ロコ」は部屋中を跳ね回り、「ティア」はジッと見て手許に飛びねこじゃらしを取る。個体差があります。大らかに巨大に育った「ロコ」常にあお向けで休み、ねこ鍋も大好き。今ならインスタやYoutubeの人気者になったかも知れません。7・8匹目は子猫で収容所から引き取ったキジ白「Jin」キジトラ「Bibi」の兄妹。彼らと遊びたくて「ロコ」は大好きなトトロのオモチャをそっと差し出し、涙ぐましい努力をしていました。

9匹目は黒猫「Noire」引っ越しで飼えなくなったと、家に来ました。これで我が家は5匹の猫が自由に遊ぶ“猫カフェ”状態になり、暫くは平和な毎日が続きました。でも、やはり別れは避けられません。病気になった「ロコ」母子感染した猫エイズが発症した「ジン」と「ビビ」共に7歳くらいでした。長寿猫で表彰された「ティア」と「ノア」は老衰で、19歳と21歳でした。最後の別れは昨年の秋です。

2020年はコロナ騒動に突入。ネコが居る生活、キチンとお別れまで責任を持つには、自身が高齢者の仲間入りしたので、もう望めません。脳トレを兼ねて思い出を反芻しながらの生活を楽しもうかな、と感じる今日この頃です。

(2020/10/15)

山下夕香里(21期)さんにバトンがわたりました。

    


編集部 21期の望月さんから原稿が届きました。猫ちゃんのお話です。かつて、編集部主幹が川に落ちた猫を助けあげた話を書いたのを思い出します。⇒こちら その稿に河原まり子の真似をして描いた親子猫のイラストがこれです。

 

もう10年も前でした。かっぱも10年前の記事を思い出すとは、まだまだ若いです。年が明けると80歳ですよ。わがHP「楽友」は、そんな爺さんが編集しているのです。

(2020/10/17・かっぱ)


FEST